弟子たちがイエス様と一緒に舟に乗っていて湖に大暴風が起こった時、弟子たちは眠っておられたイエス様のみもとに来て、イエス様を起こして「主よ。助けてください。私たちはおぼれそうです。」と言うと、イエス様は大暴風を静まらせてくださった。(マタイの福音書 8章 24〜26節)
弟子たちは非常に素晴らしい体験をした。しかし、イエス様は大暴風を静まらせる前に弟子たちに言われた。「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちだ。」
もし、この時、「イエス様が眠っているから、私たちも眠ろう」と言って、眠っているイエス様を起こさずに、眠っていたなら、イエス様が大暴風を静まらせてくださる現場を見る以上に、弟子たちの信仰が大きく変革されるような神の御国の栄光に満ちたイエスキリストの啓示との出会い、体験ができていたことだろう。
そのような啓示と体験があれば、ぺテロはイエス様を知らないと三度言うこともなかっただろう。
しかし、弟子たちにはまだ聖霊が注がれていなかったので、大暴風の中で眠り、神の御国の栄光に満ちたイエスキリストの啓示と出会う体験ができる選択はまだ閉ざされていた。
しかし、聖霊様が注がれている今の時代の聖徒たちは、このより良い選択をすることができる。
神様はいつも後になればなるほど、何倍も良いものを与えてくださる。
神様の目的、計画はいつだって、何倍も良いものを得させることだ。
地上において、「神様、何故このようなことが?」と思えることがある。
サタンが、イエス様の弟子たちを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられたことについてイエス様はぺテロに語っておられる。(ルカの福音書 22章 31節)
主は何故、サタンにそのようなことを許可されたのだろうか?
サタンに倒されたぺテロをイエス様は立ち上がらせ、ぺテロによって数えきれない程の人を立ち上がらせた。
もし、ぺテロがイエス様を三度知らないと言ってしまう経験をしていなかったら…ぺテロが語ったことばと書いた手紙により現された神の御国の栄光、イエスキリストの栄光、ぺテロの結ぶ実は何十分の1か何百分の1か、それ以下になっていただろう。
聖書には三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶとあるが、完全数である七倍は三十倍、六十倍、百倍よりも多い。
七倍の増加は百倍よりもはるかに多くて数字では現せない。
だから、神はサタンに盗むことを許可した。百倍よりもはるかに多い七倍を取り戻し、七倍を得させるために。
"盗人が
もし、つかまえられたなら、彼は七倍を償い、自分の家の財産をことごとく与えなければならない。"
箴言 6章 30〜31節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会
地上において、「神様、何故このようなことが?」と思えることがあるのは、七倍を取り戻し、七倍を得させるためだ。
地上において、何故、使徒時代の教会は分裂し色々な教団教派に分かれたのだろうか?
色々な教団教派に分かれていなかった使徒時代の教会が地上に現したイエスキリストの栄光の七倍の栄光をこの地に現し満たすためだ。
色々な教団教派が互いに尊敬し合い互いに祝福し合うようになる時、使徒の時代よりもはるかにまさる七倍の栄光がこの地に現され、満ちるようになる。
地上において、何故、色々な教団教派は互いに尊敬し合うことができていないのだろうか?
それぞれの教団教派が、他の教団教派のカラーに染まりすぎないためだ。各器官がごちゃ混ぜにならず、各器官がそれぞれその器官として成長し整えられる必要がある。
もし、今の状況のまま色々な教団教派の壁がなくなれば、ペンテコステ派が他の教団教派を一方的に染めてしまうことになりかねない。
目は目として、手は手として成長し続け整えられる必要がある。
手が手として成長し整えられた手となることを目が妨げてつまずかせるなら、その目は手から引き離される。
目が目として成長し整えられた目となることを手が妨げてつまずかせるなら、その手は目から引き離される。
もし、各教団教派が神から与えられているデザインを保ちながら成長し続け整えられることをそれぞれの各教団教派が互いに妨げ合うのであれば、各教団教派は互いに引き離されてしまっている必要がある。
"もし、右の目が、あなたをつまずかせるなら、えぐり出して、捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナに投げ込まれるよりは、よいからです。
もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切って、捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナに落ちるよりは、よいからです。"
マタイの福音書 5章 29〜30節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会
キリストの体が分裂したままになっているシーズンはあるが、必ず栄光に満ちた一致によって1つのキリストの体となり、神の御国をこの地上に来たらせる時が来る。イエスキリストの十字架の贖いによって病が癒されることが当然である以上にキリストの体が1つにされることは完全に定められている。
地上において、「神様、何故このようなことが?」と思えることがあるのは、七倍を取り戻し、七倍を得させるためだ。
地上において、何故、迫害があるのだろうか?
殉教者の血によって、この地を完全に終わらせ完全に新しくするためだ。
この地上はまだ、サタンのものにはなっていない。人間が神から与えられた地上の支配権を人間の自由意思でサタンにことごとく引き渡し、この地上がサタンのものになった時、
サタンのものとなったこの地上を、この地上で流された全ての殉教者の血によって神は完全に終わらせ完全に新しくする。
イエスキリストの血によりこの地は癒され、生き返る。
そして、この地上は、この地上で流された全ての殉教者の血によって、神のさばきが宣告され、完全に滅ぼされ、完全に新しくされる。
聖書に以下のように書いてある。
"彼は力強い声で叫んで言った。「倒れた。大バビロンが倒れた。"
ヨハネの黙示録 18章 2節
"おお、天よ、聖徒たちよ、使徒たちよ、預言者たちよ。この都のことで喜びなさい。神は、あなたがたのために、この都にさばきを宣告されたからです。」
また、ひとりの強い御使いが、大きい、ひき臼のような石を取り上げ、海に投げ入れて言った。「大きな都バビロンは、このように激しく打ち倒されて、もはやなくなって消えうせてしまう。"
ヨハネの黙示録 18章 20〜21節
"預言者や聖徒たちの血、および地上で殺されたすべての人々の血が、この都の中に見いだされたからだ。」"
ヨハネの黙示録 18章 24節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会
すべての時代の殉教者の血が、見いだされた時に、現される神の栄光と力がどのようなものであるかを国々に見せるために、
主は世界で最も多くの殉教者たちの血が流された日本において、殉教者たちの血によって現される栄光と力を日本に現し、国々に見せてくださる時が来る。
多くの教団教派が一致して神の栄光を現し地を満たすようになることは、使徒時代の教会が一致していることより何倍良く、何倍くらい栄光に富んだものだろうか…数値では現せない。
新しい天と新しい地はこの地上の何倍良いだろうか…数値では現せない。
教会の分裂も、地上の迫害も…数値に現せないくらい良いもの、比較できないくらい良いもの、七倍良いものを後に得るため、得させるためだ。
"盗人が
もし、つかまえられたなら、彼は七倍を償い、自分の家の財産をことごとく与えなければならない。"
箴言 6章 30〜31節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会
大暴風の中で弟子たちがイエス様に助けを求めたように、神に助けを叫び求める祈りには力がある。多くのクリスチャンたちが神に助けを叫び求める祈りによって大いなる栄光、勝利、打ち破りをなしとげている。
神のしもべとして思い煩いながら叫ぶ祈りにこれほどの力があるなら、
神に選ばれた王である祭司として思い煩わずに歌い祈るならどれほどの力と栄光があらわされるだろう。
何故なら聖書に以下のように書いてあるからだ。[マタイの福音書 13:22]茨の中に蒔かれたものとは、みことばを聞くが、この世の思い煩いと富の誘惑がみことばをふさぐため、実を結ばない人のことです。
このように聖書には、思い煩いは30倍60倍100倍の実を結ぶことを妨げ、邪魔をし、つまずかせると書いてある。
だから、神のしもべとして思い煩いながら叫ぶ祈りによってこれほどの栄光、実を結んでいるのに、
思い煩わなくなることによって、さらに30倍60倍100倍の栄光、実を結ぶことができる資質がある。
今でさえ多くの栄光、実を結んでいる神のしもべとして思い煩いながら叫んで祈っているクリスチャンたちが、
神に選ばれた王である祭司として思い煩わずに歌い祈る聖徒となるならどれほどの力と栄光があらわされることだろう。
1人1人は30倍60倍100倍だが、それが複数、複数の教会で合わさるなら、数値では表せない七倍の栄光となるだろう。
サタンは7つの悪霊を住まわせようとするが、神はサタンから七倍を取り戻す。7人を取り戻すのではない。
大勢の悪霊、レギオンが住んでいる1人の人をイエス様は解放し、後に、その地に大リバイバルが起こり、神はサタンから七倍を取り戻した。
[マタイの福音書 13:22]茨の中に蒔かれたものとは、みことばを聞くが、この世の思い煩いと富の誘惑がみことばをふさぐため、実を結ばない人のことです。
"盗人が
もし、つかまえられたなら、彼は七倍を償い、自分の家の財産をことごとく与えなければならない。"
箴言 6章 30〜31節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会