シャロームを所有する

私は預言の賜物の回復を願っている。しかし私は預言の賜物を否定する方々を心から尊敬し感謝している。私が預言の賜物を熱心に求めて聖書に従うためなら…私は預言の賜物を否定する方々を不満に思い…全て感謝せよと語る聖書に逆らってよいだろうか?預言を認める牧師先生だけ尊敬し…預言の賜物を否定する牧師先生含む5役者や教団教派の方々を尊敬せず…互いに尊敬しなさいと語る聖書に逆らってよいだろうか?自分が建てたい御言葉を建て上げるために他の御言葉を壊してできた砂の上に自分が建てたい御言葉を建て上げ…家を建ててよいのだろうか?

「⑤神の御国を地上に来たらせる権威⑤祈りに賛美を着せ、賛美の外套を着せられる」

神の御心であれば、どんなことであっても実現させることができる権威が全ての聖徒に与えられている。

どんな願いであっても、神の御心であれば、天の御国の鍵を与えられている聖徒が「この願いは神の御心です!神の御心は必ず実現します!」と王の指輪によって印を押すことによって、神の御心であれば、どんな願いであっても実現させ、神の御国を来たらせ、神の御心を実現させることができる…このことを実行し…信じるなら信じた通りに実現させることができる。

そして、このような権威が神から与えられていることを信じた聖徒の祈りには賛美が着せられる。

天の御国の鍵が与えられている聖徒が王の指輪の印を押すことによって、どんな願いであっても御心であれば実現させることができる権威が神から与えられていると信じた聖徒の祈りには賛美が着せられる。

つまり、「主よ。どうか…主の御心でしたら、私のこの願いを叶えてください…」と祈っていた祈りに賛美が着せられると…「主よ。これが私の願いです。私のこの願いは主の御心です。主の御心は必ず実現します。主が私のこの願いを必ず実現させてくださることを感謝します。私のこの願いを実現させてくださる主を賛美します」このような賛美を着せられた祈りが捧げられるようになる。

聖書に以下のようなことばが書いてある。

"イエスは目を上げて、言われた。「父よ。わたしの願いを聞いてくださったことを感謝いたします。
わたしは、あなたがいつもわたしの願いを聞いてくださることを知っておりました。」"
ヨハネ福音書 11章 41〜42節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会

"何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。
私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。"
ヨハネの手紙第一 5章 14〜15節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会

だから、聖徒は賛美を着せられた祈りを主に捧げることができる。

賛美を着せられた祈りとは、例えば、以下のようなことばで祈る祈りだ。

賛美を着せられた祈りの例「私の家族(友人)が救われることは主の御心です。主の御心はどんなことでも必ず実現します。主の御心でさえあれば必ず実現させることができる権威が聖徒1人1人に与えられています。主は私の家族(友人)を御心通りに救ってくださいます。主よ。感謝します。賛美します。」

そして、このように祈りに賛美を着せて、賛美を着せられた祈りを主に捧げる者に、主は賛美の外套を着せて下さる。

「主の御心を実現させる権威が聖徒に与えられている!」と言うことによって、主が聖徒に与えてくださっている権威を言い現している者に、「主の御心を実現させることができる権威」=「王である祭司の権威」=「賛美の外套」を着せてくださる。

王である祭司の権威を着せ、王である祭司の権威によって次々に神の御心の通りに神の御国を来たらせ、主の御心を次々に実現させ、主の御心が次々に実現することによって聖徒の喜びが満ち満ちたものとなるためだ。ハレルヤ

"求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです。"
ヨハネ福音書 16章 24節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会

"あなたがたは、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。"
ペテロの手紙第一 2章 9節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会

"シオンの悲しむ者たちに、灰の代わりに頭の飾りを、悲しみの代わりに喜びの油を、憂いの心の代わりに賛美の外套を着けさせるためである。彼らは、義の樫の木、栄光を現す主の植木と呼ばれよう。
彼らは昔の廃墟を建て直し、先の荒れ跡を復興し、廃墟の町々、代々の荒れ跡を一新する。
あなたがたは主の祭司ととなえられ、われわれの神に仕える者と呼ばれる。
あなたがたは恥に代えて、二倍のものを受ける。人々は侮辱に代えて、その分け前に喜び歌う。それゆえ、その国で二倍のものを所有し、とこしえの喜びが彼らのものとなる。
まことに、わたしは公義を愛する主だ。わたしは不法な略奪を憎む。わたしは誠実を尽くして彼らに報い、とこしえの契約を彼らと結ぶ。
彼らの子孫は国々のうちで、彼らのすえは国々の民のうちで知れ渡る。彼らを見る者はみな、彼らが主に祝福された子孫であることを認める。
わたしは主によって大いに楽しみ、わたしのたましいも、わたしの神によって喜ぶ。主がわたしに、救いの衣を着せ、正義の外套をまとわせ、花婿のように栄冠をかぶらせ、花嫁のように宝玉で飾ってくださるからだ。
地が芽を出し、園が蒔かれた種を芽ばえさせるように、神である主が義と賛美とを、すべての国の前に芽ばえさせるからだ。"
イザヤ書 61章 1~
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会