カトリックはカトリックとプロテスタントに分裂し、プロテスタントのルーテル派はルーテル派とバプテスト派に分裂し、バプテスト派はバプテスト派とホーリネス派に分裂し、ホーリネス派はホーリネス派と聖霊派に分裂した。
もしも、カトリックがカトリックとプロテスタントに分裂するのではなくて、カトリックがプロテスタントになり、プロテスタントのルーテル派がバプテスト派になり、バプテスト派がホーリネス派になり、ホーリネス派が聖霊派になったのであれば、キリストの体の中に分裂はなかった。
……しかし、神の御国であるキリストの体の中に、一致できていない複数の教団教派である「カトリックとルーテル派とバプテスト派とホーリネス派と聖霊派が存在していること」は、一致できている1つの教団教派しかないことよりもはるかにまさっている。
……だから、神はキリストの体が各教団教派に分裂することを「良し」とされた…このことは私たち人間の目には最善であるようには思えず不思議なことだ……といったことについて前回のブログで書かせていただいた。
📖"家を建てる者たちの捨てた石。それが礎の石になった。
これは主のなさったことだ。私たちの目には不思議なことである。"
詩篇 118篇 22〜23節
イエスキリストは……「わたしは、平和をもたらすために来たのではなく、剣をもたらすために来たのです。」……と言われ……
……「あなたがたは、地に平和を与えるためにわたしが来たと思っているのですか。そうではありません。あなたがたに言いますが、むしろ、分裂です。」……とも言われた。
……これは、いったいどういうことだろうか?
……イエスキリストが平和をもたらすためではなくて、剣をもたらすために来た……分裂を与えるために来た……とはどういうことだろうか?
……イエスキリストの願いは平和ではなくて、剣なのだろうか…?
……イエスキリストの願いは平和ではなくて、分裂なのだろうか…?
……イエスキリストの願いは平和だ。イエスキリストの願いは「分裂」ではない。
……イエスキリストの願いは平和だ。イエスキリストの願いは「剣」ではない。
……イエスキリストの願いは平和であって、イエスキリストは、「分裂」や「剣」でこの地を満たすために来たのではなくて、平和を成就させ、平和を完成させるために来てくださった。
……しかし……平和の成就の前に剣と分裂が来る……
……何故なら、キリストの体は剣と分裂の道を通らなければ平和の約束の成就に入ることができないからだ。
……キリストの体は、剣と分裂という荒野の道を通らなければ、平和という約束の地に入ることができない。
……何故なら、イエスキリストが来てくださった目的である「平和」のためには、「剣」によってキリストの体が「分裂」するという時期、シーズン、プロセスがどうしても必要不可欠であるからだ。
人間の体が成長するためには細胞分裂が必要であり、人間の身長が伸びる時には成長痛があるのと同じだ。
人間の体は細胞分裂することによって成長する。
だから、人間の体は、人間の体の中にある細胞が細胞分裂しなければ成長することができない。
人間の身長が伸びる時期には、成長痛がある。
だから、人間の身長が伸びるためには成長痛を避けて通ることはできない。
……キリストの体の中で過去に何度もくりかえされてきた分裂と枝分かれは人間の体の細胞分裂や成長痛のようなものだ。
人間の体が成長するためには、人間の体の中にある細胞が分裂する必要があるように、キリストの体も成長するためには、キリストの体である教団教派グループが分裂する時期が必要だ。
人間の体の身長が伸びるために成長痛が避けることができないことであるように、キリストの体が「キリストの満ち満ちた身たけ」にまで達するためには分裂による痛みを避けて通ることはできない。
しかし、人間の体は身長が伸びきると成長痛はなくなる。キリストの体も同じだ。
キリストの体の中にある分裂と一致できない痛みは、キリストの体の身長が、まだ伸びきっていないしるしであり、キリストの体がまだ成熟していないしるしだ。
子が霊的な親にプロテスト(抗議)して、霊的な親に逆らい反抗して、霊的な親の家から出て行ったり、霊的な親の家から子が追い出されることが、キリストの体の中で何度も何度もくりかえされることによって、キリストの体である教団教派グループが何度も何度も枝分かれしてきた時代は「プロテストの時代」だ。
……プロテスタントがカトリックにプロテスト(抗議)したと言われているが……
……プロテスタントがカトリックにたいして一方的にプロテスト(抗議)しただけではない……
……カトリックもカトリックをプロテストしたプロテスタントのことをプロテストしている……
……子が霊的親にプロテスト(抗議)しても、子からのプロテスト(抗議)を頑なに受け入れようとしない親の家にいることはできなくなった子が親に反抗して親の家を出て行くだけではなくて……
……親も、親の家から子を追い出している。
……子が親の家から出て行っているだけであるなら、それは「分裂」ではなくて『子の家出』だ……
……子が親に反抗して親を拒絶して親の家から出て行くだけでなく、親も子を拒絶して、子を追い出すことによって「分裂」は成り立っている……
……子が親に反抗して親の家から出て行っても、親が子を拒絶せずに子として受け入れ、愛し続けているなら、子が親の家から『家出』をしているだけであって、「分裂」しているとは言えない。
子が親を拒絶して、親として受け入れず、愛さず、尊敬せずに親の家から出て行き、親も子を拒絶して、子を子として受け入れず、愛さず、子の選択を尊重せずに親の家から子を追い出し、子と親が互いに拒絶し合い、互いにプロテストし合うことがなければ分裂は成り立たない。
プロテスタントのルーテル派がスタートする時も、バプテスト派がスタートする時も、ホーリネス派がスタートする時も、聖霊派がスタートする時も……
……子が霊的な親にプロテスト(抗議)して、霊的な親に逆らい反抗し、拒絶して霊的な親の家から出て行くだけでなく、霊的な親も子を拒絶して子を親の家から追い出すことがキリストの体の歴史において何度も何度もくりかえされることによって、キリストの体である教団教派グループが枝分かれしてきた時代は「プロテストの時代」だ。
カトリックと、プロテスタントのルーテル派と、バプテスト派と、ホーリネス派と、聖霊派の間に平和と一致がなく、互いに拒絶し、互いの間に隔ての壁がある時代は「プロテストの時代」だ……
……「プロテストの時代」には「剣」と「分裂」がある……
……「プロテストの時代」は「剣と分裂の時代」だ……
……「プロテストの時代」は「御言葉の剣の時代」であり、「分裂の時代」だ……
……平和を成就させるため、平和の完成のために地上に来てくださったイエスキリストが「平和ではなくて剣をもたらすために来た」と言われ、さらに、「平和ではなくて分裂をもたらすために来た」とも言われた理由は……
……「平和の時代」が今からすぐに始まると思ってはなりません……
……今からはじまろうとしているのは「平和の時代」ではなくて、むしろ「プロテスト(抗議)の時代」であり、「剣の時代」であり、「分裂の時代」であり……
……子と親が互いにプロテスト(抗議)し合い、互いに拒絶して互いに受け入れず、互いに愛さず、互いに尊敬尊重せず互いの間に隔ての壁が築かれる時代がまず先にはじまることを神の民たちにはっきりと告げておくためだ……
📖"わたしが来たのは地に平和をもたらすためだと思ってはなりません。わたしは、平和をもたらすために来たのではなく、剣をもたらすために来たのです。
なぜなら、わたしは人をその父に、娘をその母に、嫁をそのしゅうとめに逆らわせるために来たからです。
さらに、家族の者がその人の敵となります。"
マタイの福音書 10章 34〜36節
📖"あなたがたは、地に平和を与えるためにわたしが来たと思っているのですか。そうではありません。あなたがたに言いますが、むしろ、分裂です。"
ルカの福音書 12章 51節
"父は息子に、息子は父に対抗し、母は娘に、娘は母に対抗し、しゅうとめは嫁に、嫁はしゅうとめに対抗して分かれるようになります。」"
ルカの福音書 12章 53節