平和の約束を成就させ、平和を完成させるためにこの地上に来てくださったイエスキリストが「わたしは、平和をもたらすために来たのではなく、剣をもたらすために来たのです。」……と言われ……
……さらに、「あなたがたは、地に平和を与えるためにわたしが来たと思っているのですか。そうではありません。あなたがたに言いますが、むしろ、分裂です。」……とも言われたのは、これから来るのは平和ではなくて剣と分裂であることを神の民に告げておくためであったことについて前回のブログで書かせていただいた。
キリストの体は「プロテストの時代」という時期、「剣と分裂の時代」という荒野を通らずに約束の地である「平和の時代」に入ることはできない。
……何故なら……『無知な子たち』は親と共に約束の地である「平和の時代」に入ることはできないからだ。
「平和の時代」の扉は「霊的な親と子が対等であるという神の御国の啓示」によって開かれる……
……『無知な子たち』に、「霊的な親と子が対等であるという神の御国の啓示」が開かれ与えられてしまったらどうなるだろうか?
無知な子たちに、「霊的な親と子が対等であるという神の御国の啓示」を与えて、無知な子たちは親たちと共に「平和の時代」に入ることができるだろうか?
無知な子たちに「親と子が対等であるという神の御国の啓示」を与えることによって来ることになるのは「平和の時代」ではなくて『放縦の時代』『無秩序の時代』『混乱の時代』だ。
……無知な幼い子に、子が親に要求できる権利や、親が子に果たすべき義務や、扶養義務といった法律について教えればどうなるだろうか?……無知な幼い子に親に逆らう自由を与えても、『放縦』と『無秩序』と『混乱』と『滅び』と『死』を引き寄せてしまうだけだ。
無知で幼い子たちが、親のことばに従わずに自由に親の命令に逆らおうとも幼い子は子として扶養してもらえる権利を失うことにはならない法律があることを知り、理解すればどうなるだろうか?
無知で幼い子たちに親に従わなくてもよい「自由」と「安心」を与えてしまったらどうなるだろうか?
無知で幼い子たちに食べたいものを食べたいだけ食べることができる自由を与えればどうなるだろうか?
無知で幼い子たちにチョコレートやケーキやアイスクリームとかを食べたいだけ食べる自由を与えればどうなるだろうか?
食べたいものを自由に選んで食べたいだけ食べることができる自由を与えられている無知で幼い子たちは、幼い子にとっては苦くておいしくない野菜を食べようとするだろうか?
知識のある親が「野菜を食べずに甘いものばかり食べていると血糖値が急上昇してしまった後に、体内のインスリンによって血糖値が急下降し、血糖値の急上昇と急下降をくりかえしてしまうことになり、将来、糖尿病になってしまうよ?だから野菜も食べる必要があると思うよ?」……と無知な幼い子にやさしく語ったとしても、無知な幼い子は理解できるだろうか?幼い子が理解して、自分の意思で野菜も食べる選択をするだろうか?
親が無知な幼い子供に、「野菜を食べずに甘いものを食べたいだけ食べ続ける選択をするならそれでもいいよ?」とやさしい声でやさしく語り続けていたら、無知な幼い子は野菜を食べることの重要性を理解して、自分の意思で野菜を食べようとするだろうか?
無知な幼い子は「将来」とは何か、「栄養バランス」とは何か、「糖尿病」とは何かを知らず、説明してもほとんど理解できない。無知な幼い子は「野菜は苦くておいしくないこと」と「チョコレートやケーキやアイスクリームは甘くておいしいこと」くらいのことしか理解できない。
無知な幼い子は「将来」とか「栄養バランス」とか「糖尿病」とかについての知識がなく、説明されてもほとんど理解することができない。
しかし、無知な幼い子が「将来」ということばの意味が理解できていなくても、時間はとまってくれない。「将来」は止まることなく一歩一歩、確実に近づいてくる。
無知な幼い子が「将来」とか「栄養バランス」とか「糖尿病」ということばの意味が全く理解できていなくても、「栄養のバランスのない食事内容の積み重ね」は「糖尿病になってしまう将来」を一歩一歩、確実に自分自身に引き寄せ続けることになる。
……だから、無知な幼い子に「好きなものを好きなだけ食べる自由を与えること」は無知な幼い子に、自分自身が死んでしまう選択の自由を与えてしまうことになる。
……だから、無知な幼い子に必要なことは、「野菜を食べないと糖尿病になっちゃうよ?でも好きなものを好きなだけ食べたいなら好きなだけ食べてもいいよ?」とやさしく言ってもらえることではなくて、親から「野菜を食べなさい」と命令されることだ。
……キリストの体においても……無知な幼い子たちに、「霊的な親と子は対等であるという神の御国の啓示」を与えてしまうなら、無知な幼い子たちは親が子に教え語っている「神の御言葉」にいつまでたっても従おうとせず、いつまでたっても「神」に従おうとはせず、いつまでたっても神の民として成長することもできないどころか、生きることすらできない。
……無知な幼い子たちに、「子と霊的な親は対等であるという神の御国の啓示」を与えることは無知な幼い子たちにとって、益とはならない……
無知な幼い子にとって苦くておいしくない野菜を食べさせるためには無知な幼い子の中に親にたいする「おそれ」が必要だ。
無知な幼い子が神の御言葉に従い、神の御言葉によって成長して、神に従う神の民として整えられるためには、「子と霊的な親は対等であるという神の御国の啓示」は『奥義』として無知な幼い子の目からも、霊的な親の目からも隠されていなければならない。
無知な幼い子が神の御言葉に従い、神の御言葉によって成長して、神に従う神の民として整えられるためには……「子と霊的な親は対等ではない。上下関係がある。霊的リーダーが上であり、牧師が上であり、霊的リーダーや牧師に従わないことは神に従わないことと同じだ。……そのようなことを子にも霊的な親にも強く強く強烈に信じ込ませておく必要がある。
霊的な親の手に御言葉の剣があり、霊的な親に行き過ぎた強力な権威と支配力があって、霊的な親に子は絶対服従することが神の御心であり、霊的な親に子が絶対服従せずに反論することは、神に背くことである……と強く強く強烈に子にも霊的な親にも信じ込ませておく必要がある。
御言葉の剣を持っている霊的な親の御言葉によって子が養われ成長し、無知な幼い子が神の御言葉に従い、神に従う神の民として整えられるために、『子が霊的な親の奴隷となっていること』『霊的な親が子を奴隷として支配すること』を神は「良し」とされていた。
子たちだけでなく、霊的な親たちも『霊的な親に子が絶対服従することが神の御心であると強く強く強烈に信じ込んでいること』を神は「良し」とされていた。
……何故なら、霊的な親の御言葉の教えの剣によって神の民として十分に整えられ、成長し成熟した子が準備されなければ、霊的な親と子が共に「平和の時代」に入る時が来ないからだ。
『御言葉の剣を持った霊的な親の奴隷として絶対的に服従させられる荒野の時代』を無知な子が霊的な親と共に歩み続け、霊的な親の御言葉の教えの剣によって神の民として十分に整えられた子が準備された時、霊的な親と子は1つのキリストの体として共に「平和の時代」に入ることができる。
だから、霊的な親と子が共に1つのキリストの体として「平和の時代」に入るためには、「御言葉の剣を手に持った霊的な親が子を養い、治め、服従させ、支配し、子が霊的な親に反抗するプロテストの時代」=「剣と分裂の時代」という気が遠くなるほど長い荒野を何度も何度も世代交代しながら歩き続ける必要があった。
だから、まっすぐな近道を通って「平和の時代」に行くことはできない。無知な子と共に霊的な親が「平和の時代」という約束の地に近道して入ったとしても、霊的な親の御言葉の剣によって整えられていない無知な子が「無知」と「放縦」と「無秩序」と「混乱」で約束の地を荒れ果てた地とならせ、約束の地が荒野となり砂漠となってしまうからだ。
だから「平和の時代」に行くためには遠回りして、気が遠くなるほど非常に長い距離の荒野の中を何度も何度も世代交代しながら進む必要があった。
カトリックにプロテスタントのルーテル派がプロテスト(抗議)し反抗し逆らって、互いに拒絶し合い、互いの間に隔ての壁が築かれた時代も、
ルーテル派にバプテスト派がプロテスト(抗議)し反抗し逆らって、互いに拒絶し合い、互いの間に隔ての壁が築かれた時代も、
バプテスト派にホーリネス派がプロテスト(抗議)し反抗し逆らって、互いに拒絶し合い、互いの間に隔ての壁が築かれた時代も、
ホーリネス派に聖霊派がプロテスト(抗議)し反抗し逆らって、互いに拒絶し合い、互いの間に隔ての壁が築かれた時代も、
福音派と聖霊派が互いにプロテスト(抗議)し、反抗し逆らって、互いに拒絶し合い、互いの間に隔ての壁が築かれている時代も……
……「プロテストの時代」であり「霊的な親が御言葉の剣によって子を奴隷のように服従させ王のように支配している時代」であり「分裂の時代」であり、子が拒絶して家出し、親が拒絶して子を家から追放する「家出と追放の時代」だ。
このような「霊的な親と子が互いに拒絶し合いプロテストし合う時代」、「剣と分裂の時代」について以下のように聖書に書いてある。
📖"わたしが来たのは地に平和をもたらすためだと思ってはなりません。わたしは、平和をもたらすために来たのではなく、剣をもたらすために来たのです。
なぜなら、わたしは人をその父に、娘をその母に、嫁をそのしゅうとめに逆らわせるために来たからです。
さらに、家族の者がその人の敵となります。"
マタイの福音書 10章 34〜36節
📖"あなたがたは、地に平和を与えるためにわたしが来たと思っているのですか。そうではありません。あなたがたに言いますが、むしろ、分裂です。"
ルカの福音書 12章 51節
"父は息子に、息子は父に対抗し、母は娘に、娘は母に対抗し、しゅうとめは嫁に、嫁はしゅうとめに対抗して分かれるようになります。」"
ルカの福音書 12章 53節