シャロームを所有する

私は預言の賜物の回復を願っている。しかし私は預言の賜物を否定する方々を心から尊敬し感謝している。私が預言の賜物を熱心に求めて聖書に従うためなら…私は預言の賜物を否定する方々を不満に思い…全て感謝せよと語る聖書に逆らってよいだろうか?預言を認める牧師先生だけ尊敬し…預言の賜物を否定する牧師先生含む5役者や教団教派の方々を尊敬せず…互いに尊敬しなさいと語る聖書に逆らってよいだろうか?自分が建てたい御言葉を建て上げるために他の御言葉を壊してできた砂の上に自分が建てたい御言葉を建て上げ…家を建ててよいのだろうか?

「使徒、預言者、伝道者、牧師、教師である5役者の油注ぎと権威によって使徒たち、預言者たち、伝道者たち、牧師たち、教師たちと、信徒たちが5役者の油が注がれた1つの手となって、地と地に住む人々に触れる時、地と地に住む人々は新しくつくりかえられる」

海外の使徒預言者、伝道者が使徒預言者、伝道者の油注ぎと神の王国の偉大な栄光によって地と地に住む人々に触れて新しくつくりかえることができているのは、

海外の使徒預言者、伝道者は、海外の牧師、教師によって「使徒」「預言者」「伝道者」として互いに認められ受け入れられているからだ。

海外の使徒預言者、伝道者も、海外の牧師先生、教師を「牧師」「教師」として受け入れいて、海外の使徒預言者、伝道者、牧師、教師は互いに互いを「使徒」、「預言者」、「伝道者」、「牧師」、「教師」、5役者であることを互いに認め合い、受け入れ合い、互いに補い合っていること、互いに互いが必要であることを知っていて、互いにつながり合っている。

海外の「使徒」「預言者」「伝道者」が偉大な神の王国の栄光と油注ぎによって地上に触れることができているのは、海外の「使徒」や「預言者」や「伝道者」、ひとりひとり個人個人にそのような偉大な油注ぎがあるからではない。

……まず、神が使徒使徒の油を注ぎ、神が預言者預言者の油を注ぎ、神が伝道者に伝道者の油を注ぎ、神が牧師に牧師の油を注ぎ、神が教師に教師の油を注ぐ、

そして、使徒預言者、伝道者、牧師、教師は神から与えられた働きと油注ぎによって互いに力づけ合い、使徒預言者、伝道者、牧師、教師の油注ぎによって互いに力づけられている使徒たち、預言者たち、伝道者たちが、使徒預言者、伝道者、牧師、教師……一致した5役者の権威と油注ぎによって地とそこに住む人々に触れているからこそ、地と地に住む人々は神の王国の偉大な栄光と権威によって揺り動かされて新しくつくりかえられ続けている。

そして、使徒預言者、伝道者だけではなく、牧師たち、教師たちも、使徒預言者、伝道者、牧師、教師……一致した5役者の権威と油注ぎによって地とそこに住む人々に触れているからこそ、地と地に住む人々は神の王国の偉大な栄光と権威によって揺り動かされて新しくつくりかえられ続けている。

リバイバルしている海外にあって、リバイバルしていない日本にないものは……日本に神が与えておられる日本うまれ日本育ちの5役者たちの油注ぎが行き来することができる互いのつながりだ。

今年の1月に私は乾燥した肌にワセリンを塗っていた……

……その時、こんなことを思いついた……

①まず握りこぶしをつくる

②人差し指以外の指はにぎったまま人差し指だけにワセリンをつけて人差し指につけたワセリンを体に塗りつける

③次に中指以外の指はにぎったまま中指だけにワセリンをつけて中指につけたワセリンを体に塗りつける

④次に薬指以外の指はにぎったまま薬指だけにワセリンをつけて薬指につけたワセリンを体に塗りつける

⑤次に小指以外の指はにぎったまま小指だけにワセリンをつけて小指につけたワセリンを体に塗りつける

⑥次に親指以外の指はにぎったまま親指だけにワセリンをつけて親指につけたワセリンを体に塗りつける

⑦人差し指、中指、薬指、小指、親指……どの指がワセリンを塗りやすかっただろうか……?

親指が他の指に比べて大きく広く、強く塗りつけても他の指のように痛みとか負担を感じることもなく、親指がいかに丈夫かが実感できるはずだ。

……多くの国々のエクレシアにおいて共通して知られていることだが、
人差し指は預言者
中指は伝道者
薬指は牧師
小指は教師
親指は使徒……と言われている。

……親指が他の指に比べて大きく広く、力を入れて強く塗りつけても痛みも負担も感じないからワセリンは親指で体に塗りましょう……ということになるだろうか?

どれかの指1つだけで体にワセリンを塗るとしたらどの指でワセリンを体に塗りますか?……と言われたら私は、「親指で塗る」と返答する。

……しかし、どのようにしてワセリンを体に塗りますか?……と言われた時には「親指で体にワセリンを塗る」とは返答しないはずだ。

どれか1つの指だけを立てて他の4本の指はにぎったまま、どれか1つの指でワセリンを体に塗ることはしない。

今の日本のエクレシアのように薬指と小指だけを立てて体に油を塗るのではない。親指だけを立てて他の指をにぎったままにすることもしない。5つの指全てを立たせる。

使徒預言者、伝道者、牧師、教師が共に立ち上がる時、親指も人差し指も中指も薬指も小指も立ち上がる時、どの指よりも広く大きな「手のひら」がその姿を現す。……「手のひら」は使徒預言者、伝道者、牧師、教師ではない「信徒たち」だ。

どの指で体にワセリンを塗るか……ではなく、どのようにして体にワセリンを塗るかと言われたら、私は「親指で塗る」とは返答せずに「手で塗る」……と返答するだろう。キリストの体も同じだ。

ワセリンが神の王国の新鮮な油注ぎであるとするなら……神の王国の新鮮な新しい油注ぎに最初に触れることができるのは5役者である5本の指だ。信徒である「手のひら」は最初にはアクセスできない。最初にアクセスできないだけで後から自由にアクセスできるようになる。……だから「手のひら」をどぼんと入れることができてしまうほど無駄にでかい業務用のワセリンは不要だ。

まず指を小さなワセリンの容器の中に入れる。塗る範囲が狭ければ指だけで塗れるが、塗る範囲が広いなら手全体で塗る。

神の王国の新しい新鮮な啓示と油注ぎに、まず使徒預言者、伝道者、牧師、教師が触れる。

それぞれの使徒(預言者)(伝道者)(牧師)(教師)は、使徒(預言者)(伝道者)(牧師)(教師)であるからこそアクセスできる啓示と油注ぎと祝福に触れて、その啓示と油注ぎによって使徒預言者、伝道者、牧師、教師を祝福して力づけ、使徒預言者、伝道者、牧師、教師たちによって祝福され力づけられた使徒預言者、伝道者、牧師、教師たちそれぞれがそれぞれの啓示と油注ぎによって信徒たちに触れ、使徒預言者、伝道者、牧師、教師、信徒が一致して1つになった1つの手によって主が地と地に住む人々に触れる。

使徒には使徒たちのための油の入った容器があり、預言者には預言者たちのための油の入った容器があり、伝道者には伝道者たちのための油の入った容器があり、牧師には牧師たちのための油の入った容器があり、教師には教師たちのための油が入った容器があり、

人差し指中指薬指小指親指はそれぞれのために分けられているそれぞれの容器の油に浸されてから、人差し指中指薬指小指親指がそれぞれ触れた5種類の油を人差し指中指薬指小指親指が互いに塗り合い、(親指である使徒がいないとそれぞれの指に塗られている5種類の油を指全体に行き渡らせることは難しい)、5種類の油が塗られた人差し指中指薬指小指親指によって5種類の油が手のひら全体にも塗られ、人差し指にも中指にも薬指にも小指にも親指にも手のひら全体にも5種類の油が塗られ、5種類の油が塗られた1つの手によって主が地と地に住む人々に触れ、地と地に住む人々は新しくつくりかえられる。

海外の使徒預言者、伝道者、牧師、教師や信徒たちは、日本うまれ日本育ちの使徒預言者、伝道者、牧師、教師、信徒たちに触れて大いに油注ぎ、大いに力づけることはできるが、

日本の地と日本の地に住む人々には少ししか触れることはできない。

日本の地と日本の地に住む人々に触れ、新しくつくりかえることができるのは、日本うまれ日本育ちの使徒たち、預言者たち、伝道者たち、牧師たち、教師たちと信徒たちが一致して5種類の油が塗られて1つの手となった「日本のエクレシアの手」であるからだ。

そして、日本のエクレシアも、日本のエクレシアを力づけてくれた国々のエクレシアも日本のリバイバルを喜び祝い主の御名を高くかかげて賛美する時が来る。ハレルヤ。

"見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。
それは頭の上にそそがれた尊い油のようだ。それはひげに、アロンのひげに流れてその衣のえりにまで流れしたたる。"
詩篇 133篇 1〜2節

"彼らは互いに助け合い、その兄弟に「強くあれ」と言う。
鋳物師は金細工人を力づけ、金槌で打つ者は、鉄床をたたく者に、はんだづけについて「それで良い」と言い、釘で打ちつけて動かないようにする。"
イザヤ書 41章 6〜7節