シャロームを所有する

私は預言の賜物の回復を願っている。しかし私は預言の賜物を否定する方々を心から尊敬し感謝している。私が預言の賜物を熱心に求めて聖書に従うためなら…私は預言の賜物を否定する方々を不満に思い…全て感謝せよと語る聖書に逆らってよいだろうか?預言を認める牧師先生だけ尊敬し…預言の賜物を否定する牧師先生含む5役者や教団教派の方々を尊敬せず…互いに尊敬しなさいと語る聖書に逆らってよいだろうか?自分が建てたい御言葉を建て上げるために他の御言葉を壊してできた砂の上に自分が建てたい御言葉を建て上げ…家を建ててよいのだろうか?

「④神の御国の秩序の中で生きる④霊的リーダーを見下す者たちと霊的リーダーたち…両者をあわれもうとして両者を不従順のうちに閉じ込め、やがて両者を和解させ神の偉大な栄光とならせる神の知恵と計画とデザイン」

教会の秩序、ルール、人間の秩序に従い生きることを知らない者は神の御国の秩序に入り生きることはできない。神の御国の秩序の中で生きることは「霊的リーダーに従うこと+神の導きに従うこと」の調和の中で生きることであるからだ。

それは霊的リーダーに従ってさえいれば間違いがないという教会の秩序の中でへりくだって生きるよりも簡単で難しい。

簡単と言うのはより多くの油注ぎと主の臨在の中に進み入っていくことができるからだ。難しいと言うのは、霊的リーダーに従ってさえいればいい道ではなく、吟味することが必要になるからだ。

"まだ乳ばかり飲んでいるような者はみな、義の教えに通じてはいません。幼子なのです。
しかし、堅い食物はおとなの物であって、経験によって良い物と悪い物とを見分ける感覚を訓練された人たちの物です。"(ヘブル人への手紙 5章 13〜14節)

多少間違っていても、時には理不尽であっても霊的リーダーに従うことによって訓練され土台を準備された者たちは次の段階に進むことができる。

神は最も良いことを、最も良い時に、最も良い順序で1つ1つ成し遂げられる。

かつての教会の歴史において、聖書は一般人には理解できない言語で書かれていたため、一般人は読むことができず、読める人に聖書の内容を教えてもらう必要があった。

もし、この時、聖書が今のように誰でも読めていたら、基礎が築かれるべき時に数えきれないほど多くの間違った教えが混ざり混み、今のような良い基礎が築かれることはなかっただろう。神は聖書が誰でも読めない時代に基礎を築き上げ、ある程度、基礎が築き上げられたら、聖書が誰でも読めることばに翻訳される時代を来させた。

今この時代、聖書は誰でも読めるが、「霊的リーダーに従ってさえいれば神の御心から決してずれることはない。神の御心を知りたければ霊的リーダーから聞け」と言われている。

かつて「聖書の内容を知りたければ、聖書を読める人から聞け」と言われていたが、

それと同じように今の時代は「神の声や導きを知りたければ、霊的リーダー、羊飼いに聞け」と言われている。

時には理不尽であっても、多少間違っていても、羊飼いに従うことによって良い基礎が築き上げられ、羊である信徒たちは養われ、育まれ成長した。

教会の信徒の成長が不十分で幼い時代に羊飼いに従う生き方に疑問を持つ人が大勢いて、間違った教えのパンがばら蒔かれていたら、キリストの体である教会は今のようには築き上げられてはおらず、整えられてはいなかっただろう。

しかし、間違った教えのパンが大量にばら蒔かれずに済んでいるが、今のパンの中に微量の聖書的でない教え、言い伝え、パン種が混じっている。

間違った教えとみなされている大量のパンの中に、聖書的ではない教え、言い伝え、パン種を取り除く教えのパンがいくつか隠されている。

神は大きな破れ口を修繕してから、小さな破れ口の修繕に取りかかる。

霊的リーダーによって聖書的な基礎が築き上げられ養われ育まれた神の子である信徒たちが成長した時、主はこのように語り、このような時代を来させる。「霊的リーダーに預けていた子どもたちをわたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。」(ルカの福音書 18章 16節)

霊的リーダーだけが、神の声、導きを聞いていた時代から、神の羊たち、神の子たちが神の声、導きを聞くことができる時代。神の声を聞くことができる神との関係、神の声を聞くことができる至聖所の中に羊飼い、霊的リーダーたちだけでなく、神の羊たち、神の子たちが入る時代。

神はコロナウィルスによって警告している。もしもこれがコロナウィルスではなく迫害だったとしたら…もはや霊的リーダーからの助言を聞くことはできなくなっていたのではないだろうか…。迫害によって、羊飼いと羊が引き離され、羊が肉の目で見ることができる羊飼いの声を聞けない環境、状況になった時に…羊飼いと羊はどうするのだろうか?

今この時代は、すでにその過渡期の中にある。聖書が誰でも読めることばに翻訳されようとしていた過渡期において、その時代にあった教会秩序は「聖書を教会が認めていない言語に翻訳してはならない」と禁じ、神に敵する者たちと見なし見下していた。

今の過渡期にあっても、教会秩序に準ずる羊飼いたち、霊的リーダーたち、教会秩序は…羊飼い、霊的リーダーに従わない者たちを「神に逆らっている」「悪霊の導きを神の導きであるかのようにだまされている」といったような評価を下し見下している。

霊的リーダーに従わない者の中には悪霊の導きを神の導きであるかのようにだまされている者もいるかもしれない。

しかし霊的リーダーに従わない者の中に、霊的リーダーに従ってはいないが神に従っている者たちがいることを神は昔から知っておられる。

"人に従うより、神に従うべきです。"
使徒の働き 5章 29節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会

"子どもたちをわたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。"
ルカの福音書 18章 16節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会

"わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。またわたしは彼らを知っています。そして彼らはわたしについて来ます。"
ヨハネ福音書 10章 27節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会

"『神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。
その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。
また、わたしは、上は天に不思議なわざを示し、下は地にしるしを示す。それは、血と火と立ち上る煙である。
主の大いなる輝かしい日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。"
使徒の働き 2章 17〜20節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会

"見よ。わたしは、主の大いなる恐ろしい日が来る前に、預言者エリヤをあなたがたに遣わす。
彼は、父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせる。それは、わたしが来て、のろいでこの地を打ち滅ぼさないためだ。」"
マラキ書 4章 5〜6節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会

"なぜなら、神は、すべての人をあわれもうとして、すべての人を不従順のうちに閉じ込められたからです。
ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。そのさばきは、何と知り尽くしがたく、その道は、何と測り知りがたいことでしょう。
なぜなら、だれが主のみこころを知ったのですか。また、だれが主のご計画にあずかったのですか。
また、だれが、まず主に与えて報いを受けるのですか。
というのは、すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。"
ローマ人への手紙 11章 32〜36節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会