シャロームを所有する

私は預言の賜物の回復を願っている。しかし私は預言の賜物を否定する方々を心から尊敬し感謝している。私が預言の賜物を熱心に求めて聖書に従うためなら…私は預言の賜物を否定する方々を不満に思い…全て感謝せよと語る聖書に逆らってよいだろうか?預言を認める牧師先生だけ尊敬し…預言の賜物を否定する牧師先生含む5役者や教団教派の方々を尊敬せず…互いに尊敬しなさいと語る聖書に逆らってよいだろうか?自分が建てたい御言葉を建て上げるために他の御言葉を壊してできた砂の上に自分が建てたい御言葉を建て上げ…家を建ててよいのだろうか?

「何故、レストレーションを1つずつ…しかも1つ1つに100年もの時間をかけて回復させ、建て上げる必要があるのだろうか……初代教会に最初からあった1つ1つは長い歴史の中でいつの間にか失われてしまっていた。だから、再び回復されたレストレーションの1つ1つが、2度と失われることがないようにするためには、1つ1つのレストレーションを十分に行き渡らせ、染み込ませ深く掘り下げて、1つ1つのレストレーションをしっかりと建て上げるために……100年の熟成期間を必要としている」


賢い建築家よりもはるかに賢い全知全能の主権者である神は……新しくスタートさせた1つの ※レストレーション ( ※ 聖書に書かれているのにそれまで失われていた真理を再び回復させる働き ) が約100年かけて十分に行き渡り、深く染み込み、十分に建て上げられ、十分に熟成してからでないと……

……その上に建て上げられるべき次の新しいレストレーションを建て上げることを開始することはないことについて前回のブログで書かせていただいた。

神は「行いや努力によってではなくイエスキリストを信じる信仰によって救われる…と聖書に書いてある信仰義認」の回復をスタートさせた約100年後に、「聖書に書いてある水のバプテスマ」の回復をスタートさせ……

……「聖書に書いてある水のバプテスマ」の回復をスタートさせた約100年後に「聖書に書いてある聖い行い」の回復をスタートさせた。

何故、神は「信仰義認」「水のバプテスマ」「聖い行い」「異言をはじめとする9つの御霊の賜物」1つずつに100年もの時間をかけて建て上げることをなさったのだろうか?

1つずつ100年かけて建て上げるということは、1つ目のレストレーションである「信仰義認」を100年かけて建て上げようとしている時代であった1500年代には「水のバプテスマ」「聖い行い」「異言をはじめとする9つの御霊の賜物」は失われたままになってしまっているということだ。

1つずつではなくて「信仰義認」「水のバプテスマ」「聖い行い」「異言をはじめとする9つの御霊の賜物」を同時に回復させ建て上げることはできなかったのだろうか?

全能の神にとって、神の民に「信仰義認の回復」「水のバプテスマの回復」「聖い行いの回復」「異言をはじめとする9つの御霊の賜物の回復」を同時に与えてしまうことなんてかんたんなことだ。

全能の神は神の民に「信仰義認の回復」「水のバプテスマの回復」「聖い行いの回復」「異言をはじめとする9つの御霊の賜物の回復」を同時に与えることができるなら、全能の神は何故そうなさらなかったのだろうか?

……初代教会は最初から「信仰義認」「水のバプテスマ」「聖い行い」「異言をはじめとする9つの御霊の賜物」を持っていた。

……初代教会が最初から持っていた「信仰義認」「水のバプテスマ」「聖い行い」「異言をはじめとする9つの御霊の賜物」は歴史の中でどうなっただろうか…?

……初代教会が最初から持っていた「信仰義認」「水のバプテスマ」「聖い行い」「異言をはじめとする9つの御霊の賜物」は歴史の中で、いつの間にか失われてしまっていた。

何故、失われたのか……初代教会が最初から持っていた「信仰義認」「水のバプテスマ」「聖い行い」「異言をはじめとする9つの御霊の賜物」の1つ1つはどれもこれも建て上げるために100年を費やしていない『即席』のものであったからだ。

何故、初代教会に最初からあったものは失われたのか……初代教会は飢え乾いて求め捜したたき続けて「信仰義認」「水のバプテスマ」「聖い行い」「異言をはじめとする9つの御霊の賜物」を手にするようになったのではなくて、最初から、「信仰義認」「水のバプテスマ」「聖い行い」「異言をはじめとする9つの御霊の賜物」を御霊によってすでに与えられていたからだ。

📖"初めに急に得た相続財産は、終わりには祝福されない。"
箴言 20章 21節

📖"急に得た財産は減るが、働いて集める者は、それを増す。"
箴言 13章 11節

初代教会に最初から与えられていた「信仰義認」「水のバプテスマ」「聖い行い」「異言をはじめとする9つの御霊の賜物」は、歴史の中でいつの間にか、まるで根がない芽のように失われてしまっていた。

📖"また、別の種が土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったので、すぐに芽を出した。
しかし、日が上ると、焼けて、根がないために枯れてしまった。"
マタイの福音書 13章 5〜6節

……「信仰義認の回復」を集中的に建て上げるべき100年の期間の間に、「水のバプテスマの回復」を同時に建て上げることだってできなくはないだろう。

……しかし、100年の期間の間に、「信仰義認の回復」と「水のバプテスマの回復」という2種類の新しいレストレーションを同時進行で建て上げた場合……

……表面上を見ると、どちらも何の問題もなさそうに建て上げられているように見えるかもしれない……

……しかし、表面上はどちらも何の問題もなさそうに建て上げられているように見えていても、どちらも砂の上に建てられた家のように不十分でもろいものとなっていただろう。

……100年の期間をかけて1つのレストレーションにしっかりと集中して深く掘り下げるべきであるのに、新しいレストレーションを2つ以上同時に建て上げることをしてしまったために深く掘り下げることができていないからだ。

……2つ以上同時に建て上げるべきではないのは「新しいレストレーション」だ。

例えば、ホーリネス派がスタートして建て上げられはじめている時代であれば「聖い行いの回復」に集中するべきだからといって、「信仰義認の回復」と「水のバプテスマの回復」はストップしておかなければならないなどということはない。

しかし、「信仰義認の回復」と「水のバプテスマの回復」がなされた後の「聖い行いが回復される時代」ではなくて、「信仰義認が回復される時代」であれば、「信仰義認」を回復させる働きと同時進行で「水のバプテスマ」を回復させる働きはできない。「信仰義認の回復」を建て上げようとしている時代において、「信仰義認の回復」も「水のバプテスマの回復」も、どちらも新しいレストレーションであるからだ。

1つ1つのレストレーションが初代教会の時のように失われないために、新しいレストレーションは100年かけて1つずつ建て上げる必要がある。

……しかし、100年かけて「信仰義認の回復」がしっかりと建て上げられた後に、「水のバプテスマを回復させる新しいレストレーション」の建て上げがなされている時代には、「水のバプテスマを回復させる新しいレストレーション」の建て上げと同時進行で「信仰義認」も建て上げられ続けることになる。

「水のバプテスマ」が100年かけてしっかりと建て上げられてから、ホーリネス派がスタートして「聖い行いの回復」が建て上げられる時代には、「聖い行いの回復」だけでなく「信仰義認」と「水のバプテスマ」は同時進行で建て上げられ続ける。

1度100年かけて建て上げられたレストレーションは、その後もずっと建て上げられ続ける。

1517年に回復されて建て上げられはじめた「信仰義認」は1517年からずっと建て上げられ続けていて、2021年の今でも、そしてこれからも、ルーテル派の中で、バプテスト派の中で、ホーリネス派の中で、聖霊派の中で必要不可欠な土台、柱、エッセンスである真理の1つとして語られ続け建て上げられ続ける。

ルーテル派の教理となっている「信仰義認」はバプテスト派にとっても、ホーリネス派にとっても、聖霊派にとっても必要不可欠な土台、柱、エッセンスであるからだ。

……だから、1度100年かけて建て上げられ、熟成したレストレーションはその後、何年たっても失われることなく、建て上げられ続ける。

しかし、その時代に、まだ建て上げられていない、まだ100年かけて熟成するに至っていない新しいレストレーションは2つ以上同時に建て上げることはできない。

その時代に、まだ建て上げられていない、まだ100年かけて熟成するに至っていない新しいレストレーションは100年かけて1つずつしっかりと建て上げ、熟成させる必要がある。

100年の期間に2つ以上の新しいレストレーションを建て上げることもできなくはないが、深く掘り下げられてはいないので、砂の上に建てられた家のように不十分でもろいものとなってしまう。

だから、100年の期間に1つのレストレーションに集中的にしっかりと取り組み、その新しい1つのレストレーションを十分に行き渡らせ、建て上げ、熟成させて、新しいぶどう酒であった新しいレストレーションが熟成した古いぶどう酒になるまで、深く掘り下げる必要がある。

📖"その人は、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を据えて、それから家を建てた人に似ています。洪水になり、川の水がその家に押し寄せたときも、しっかり建てられていたから、びくともしませんでした。"
ルカの福音書 6章 48節

📖"初めに急に得た相続財産は、終わりには祝福されない。"
箴言 20章 21節

📖"急に得た財産は減るが、働いて集める者は、それを増す。"
箴言 13章 11節

📖"また、別の種が土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったので、すぐに芽を出した。
しかし、日が上ると、焼けて、根がないために枯れてしまった。"
マタイの福音書 13章 5〜6節