シャロームを所有する

私は預言の賜物の回復を願っている。しかし私は預言の賜物を否定する方々を心から尊敬し感謝している。私が預言の賜物を熱心に求めて聖書に従うためなら…私は預言の賜物を否定する方々を不満に思い…全て感謝せよと語る聖書に逆らってよいだろうか?預言を認める牧師先生だけ尊敬し…預言の賜物を否定する牧師先生含む5役者や教団教派の方々を尊敬せず…互いに尊敬しなさいと語る聖書に逆らってよいだろうか?自分が建てたい御言葉を建て上げるために他の御言葉を壊してできた砂の上に自分が建てたい御言葉を建て上げ…家を建ててよいのだろうか?

「賛美をただ歌うだけでなく賛美を賛美の門とならせて、賛美の門を開く時、天は開かれる」

祈りによって天を開くということばを耳にすることがあるが、

祈りは天を開くものではなく、天に届くものだ。

祈りは香のように立ち上り天に届き、天に貯えられ、満ちる。

"私の祈りが、御前への香として、私が手を上げることが、夕べのささげ物として立ち上りますように。"
詩篇 141篇 2節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会

祈りが天を開かないのであれば、天を開くものは何であろうか?

天は祈りではなくて、賛美によって開かれる。賛美は地上の聖徒たち、教会に与えられている天の門だ。

賛美は天の門であるから、ただ賛美を歌うだけでも、天におられる主の臨在が臨み、主の栄光があらわれる。しかし、賛美が天の門であることについて聞き、理解し、理解を深め増すことによって信仰を増したり、

さらに、賛美の門の開き方、方法を理解することによって、今まで以上に賛美を賛美の門と呼ぶにふさわしく、賛美の門を大きく開くことができるようになる。

天の門である賛美をただ歌うだけでなく賛美の門とならせ、賛美の門を大きく開くことによって、賛美の門を通って、天の御国にあるものと、天の御国におられるお方は、この地上に来ることができる。

あなたの国の中の暴虐、あなたの領土のうちの破壊と破滅は、もう聞かれないと聖書に書かれていることが今、地上において、実現しているだろうか?

まだ実現していないなら、賛美の門はまだまだ大きく開く余地が残っているということだ!ハレルヤ!

"あなたの国の中の暴虐、あなたの領土のうちの破壊と破滅は、もう聞かれない。あなたは、あなたの城壁を救いと呼び、あなたの門を賛美と呼ぼう。"
イザヤ書 60章 18節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会

みこころにかなった願いについて祈り求めたなら「すでに与えられ」「すでに受けている」

しかし、祈り求めたものは、賛美によって「実際に」「現実に」実現させることができる。

聖徒たち、教会は賛美によって手を伸ばし、天からのものをつかみとることができる。

祈りは天に向かって上げられた手、立ち上る香。

賛美は天を開き、天にあるものをつかみ、引き寄せ、この地上にいる聖徒、聖徒たち、教会のものとし、聖徒、聖徒たち、教会がこの地上に、この地上の人々に与えることができるものとすることができる。

これが鍵となることばだ。
1.御心にかなった祈りによって「すでに受けている」
2.すでに受けている全ては賛美によって「実現する」

このことを、この地上の郵送に例えるとさらに分かりやすくなる。

祈りは「何でも頼めば惜しみ無く買い与えてくれる大富豪である故郷の親のような天の父なる神様に電話でお願いすること」祈りは、そのような「電話」に例えることができる。

あれがほしい、これがほしいと祈れば、故郷にいる大富豪の親のような天の父なる神様は何でも買ってくれて、郵送してくれる。

しかし、賛美の門がないなら、いくら郵送してもらっても、実際に手に入れることができない。

賛美の門がないのは、ずっと家の中にいて、家のドアを開けず外に出ないのと同じような状態だから、郵便物を受け取ることができない。

配達人が何回か配達に来て、来るたんびに不在届けを入れ、やがて、送り主に返される。

家のドアを開けて外に出なかったために受け取れなかった受取人は「今回お願いしたものはどうやらもらえないようだ」と思い、また別のお願いを電話でする。

故郷の大富豪の親のような天の父なる神様は今回お願いされたものだけでなく、送ったけど返ってきたものも一緒に郵送してくださる。

一方、配達人は受取人が毎回不在なので、また送り主に返す。

受取人は、「お願いしたものを送ってくれる時間がないほど忙しいのかな?」もうちょっと頼んでみようか…とか、「もしくは、頼んだものは売り切れだったから予約待ちなのかな?」とか思いながら、また、電話でお願いする。

大富豪の親のような天の父なる神様はお願いされるたんびに、お願いされたものだけでなく、過去に送ったけど返ってきたものも全部一緒に郵送してくださる。

大富豪の親のような天の父なる神様は送ったけど返ってきたもの全て…1番最初に郵送して、数えきれないほど返ってきているものすらも何度でも一緒に郵送してくださる。

故郷の大富豪の親のような天の父なる神様は、1度求めたものは、何度でも郵送してくださる。何回不在で返って来ようと、何度でも郵送してくださる。

これは祈りについて、どういうことをあらわしているのだろうか…神の子とされた者が1度でも祈り求めた願いの中で、みこころにかなう願いは、神がかなえる、与えると決めておられ、変わることはないということだ。

しかし、賛美の門がなくて、祈り続けるだけなら、みこころにかなった祈り、願いであるから、神が与えると決めておられるのに、現実には受け取れていないままになっている。

祈るだけでなく賛美もしています?

ただ賛美を歌っているだけでは、天はほとんど開かないかもしれない。どのように信じ、どのように期待しているかに応じて、賛美の門は変化する。

神のみこころにかなう願い、祈りは全てかなえ、与えると神は決めておられるどころか、すでに与えてくださっている。

すでに与えて下さっている?まだもらってませんけど?と思うだろうか?

このことは銀行に例えるとさらにわかりやすい。神のみこころにかなった願い、祈りはすでにかなえられ、与えられているとは…「すでに口座に送金してもらえている」という状態に例えることができる。

すでに口座に送金してもらえているなら、すでに受けている、与えられていると言える。

しかし、すでに口座に送金されているものを口座から実際に引き出すためにはキャッシュカードと暗証番号が必要だ。

贖われて神の子とされた聖徒たちには、天の御国のキャッシュカードが与えられている。

しかし、暗証番号を入力しなければ、天の口座から引き出し、みこころが天になるごとく、この地に実現させることができない。

祈れば祈るほど、忠実で誠実な主は、口座に送金し続け、口座は増し加えられ続ける。しかし、みこころにかなう祈りによって、天の口座に送金されたものを「主の御心にかなったものを願い求める祈り」では引き出すことはできない。

これまでの長い歴史の中で日本の教会と、世界中の教会によって日本の天に積み立てられ続けた巨万の富み、リバイバルを、日本の天の口座の名義人である日本の教会だけが、日本の天のATMから引き出すことができる。

日本以外の国々の教会は日本の教会のために日本の教会の代わりに、代理人となってその富み、リバイバルを口座から引き出すことはできない。

しかし…国々の教会は祈りによって日本の教会の天の口座に今もなお、送金し増し加え続けてくれている。

さあ、だから、日本の教会である私たちが日本の天に積み貯えられた巨万の富み、リバイバルを引き出し、日本の地に実現させよう。

天の御国のキャッシュカードを差し入れ、暗証番号を入力しよう。

暗証番号とは何であろうか?天の御国の富みを受け取るためには、いつだって「信仰」があるかないかをチェックされる。

だから、天の御国の暗証番号とは、「確かに信仰がある」と証明するものだ。

では、贖われた神の子たちに与えられた暗証番号とは何か?「確かに信仰がある」と証明できる天の御国の暗証番号とは何か?

「感謝!」「賛美!」「喜び!」「期待!」「信頼!」いつでもこれが、私たちに与えられた天の御国の暗証番号!

「感謝!」「賛美!」「喜び!」「期待!」「信頼!」これが、「確かに信仰があること」を天に向かって証明し、天を開く!

「感謝」「賛美」「喜び」「期待」「信頼」という暗証番号を入力することによって、約束された天の御国の富みを手にする権利を有する名義人であることを証明し、約束された天の御国からの富みを実際に引き出すことができる!

ただ賛美し、感謝していれば受けることができるのではない。

「神のみこころにかなった願い、祈りがすでにかなえられていて、必ずこの地に実現することを感謝し賛美する」ことによって、その賛美は天の口座の暗証番号となり、賛美の門が開かれる。

いつ、この暗証番号を入力すればいいのだろうか?…いつでも。配達人がいつ来てもいいように…いつでも…「神のみこころにかなった願いはすでにかなえられていて、すでに与えられ、私のもの、私たちのものとなっていることを感謝します!」と、いつでも感謝し賛美し、身分証明をし続け、賛美の門を開き続ける。

「日本のリバイバルは私たち日本の教会にすでに与えられていることを感謝します!」と言って、いつでも感謝し、賛美し続ける。

いつ配達人、御使いが見に来てもいいように。

主が御使いに「日本の教会はわたしが与えると約束したリバイバルを受けとる準備はできていたか?」と質問して

御使いが「日本の教会は、ほとんどみんなが、『日本にリバイバルを与えて下さい』と祈っていました」と報告しなくてよくなるために。

救い主はすでに遣わされ、救い、贖いは完了しているのに、救い主を送って下さいと祈っているかのように、

日本のリバイバルは主が国々の預言者によってすでに約束してくださっているのに、「主よ…リバイバルを与えてください」と祈るのをやめて、

「主よ。日本の教会にリバイバルを与えてくださっていることを感謝します!日本のリバイバルは日本の教会に与えられていることを感謝します!もうすぐそのことが実現するようになることを期待し感謝し賛美し続けます!」と賛美し続けよう!そのように賛美することによって、賛美を賛美の門として大きく開くことができる!

日本のリバイバルの約束を受けとるための賛美の門をいつも備えよう。聖徒1人1人、1つ1つの教会が日本のリバイバルの約束を受けとる賛美の門となり、日本の教会の賛美の門を広げ、建て上げ、拡大することができる。

敵は日本のリバイバルを盗んだ。日本に約束され、すでに与えられている日本のリバイバルを、まだ与えられていないかのように思わせ、祈り求め続けさせて、賛美の門を備えさせないようにしている。

主はそれを許可しておられる。盗んだものは7倍にして返さなければならない。

敵が日本のリバイバルを盗んだので、主は日本のリバイバルの7倍を得られる。日本のリバイバルだけでなく、国々のリバイバルを主は得られることになる。

国々のリバイバルの引き金となる7倍のリバイバルが日本にやって来る。

大きな賛美の門を用意しよう。日本のリバイバルを求める祈りではなく、日本のリバイバルを期待し感謝し喜び賛美しよう…聖徒1人1人…数々の教会…みな共に…天に満ちた祈り、リバイバルの成就、実現を迎え入れる賛美の門を増し加え、共に建て上げ拡大しよう。

日本の天に、日本と国々が祈りによって貯え続けた富み、7倍のリバイバルが通るための門が必要だ。小さな賛美の門では小さい。大きな賛美の門でもまだ足りない。非常に大きな賛美の門が必要だ。だからキリストの体の中に、非常に大きな賛美の門を共に建て上げよう。

主よ。すでに日本の教会に日本のリバイバルを約束し、与えてくださっていることを感謝します。すでに日本のリバイバルは私たち日本の教会のものとなっていることを感謝します。もうすぐ日本のリバイバルが実現するようになることを感謝し、期待し、賛美し続けます!ハレルヤ!