1️⃣(創世記のはじめのはじめである創世記1章1節の時からすでに存在していた光)
創世記1章で神が最初に名前をつけた描写が書かれているのは「昼」と「夜」だ。
📖"神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕があり、朝があった。第一日。"(創世記 1章 5節)
しかし、昼が昼と名づけられ、夜が夜と名づけられた創世記1章5節よりも前の、創世記1章2節には水についての描写が書かれている。
……神が昼と夜を名づける描写は創世記1章5節に書かれているのに……
……神が昼と夜を名づける前の、創世記1章2節の時から書かれている水のことを…
…神が「水」と名づけておられる描写が創世記1章5節よりも前に、書かれていないのは何故なのだろうか…
……何故なら、神によって昼が昼と名づけられ、夜が夜と名づけられるよりもっと前から……
……創世記1章2節よりもっと前から、神は水を創造しておられ、水を「水」と名づけておられ、水はすでに存在していたからだ。
……水だけではなくて光も昼と夜が名づけられる前から神によって「光」と名づけられていて、すでに存在していた。
それまで全く存在していなかった光が創世記1章3節の時に神によってはじめて創造されて存在するようになったのではない。
……もしそうであったとしたら……創世記1章1節で、はじめに神が天と地を創造された時には……
……まだ光は存在していなくて、天と地は真っ暗だったのだろうか?
……創世記1章1節のはじめのはじめから闇が存在していたのだろうか?
……創世記1章1節の時は、サタンも闇もまだ全く存在せず光が満ちていた。
……創世記1章3節よりも前から……
……創世記1章2節よりも前から……
……光は「光」と名づけられていて、すでに存在していた。
……神が「光あれ」と語っておられる創世記1章3節の時は……まだ存在していなかった光を存在させた時ではない。
……創世記1章3節の時は……神が「光あれ」と語ることによって……
……神が創世記1章2節よりも前から、
……すでに存在させて、「光」と名づけておられた「光」の名を呼び、「光」に命じておられる時だ。
まだ全く存在していないものの名を呼ぶことができようか?……神ならできるだろう。
まだ全く存在していないものの名を呼んで命じることによって…
…まだ全く存在していなかったものを創造して存在するようにさせることも神ならできる。神に不可能なことは1つもない。
……しかし……
神は…"混乱の神ではなく、平和の神だからです。"…と聖書は語っている。
📖"それは、神が混乱の神ではなく、平和の神だからです。"(コリント人への手紙第一 14章 33節)
……平和の神は、「正しい秩序」と「正しい順序」で事を行われる。
……まだ全く存在していなかったものを神が創造し…⬇️
…神に創造されて存在するようになったものに神が名前をつけ…⬇️
…存在させたものの名を神が呼ばれる。
……だから、昼と夜が名づけられた創世記1章5節よりも前の節で……
光が「光」と名づけられ、水が「水」と名づけられる描写が書かれていないのは……
……創世記1章2節よりも前に……
……神は光を「光」と名づけ、水を「水」と名づけておられたので、1度 名づけたものをもう1度 名づける必要はなかったからだ。
2️⃣(創世記1章1節の時から存在していた光は、
創世記1章2節の時に、ただ1度だけ死に、
創世記1章3節の時に、死からよみがえった)
神は創世記1章2節よりも前に、光のことを「光」と名付けておられ、光はすでに存在していた。
しかし、創世記1章2節よりも前から、神によって「光」と名づけられて、存在していた光は……
……創世記1章2節の時には失われていた。
……だから、創世記1章2節では光についての描写が全く書かれていない。
📖"地は茫漠として何もなかった。やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた。"(創世記 1章 2節)
……神によって、創世記1章2節の時よりも前から存在していたが……
……創世記1章2節の時には失われていた光を……
……創世記1章3節の時に、神は……復活させてくださった。
📖"神は仰せられた。「光があれ。」すると光があった。"(創世記 1章 3節)
3️⃣("神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない。")
創世記1章2節の時には、すでに闇についての描写が書かれており、すでに闇が存在していた。
📖"地は茫漠として何もなかった。やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた。"
(創世記 1章 2節)
創世記1章2節の時に、すでに闇が存在していたのは、創世記1章2節の時には、すでにサタンと悪霊が存在していたからだ。
……サタンと悪霊が全く存在していないのであれば、闇も夜すらも全く存在しない。
何故なら……サタンは闇であり、サタンは闇の源であり、サタンは闇を生じる者であるからだ。
サタンが存在していないなら、闇も夜も存在しない。神には"暗いところが少しもない"からだ。
📖"神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない。これが、私たちがキリストから聞いて、あなたがたに伝える知らせです。"(ヨハネの手紙第一 1章 5節)
📖"すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は上から来るのであって、光を造られた父から下るのです。父には移り変わりや、移り行く影はありません。"(ヤコブの手紙 1章 17節)
神には"暗いところが少しもない"から、サタンが存在していないのであれば闇だけでなく、夜すらも全く存在しない。
黙示録の中で"悪魔とか、サタンとか呼ばれて、全世界を惑わす、あの古い蛇"…と…書かれているサタンは…
…創世記1章2節の時にはすでに存在していたので、創世記1章2節の時にはすでに闇が存在していた。
📖"地は茫漠として何もなかった。やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた。"(創世記 1章 2節)
しかし、創世記1章1節の時には、サタンはまだ全く存在していなかったので、闇も全く存在していなかった。
だから、創世記1章1節にはやみの描写が全く書かれていない。
📖"はじめに神が天と地を創造された。"[創世記 1:1聖書 新改訳2017]
4️⃣(昼は夜のフタ【蓋】)
📖"また、箱の上には、贖罪【蓋】を翼でおおっている栄光のケルビムがありました。"(ヘブル人への手紙 9章 5節)
サタンも悪霊も全く存在していなくて、闇がまだ全く存在していなかった創世記1章1節の時には、昼も夜も存在していなかった。
……闇がなければ昼も夜も存在できないからだ。
……「闇がないなら、夜がないだけでずっと昼なのではないだろうか」…と…思うだろうか?
闇(夜)が全く存在していなくても光は存在できる。
……しかし、闇(夜)が全く存在しないなら、光は存在することができるが、昼は存在できない。
……何故なら、昼とは=光によって夜が消し去られている時間のことであるからだ。
光が夜を一時的に消し去っている時間が昼であるから、闇(夜)が全く存在していなかった創世記1章1節の時にはまだ昼は存在していなかった。
創世記1章1節の時には、まだ存在していなかった昼が…
…創世記1章4節の時に、はじめて存在するようになったので、神は昼を「昼」と名づけられた。
…それまで全く存在していなかった昼が「昼」と名づけられたように…
…それまで全く存在していなかったものがはじめて存在するようになった時に名がつけられる。
名がつけられるのは、それまで全く存在していなかったものが、はじめて存在するようになった時だ。
闇がまだ全く存在していなかった時、光はすでに存在していたが昼は存在していなかった。
まだ闇が全く存在していなかった時に満ちていた光は昼という名ではなかった。
……夜を消している光が昼であるからだ。
……夜を消している光が昼なのであって、夜を消していない光は昼ではない。
……夜を消していない光は、昼ではなくて……光だ。
……だから、光に消されるべき夜がまだ存在していないなら、昼も存在することはできない。
「白夜」という現象がある。「白夜の時」と「創世記1章1節の闇がまだ全く存在していなかった時」とは別物だ。
世界には白夜になる地域が存在する。白夜になる地域では白夜の時期になると何時になっても、外が真っ暗にならない。
しかし、白夜の時期であっても、夜が全く存在しなくなっているのではなくて……夜が見えなくなっているだけだ。
白夜の時期にも、夜は存在しているが、白夜というフタによってフタされていて夜が見えなくなっているだけだ。
だから、この「白夜の時」と「創世記1章1節の闇が全く存在していなくて光が満ちていた時」とは別物だ。
白夜は夜が全く存在していない時間ではない。白夜は地上に存在している夜を太陽の光が打ち消している時間だ。
白夜は夜が全く存在していない時間なのではなく、夜が太陽の光によってフタされて見えなくなっている時間だ。
フタの中に夜はまだ存在し続けている。白夜の時期が終わればフタされて見えなくなっていた夜は再びその姿を現す。
白夜とは「長い昼」だ。長い昼であろうと、短い昼であろうと、昼であることに変わりはない。
昼とは=「地上と天の大空に存在している夜の上に太陽の光でフタをしている時間」のことであり、この夜にフタをしているフタが昼だ。
光が夜を覆い隠し、夜のフタとなっている時間が昼の時間だ。
夜のフタとなっている光が昼だ。
光が夜のフタとなっている時に……そのフタの名は昼と呼ばれる。
この夜にフタをする昼は太陽につかさどられている。
長い昼である白夜も昼であることにかわりはないので、白夜も太陽につかさどられている。
だから、もしも太陽が滅びてなくなれば…
…白夜になる地域が白夜の時期であろうとも、その地域の上の天の大空は暗くなるので、その地域は暗くなる。
もしも太陽がなくなれば、白夜の明るさは地上から消えてなくなる。
何故なら、白夜も太陽につかさどられている昼であるからだ。
太陽がなくなれば昼はなくなる。何故なら昼は太陽につかさどられているからだ。
昼とは夜が太陽の光(昼というフタ)によって、フタされている時間だ。
昼とは太陽の光によって地上が照らされることによって、地上の夜が消し去られて、一時的に夜が見えなくなっいる時間だ。
5️⃣(太陽は神から与えられた昼を地上に与えるためにつくられた)
昼は"大きいほうの光る物"…と…聖書に書いてある太陽につかさどられている。
…新改訳2017年版では「つかさどらせた」ではなく「治めさせた」ということばが使われている。
📖"神は二つの大きな光る物を造られた。大きいほうの光る物には昼をつかさどらせ、小さいほうの光る物には夜をつかさどらせた。また星を造られた。"(創世記 1章 16節)
"大きいほうの光る物"…と…聖書に書いてある太陽を…
…神がまだ創造しておられなかった時から……光は存在していた。
神が"光あれ"と言われた時……まだ太陽(大きいほうの光る物)は、つくられていなかった。
神が"光あれ"と言われた時、まだ太陽(大きいほうの光る物)はつくられていなかったのに…
…太陽を光源としていない光が存在していた…と…聖書は語っている。
…太陽を光源としていない光が存在していたのは、光が、まだ、昼と名づけられていなくて、まだ昼が太陽につかさどられていなかったからだ。
神が"光あれ"と言われた時、まだ太陽(大きいほうの光る物)は存在していなかったが…
…まだ太陽を光源とするようになっていなかった光が存在していた。
この光を神が昼と名づけられた後で、神が太陽をつくり…
…神が太陽に昼を与え、太陽に昼をつかさどらせた時以降、昼の光源は太陽だけになった。
神は、太陽に昼を与え、太陽に昼を集結させ、太陽に昼をつかどらせ…
…太陽を昼の父とならせ、太陽だけを昼の源、太陽だけを昼の光源とならせた。
神が太陽だけに昼を与え、太陽に昼をつかさどらせたので、太陽だけが昼を持っている。
だから、神から昼を与えられた太陽だけが地上に昼を与えることができる。
太陽は神から与えられた昼を地上に与えるためにつくられた。
太陽は昼の父であり、太陽は昼の源だ。太陽を源としない昼はどこにもない。
だから、もし太陽が滅びれば地上の昼は滅びて、地上には夜だけが残る。
6️⃣(闇だけでなく夜すらもなくなる時が来る)
神が太陽をまだ創造しておられなかった時から、すでに光は存在していた。
サタンも闇も、まだ存在していなかった創世記1章1節の時から、すでに光は存在していた。
創世記1章1節の時には、闇は、まだ全く存在せず光が満ちていた…
…しかし、それは昼という名ではなかった。
…その時…太陽はまだ存在していなかったが、光が満ちていた…
…太陽を必要としない光は昼ではない。
…太陽によってつかさどられていない光は昼ではない。
太陽につかさどられている「昼の光」は太陽が滅びると消えてなくなるが…
…太陽につかさどられていない「光」は永遠に消えることがない。
……その日、その時が来る……サタンも悪霊も闇も、まだ全く存在せず、昼も夜もなく…
…太陽が存在していなくても光が満ちていた創世記1章1節の時のように……
……サタンと悪霊が完全に滅びて消え去ることによって、全ての闇は完全に消え去るので……
……夜すらも完全に消え去り、太陽の光によって夜を照らして夜にフタをする必要がなくなる時が来る。
……闇が全く存在しなくなるので、夜すらも完全に消え去り、子羊イエスキリストの光が永遠に満ち続ける時が来る。
📖"もはや夜がない。神である主が彼らを照らされるので、彼らにはともしびの光も太陽の光もいらない。"
ヨハネの黙示録 22章 5節
📖"都には、これを照らす太陽も月もいらない。というのは、神の栄光が都を照らし、小羊が都のあかりだからである。"
ヨハネの黙示録 21章 23節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会
7️⃣(神が光と闇の間に定められた区別と秩序="闇は光に打ち勝たなかった")
創世記1章1節の時には、まだサタンも闇も全く存在していなかった。
神がサタンを創造したのではない。
神が素晴らしく創造した御使いのリーダーが自分の素晴しさに魅入られてしまったために…
…高ぶり、ごうまんになってしまったのでサタンになり…
…神が素晴らしく創造した御使いの何割かがサタンに従ってついて行ったので悪霊となった。
そして、その時まではまだ全く存在していなかったサタンと悪霊たちが存在するようになったので…
…その時まではまだ全く存在していなかった闇が存在するようになった。
そして、サタンと悪霊は闇を満たして光を消し去り、闇によって光にフタをした。
……闇が光を消し去ることなんてできるはずがない…と…思うだろうか?
……そのとおり。闇が光を消し去ることは絶対にない。
……聖書に「やみは光に打ち勝たなかった」と書いてあるので、闇が光を消し去る現象を決して見ることはできない。
……「やみは光に打ち勝つことがない」という神の定めた秩序は何者であっても絶対に変えることはできない。
……しかし……
創世記1章1節の時も、創世記1章2節の時も『やみは光に打ち勝つことがない』という神の秩序はまだ定められていなかった。
「やみは光に打ち勝つことがない」という神の秩序が定められるのは創世記1章4節の時だ。
📖"神は光とやみとを区別された。"(創世記 1章 4節)
……だから、創世記1章4節よりも前の、創世記1章1節の時と創世記1章2節の時には…
…光と闇との区別はまだされておらず…
……「やみは光に打ち勝つことがない」と神がお定になられた秩序はまだ定められてはいなかった。
創世記1章1節の時にはまだ全く存在していなかったサタンと悪霊がはじめて存在するようになった時、
「やみは光に打ち勝つことがない」という神の秩序は、まだ定められてはいなかったので…
…闇の源であるサタンと悪霊は闇を満たして光を消し去った。
そして、闇が光にフタされて闇が見えなくなるように……光は闇にフタをされて見えなくなった。
しかし、父なる神は水の上を動いておられた神の霊(御霊)と「光あれ」と仰せられた父なる神のことば(イエスキリスト)により……再び光をよみがえらせた。
そして、神は復活させた光を見て良しとされた。
この時に、神は、もう2度と闇が光を消し去り、光が闇によってフタをされて見えなくなってしまうことがないように……
……「やみは光に打ち勝つことがない」…と…神が定めた秩序、
……「絶対に光が闇に打ち勝つ」…と…神が定めた秩序を……
……何者も決して覆すことができない神の絶対的な主権によってお定めになった。
神は光と闇との間に神の秩序を定めることによって……光と闇を区別された。
神は「やみは光に打ち勝つことがない」…という秩序を光と闇の間に明確に定め…
…「やみは光に打ち勝つことがない」という区別を光と闇の間にお定めになられた。
📖"神は光とやみとを区別された。"(創世記 1章 4節)
だから、絶対に光と闇は混ざることがない。光が存在している場所に闇は存在することができない。
光がない場所でしか闇は存在できない。昼がない場所でしか夜は存在できない。
神は光と闇の間にこのような秩序を定め、光と闇との区別をお定めになられた。
神は「やみは光に打ち勝つことがない」という秩序を光と闇の間に定め、光と闇の間に完全な秩序と完全な区別を置き、神の定め、神の秩序としてお定めになられた。
創世記1章4節で…"神は光とやみとを区別された。"(創世記 1章 4節)…と書いてあるように神は光と闇の区別(秩序)を定められた。
しかし、創世記1章4節の前には、神が光と闇の間に定められた区別(秩序)がまだなかったので…
…サタンと悪霊は闇によって光を消し去り、闇によって光にフタをすることができた。
だが、「闇は光に打ち勝つことがない」という神の秩序、神の区別が創世記1章4節で定められた時以降……
……闇が光に打ち勝つことを見ることはもはや2度とない。
……「やみはこれに打ち勝たなかった」…と……聖書に過去形で書かれているのは、闇が光に打ち勝つことが永遠にないからだ。
8️⃣(創世記1章5節=神は復活させた光を高く上げ「夜を消し去るもの」=「昼」という名を与えられた)
神は、「闇は光に打ち勝つことがない」という神の秩序、神の区別を創世記1章4節で定めた後で…
…光に昼という名を与え、闇に夜という名を与えた。
神がシモンにぺテロという名を与え、シモンをぺテロとならせたように……神は光に昼という名を与えた。
「光よ。あなたは闇に1度だけ消し去られ、闇にフタをされて見えなくされていたが…
…もはや2度とあなたが闇に消し去られ、闇によってフタをされて見えなくなることはない。
今から後、あなたはどんな時にも必ず闇を消し去り、闇の上に存在し……闇に覆いかぶさり、闇に打ち勝つようになる。
何者もこの秩序と定めを覆すことはできない。だから今、あなたを『昼』と名づける。
あなたはどんな時にも必ず闇を消し去り、どんな時にも闇の上にあって、闇に覆いかぶさり、闇に打ち勝つ光=『昼』であるからだ。
『昼』であるあなたが存在している場所に『夜』は絶対に存在することができない。」
「闇よ。お前は、ただ1度だけ、光を消し去り、光にフタをして光を見えなくならせていたが…
…もはや2度とお前が光を消し去り、光にフタをすることはない。
今から後、お前はどんな時にも必ず光に消し去られ、光は お前の上に存在し続け、光は お前に覆いかぶさり、光は お前に必ず打ち勝つようになる。
何者もこの秩序と定めを覆すことはできない。だから今、お前を『夜』と名づける。
お前はどんな時にも必ず光に消し去られ、光の下にあり、光に覆われて見えなくなり…
…永遠に光に打ち勝つことができない闇=『夜』であるからだ。
だから闇よ。今、お前を『夜』と名づける。もはや2度と『昼』が存在している場所に『夜』であるお前は存在することができなくなったからだ。」
9️⃣(創世記1章1節~5節に書いてあるイエスキリストの十字架の啓示と預言)
イエスキリスの十字架の啓示が一番最初に書いてあるのは創世記何章何節だろうか?創世記3章15節だろうか?
……アダムとエバを誘惑した蛇に、神が語られた創世記3章15節のことばが…
…救い主イエスキリストの十字架について1番はじめに語られている聖書箇所なのだろうか?
📖"わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」"(創世記 3章 15節)
救い主イエスキリスの十字架の啓示と預言は創世記のはじめのはじめである創世記1章1節~5節に書いてある。
救い主イエスキリスの十字架の啓示と預言は、アダムとエバがまだ蛇に誘惑されていなかった時よりも前から…
…アダムとエバがまだ存在していなかった時よりも前から…
…太陽も月も星もまだ存在していなかった時よりも前から…
…創世記1章のはじめのはじめである創世記1章1節~5節に書いてある。
救い主イエスキリスの十字架の啓示と預言は、聖書のはじめのはじめである創世記1章1節~5節に書いてある。
創世記1章1節⬅️イエスキリスがはじめから「ある」ように、光は創世記1章1節のはじめからあった。
創世記1章2節⬅️イエスキリスがただ1度だけ死なれたように、光は創世記1章2節でただ1度だけ死んだ。
創世記1章3節⬅️イエスキリスが「3」日目によみがえられたように、創世記1章「3」節で光はよみがえった。
創世記1章4節⬅️復活したイエスキリスがすべての名の上に高く置かれたように……復活した光は創世記1章4節で闇(夜)の上に高く置かれた。
創世記1章5節⬅️復活したイエスキリスがすべての名にまさる名を与えられたように……
……復活した光は創世記1章5節で、すべての「夜」にまさる「昼」という名を与えられた。
創世記1章4節⬅️死からよみがえられた初穂である長子イエスキリスの義によって、義とされるように…
…父なる神がはじめに良しとされたのは1章4節で父なる神がよみがえらせた光であった。
イエスキリスの十字架の啓示と預言は創世記のはじめのはじめである創世記1章1節~5節に書いてある。
……聖書の最初の最初、聖書のはじめのはじめに書かれていることはなんですか?
……イエスキリストの十字架です。
聖書が最初の最初、はじめのはじめから語っていることはなんですか?
……イエスキリストの十字架です。
"光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。"
ヨハネの福音書 1章 5節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会
"すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました。"
エペソ人への手紙 1章 21節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会
"それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。"
ピリピ人への手紙 2章 9節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会
"初めに、神が天と地を創造した。
地は茫漠として何もなかった。やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた。
神は仰せられた。「光があれ。」すると光があった。
神は光を見て良しとされた。神は光とやみとを区別された。
神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕があり、朝があった。第一日。"
創世記 1章 1〜5節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会