1️⃣(飯盛城は日本のパンの家=ベツレヘム)
1563年に「飯盛城」という場所で、ロレンソという人物が、神の御国の御言葉を宣べ伝えた結果、約70名の武士がキリシタンとなり、
その後の約10年で約7000名の領民がキリシタンとなり、約100倍の増加があった。
📖"別の種は良い地に落ち、生え出て、百倍の実を結んだ。"
ルカの福音書 8章 8節
この日本のキリシタンの群れ(エクレシア)を産み出した大リバイバル伝道集会(1563年)の会場となった飯盛城の城主である三好長慶(1522年生まれ)は、今から499年前に、この地上に生まれた。
来年2022年は、この飯盛城の城主である三好長慶(1522年生まれ)の生誕500周年記念の年となる。
……だから、来年の2022年は日本のキリシタンの群れ(エクレシア)の歴史と……
……約30万人とも言われている日本のキリシタンの殉教の血が流された歴史を思い起こす節目となる記念の年であると同時に、戦後77年の節目となる年が重なり合う年になる。
今の2021年の8月から見て、来年の今ごろとなる2022年の8月は、戦後77年となるからだ。
📖"わたしの民よ。思い起こせ。"
ミカ書 6章 5節
この三好長慶(1522年生まれ)が城主であった飯盛城で日本のキリシタンの群れ(エクレシア)が誕生する大リバイバル伝道集会が1563年にあった。
三好長慶が城主であった飯盛城で日本のキリシタンの群れ(エクレシア)が誕生する大リバイバル伝道集会がなされる前から……
……キリシタンとなった日本人は存在していたが、まだ「群れ」にはなっていなかった。
……だから、神の目には、飯盛城は、日本のキリシタンの「群れ」=「エクレシア」が産まれて、産声をあげた記念の場所であると同時に……
……殉教することになろうとも信仰を貫きとおす日本のキリシタンの「群れ」=「エクレシア」の歩みが始まった記念の場所でもある。
だから、神は、日本のキリシタンが「エクレシア」として歩みはじめるスタート地点となった飯盛城を見る時……
……約30万人殉教したと言われている日本のキリシタンの殉教の血を見ておられる。
📖"血が、その土地からわたしに叫んでいる。"
創世記 4章 10節
飯盛城は神に選ばれた特別な場所だ。飯盛城という城の名前からも、そのことを知ることができる。ベツレヘムとは「パンの家」という意味であるといった話を聴いたことがある。
日本の主食はパンではなくて、「ご飯」だ。イスラエル人の主食は「ご飯」ではなくて、パンだ。
……だから、「パンの家」の「パン」を日本人の主食の「ご飯」にすると「ご飯の家」となる。「ご飯の家」とは日本人にとっての「パンの家」だ。
……だから、「飯盛の家」は日本人にとって「パンが山盛りの家」ということになる。
……だから、「飯盛城」とは日本人にとって「パンが山盛りの城」ということになる。
この「パン」=「御言葉」が山盛りの城という名前がつけられていた日本の「パンの家」である飯盛城で、その城の名前のとおりに……
……日本のキリシタンの群れ(エクレシア)が産み出される大リバイバル伝道集会がなされ、天の御国のパンである神の御言葉が分け与えられ……
……天の御国のパンである神の御言葉は豊かに満ち溢れ、飯盛城から増え広がり続けた。
この飯盛城は飯盛山という名がつけられている山にある。だから、この飯盛城は、飯盛山城とも言われている。
このパンが山盛りの山(飯盛山)にある、パンが山盛りの城(飯盛城)で天の御国のパンである神の御言葉を分け与えられた……
……約70名の武士たちがキリシタンとなった。
……そして、『その後、主は、別に七十人を定め、ご自分が行くつもりのすべての町や村へ、ふたりずつ先にお遣わしになった。』…と聖書に『七十人』と書いてあるとおりに、
飯盛城で天の御国のパンである神の御言葉を分け与えられてキリシタンとなった約『七十人』の武士たちによって……
……天の御国のパンである神の御言葉が領民たちに配られた結果、
……約10年で約7000名の領民がキリシタンになった。
📖"その後、主は、別に七十人を定め、ご自分が行くつもりのすべての町や村へ、ふたりずつ先にお遣わしになった。"
ルカの福音書 10章 1節
📖"それから、七つのパンと魚とを取り、感謝をささげてからそれを裂き、弟子たちに与えられた。そして、弟子たちは群衆に配った。
人々はみな、食べて満腹した。そして、パン切れの余りを取り集めると、七つのかごにいっぱいあった。"
マタイの福音書 15章 36〜37節
……このようにして、天の御国のパンである神の御言葉は、パンが山盛りの山(飯盛山)にある、パンが山盛りの城(飯盛城)から急激に増え広がり続けた。
……だから、「飯盛城」は日本の神の民にとって、「パンの家」であり、ベツレヘムのようなふるさとの場所と言うことができるだろう。
……だから、日本のキリシタンの歴史と……
……日本のキリシタンの殉教の血を、日本と全世界の神の民に思い起こさせる飯盛城という特別な場所の城主である三好長慶の生誕500周年となる……
……2022年に心を向けながら……
……今、2021年の8月という時間の中に立たせていただいている恵みを思い……
……私は、私の心と目と思いと感謝と賛美と祈りと礼拝の手を主に向かって高く上げよう。
2021年の8月という時の中に置かれている日本の上に、天から目を注ぎ続けておられる主の御名を高く上げよう。ハレルヤ。
2️⃣(日本のキリシタンの歴史と日本のキリシタンが流した殉教の血を覚えておられる神)
神が2021年をむかえた日本に目を注ぎ続けておられるのは……
……日本にとって、2021年が……
日本のキリシタンの群れ(エクレシア)が誕生した大リバイバル伝道集会(1563年)の会場となった場所であると同時に……
……日本のキリシタンの歴史と日本のキリシタンの殉教の血を思い起こさせる場所である飯盛城という特別な場所の城主である……
……三好長慶の生誕500周年記念の「1年前」であるからだけではない。
2021年は三好長慶の生誕500周年記念の「1年前」であるだけではなく、日本の戦後77年の「1年前」でもある。
だから、『来年の今ごろ』日本は戦後77年になる。
来年の2022年に三好長慶の生誕500周年記念をむかえる日本は「来年の2022年の8月ごろ」=『来年の今ごろ』戦後77年の年になる。
📖"わたしは来年の今ごろ、定めた時に、あなたのところに戻って来る。そのとき、サラには男の子ができている。」"
創世記 18章 14節
2021年の8月から見て『来年の今ごろ』となる2022年の8月は……
……三好長慶の生誕500周年記念の年をむかえるだけでなく、戦後77年になることも重なり合う特別な時であるから……
……もしかしたら、主は、日本にとって、特別な日が重なり合う2022年を日本が「約束の子」=「リバイバル」を産む年として定めておられるかもしれない。
今年2021年の8月前後に、世界が日本を注目していたのは、日本でオリンピックがあったからだが……
……もし、日本でオリンピックがあった年の次の年であり……
……『来年の今ごろ』となる2022年が、日本に「約束の子」=「リバイバル」が産まれる年になれば……
……世界は日本でオリンピックがあった2021年の『来年の今ごろ』となる2022年にもう1度、日本に注目することになるだろう。
日本に「約束の子」=「リバイバル」が産まれるからだ。
日本は『来年の今ごろ』戦後77年の年をむかえるだけでなく、三好長慶の生誕500周年記念の年をむかえる。
ヨベルの年は50年ごとに来る。500周年は50年ごとに来るヨベルの年の10倍の数だ。『10』は神が人を試み、試される数字だ。だから十戒は『10』の戒めになっている。
……だから、日本でオリンピックがあった年の『来年の今ごろ』となる2022年は、日本に、10倍分か、それ以上の神の栄光に満ちたヨベルの年が来る年として神が定めておられるかもしれない。
……しかし、もしかしたら、神が日本をリバイバルさせようと定めておられる年は、来年の2022年ではなくて……
……飯盛城で大リバイバル伝道集会があった1563年の500年後の2063年かもしれない。
……あるいは、日本がリバイバルする年は、2022年でも、2063年でもないかもしれない。
……しかし、日本のリバイバルは日本のキリシタンの何らかの記念の年に、聖書的に非常に特別で重要な意味がある節目を表す数字を加えた年になると私は信じている。
日本のキリシタンの何らかの記念の年に聖書的に非常に重要な意味がある数字を加えた年に日本をリバイバルさせることによって……
……神が、日本で殉教の血を流したキリシタンの歴史にむくいてくださったことを、その年の数字によっても明らかに表してくださる…と私は信じている。
📖"主にほめ歌を歌え、シオンに住まうその方に。国々の民にみわざを告げ知らせよ。
血に報いる方は、彼らを心に留め、貧しい者の叫びをお忘れにならない。"
詩篇 9篇 11〜12節
📖"食い尽くした年々を、わたしはあなたがたに償おう。
あなたがたは飽きるほど食べて満足し、あなたがたに不思議なことをしてくださったあなたがたの神、主の名をほめたたえよう。わたしの民は永遠に恥を見ることはない。"
ヨエル書 2章 25〜26節
50年はヨベルの年であり、聖書では50年は節目となる数字だ。だから、日本で500年前にあったことと同じようなことが、その節目となる500年後の2022年に起こることを神が定め計画しておられるかもしれない。
もしかしたら、2022年は三好長慶のように日本がリバイバルする場所を提供してくれる者が、人知れず、どこかで産まれている年となるかもしれない。
三好長慶自身はリバイバリストではない。
……三好長慶は、ロレンソという1人の人物を三好長慶の城である飯盛城に迎え入れるという選択をした人物だ。
……三好長慶が城主である飯盛城に迎え入れたロレンソは、日本のリバイバリストとなった人物だ。
……だから、もしかしたら、2022年は三好長慶のように、神の民1人1人が神のリバイバルを迎える場所を神のために開くことができる年になるかもしれない。
📖"あなたがたを受け入れる者は、わたしを受け入れるのです。また、わたしを受け入れる者は、わたしを遣わした方を受け入れるのです。"
マタイの福音書 10章 40節
……だから、2022年は神の民1人1人が自分が神によって遣わされている場所(領域)を三好長慶のように開き、神の御国を迎え入れ、神の御国を満たし溢れ流れさせることが……
……日本のあちらこちらでなされるようになる年になるかもしれない。
📖"その後、主は、別に七十人を定め、ご自分が行くつもりのすべての町や村へ、ふたりずつ先にお遣わしになった。"
ルカの福音書 10章 1節
日本がリバイバルする年が2022年になるのか、2063年になるのか、別の年になるのか、今年になるのかは、今のところは、まだ不明だが……
……もしかしたら、 2022年こそが、1563年に飯盛城から始まった日本の爆発的な大リバイバルが日本の地で、再び始まる年として神が定めておられる年であるかもしれない。
何故なら……戦後77年をむかえるだけでなく……
……日本のキリシタンの歴史と日本のキリシタンの殉教の血を日本だけでなく全世界の神の民に思い起こさせる飯盛城という特別な場所の……
……城主である三好長慶の生誕500周年記念をむかえる2022年を……
……日本で殉教したキリシタンの殉教の血の叫びを響き渡らせ日本をリバイバルさせる年として、主が定めておられるかもしれないからだ。
殉教したキリシタンの殉教の血の叫びを、主が地に響き渡らせる時が、日本のリバイバルの時となる…と私は信じている。
3️⃣/3️⃣に続く