シャロームを所有する

私は預言の賜物の回復を願っている。しかし私は預言の賜物を否定する方々も心から尊敬し感謝している。私が預言の賜物を熱心に求めて聖書に従うためなら…私は預言の賜物を否定する方々を不満に思い…全て感謝せよと語る聖書に逆らってよいだろうか?預言を認める牧師先生だけ尊敬し…預言の賜物を否定する牧師先生含む5役者や教団教派の方々を尊敬せず…互いに尊敬しなさいと語る聖書に逆らってよいだろうか?自分が建てたい御言葉を建て上げるために他の御言葉を壊してできた砂の上に自分が建てたい御言葉を建て上げ…家を建ててよいのだろうか?

1️⃣~3️⃣/3️⃣「①これまでに書いたブログの総括①キリストの体がまだ相続できていない7つの祝福がある未相続の約束の地=シャロームは≪全てのことについて神に感謝すること≫と、≪全ての人を尊敬すること≫の両方のみことばを実行できる成熟に、キリストの体が到達した時に相続することができる①」

1️⃣(キリストの体の中で失われたままになっている≪銀貨≫=未相続のまま残されている約束の地=シャローム )

📖"ところが、相続人というものは、全財産の持ち主なのに、子どものうちは、奴隷と少しも違わず、
父の定めた日までは、後見人や管理者の下にあります。"
ガラテヤ人への手紙 4章 1〜2節

今回のブログは、タイトルに書かせていただいた通りに、これまで書かせていただいた、
107のブログ投稿 ( 改行を増加しただけの投稿も含む ) を総括する内容となっている。

最近…私自身も、ぼんやりとしか見えていなかった私のブログの全体像と目的と、その目的のために必要なことと、1つ1つの道順が今まで以上に、クリアに見えるようになってきている。

私がブログを書いている目的は……キリストの体の中で「こんな御言葉は実行不可能だ」と信じられてしまっていて…

…キリストの体の中から失われたままになっている≪未相続の約束の地≫=キリストの体の中から失われたままになっている≪銀貨≫=シャロームを回復させることだ。

📖"また、女の人が銀貨を十枚持っていて、もしその一枚をなくしたら、あかりをつけ、家を掃いて、見つけるまで念入りに捜さないでしょうか。"
ルカの福音書 15章 8節

…今も、集会のメッセージの中で語られてはいるが、ただ集会のメッセージの中で語られているだけで…

…聞く者たちだけでなく、語る者たちでさえも「聖書に書いてあるが、こんな御言葉は誰も実行できていなくてあたり前のことではないか」…と心の中で信じてしまっているため…

…わたしは「ある」と言われた神の聖書の中に「ある」からこそ、キリストの体が所有することができるはずの≪銀貨≫=所有していて「ある」はずの≪銀貨≫=シャロームが失われたままになっている。

霊的リーダーが会衆席に向かって語るメッセージを、私が聴いていた時、

メッセージを語っていた霊的リーダーが会衆席に向かって、以下⬇️のような質問のことばを投げかけているのを、聴いたことが、今でも私の記憶に残っている。

『エペソ人への手紙 5章 20節に…"いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。"…と書いてありますが…

…もし、みなさんの中に、いつでも、すべてのことについて、感謝できていると言える人がいたら今、手をあげてください。

……誰もいませんね。……私も手をあげることはできません。

…もし、手を上げている人がいたら、その手を上げている人は、いつでも、すべてのことについて、神様に感謝できていないのに、いい格好をしようとして、うそをついて手を上げているだけです。

神様に感謝はできるでしょう。すべてのことについて神様に感謝することもできる時だってあるかもしれません。しかし、この「いつでも」ということばが加わって……

……いつでも、すべてのことについて、神様に感謝することができる人は、私を含めて、誰もいません。」

……なるほど……

……イエスキリストが「罪のない人が最初に石を投げなさい」…と言われた時に少し似ている……

……誰も石を投げることができずに去って行った後で、罪が全くなくて、石を投げることができるイエスキリストは「私もあなたを罪に定めない」…とお語りになられて、神の愛と栄光を現してくださった。

……だが……霊的リーダーが「このエペソ人への手紙 5章 20節のことばに従順できている人がいるなら手を上げてください」…と会衆に向かって語った時に、会衆は誰1人として手を上げることができず…最後に……

……「このエペソ人への手紙 5章 20節のことばに従順できている者は手を上げてください」と会衆に向かって語った本人も……

……「私も、エペソ人への手紙 5章 20節のことばに従順できていないから手を上げることはできません。」…ということばを語り……

……会衆に、この御言葉は実行できていなくて当然のこととして深く印象付け、深く植え付けることは……神が望んでおられることなのだろうか?

📖"しかし、彼といっしょに上って行った者たちは言った。「私たちはあの民のところに攻め上れない。あの民は私たちより強いから。」"
民数記 13章 31節

📖"そこで、私たちはネフィリム人、ネフィリム人のアナク人を見た。私たちには自分がいなごのように見えたし、彼らにもそう見えたことだろう。」"
民数記 13章 33節

……「この御言葉を実行し従順することだけは、私を含め誰にもできない」……それがキリストの体が宣言するべきことばで、それがキリストの体の本来のあるべき姿なのだろうか?

……キリストの体の設計図は聖書だ……

……キリストの体の設計図である聖書は、それがキリストの体の本来の姿だと語っているのだろうか?

……キリストの体によって所有されるべき聖書のことばがまだ残されたままになっているのであれば、聖書の設計図のとおりの本来のキリストの体の姿はまだ失われたままになっている。

……キリストの体は神の御言葉を全て所有して、神の御言葉であるイエスキリストと1つになることによって、キリストの体の設計図に書いてあるとおりの本来の栄光の姿を現すことができる。

確かに、弱さを認めるへりくだりは非常に重要だ。弱さを知らず強さを知っているよりは、強さを知らずに弱さを知っている方がいいかもしれない。

……しかし、もっと良いのは自分の弱さを認め、神にある自分の強さを認めることだ。

……自分の弱さを認めて、へりくだることは、キリストの体における非常に重要な土台だ。土台がなければ築き上げられたものは簡単に倒れてしまう。

……土台の上に築き上げられたものは、次のものが築き上げられるための土台となる。

……土台の上に次の土台が築き上げられ、築き上げられた土台の上に、次の新しい土台が築き上げられる。

……このようにして、キリストの体は、"完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達する"…と書いてある聖書の設計図のとおりに築き上げられる。

📖"こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。
それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、
ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。"
エペソ人への手紙 4章 11〜13節

……このように、キリストの体には成長段階がある。

……だから、このようにして、キリストの体の前の世代の方々が到達できなかった領域に次の世代は到達することができる。

📖"あなたは、わたしがイスラエルの人々に与えようとしている地を、はるかにながめることはできるが、その地へ入って行くことはできない。」"
申命記 32章 52節

しかし、前の世代が到達できなかった領域に次の世代が到達することができたのは……

……前の世代が前進し続けてくれたゆえであることを忘れ、前の世代の方々にたいする尊敬を忘れるなら……

……次の世代は前の世代が到達できなかった領域に到達することはできていても、到達した地を治め、所有し、幸せになることはできない。

📖"あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである。"
出エジプト記 20章 12節

📖"あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が命じられたとおりに。それは、あなたの齢が長くなるため、また、あなたの神、主が与えようとしておられる地で、しあわせになるためである。"
申命記 5章 16節

前の世代の功績ではなくて、前の世代の落ち度に注目し、前の世代が到達できていなかったことについてフォーカスして責め、非難し、前の世代にたいする感謝と尊敬を失った次の世代のミニストリーは土台がない建物のように、しばらくの間建っているだけで、砂の上に建てられた家のように、その時が来ると一瞬にして崩れてしまう。

📖"自分の父をのろい、自分の母を祝福しない世代。
自分をきよいと見、汚れを洗わない世代。
なんとも、その目が高く、まぶたが上がっている世代。
歯が剣のようで、きばが刀のような世代。彼らは地の苦しむ者を、人のうちの貧しい者を食い尽くす。"
箴言 30章 11〜14節

📖"わたしのこれらのことばを聞いてそれを行わない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができます。
雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもそれはひどい倒れ方でした。」"
マタイの福音書 7章 26〜27節

……次の世代…次の世代…次の世代……と何世代にも渡って成長し続けるキリストの体は……

……前の時代には実行不可能だった御言葉であろうとも成長すればするほど、実行可能になり、キリストの体が所有している御言葉の領土は増え広がり続ける。

📖"あなたの神、主が、あなたの先祖たちに誓われたとおり、あなたの領土を広げ、先祖たちに与えると約束された地を、ことごとくあなたに与えられたなら、"
申命記 19章 8節

エペソ人への手紙 5章 20節に書いてある…"いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。"…と書いてある聖書のことばであろうとも例外ではない。

エペソ人への手紙 5章 20節に書いてある…"いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。"……

……と書いてある聖書のことばをキリストの体が遠くから見上げてながめることしかできなかった時代もまたキリストの体が成長するために必要不可欠な避けては通れない道だった。

……しかし、それは成長の途中に通るべき道ではあるが、そのような成長段階はキリストの体がとどまり続ける場所ではない。

「私たちをここまで導いてくれたモーセが約束の地に入れなかったのだから、我々も約束の地に入らずこの場所にとどまり続けよう」と言ってとどまり続けるべきだろうか?

……モーセはそのようなことを喜ぶだろうか?

何世代もかけて前進し続け、成長し続けたキリストの体にとって……

……エペソ人への手紙 5章 20節に書いてある…"いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。"……

……と書いてある聖書のことばは、キリストの体が遠くから見上げてながめるためだけに聖書に書かれて存在している場所ではない。

エペソ人への手紙 5章 20節に書いてある…"いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。"……

……と書いてある聖書のことばは、キリストの体が実行して所有することができる約束の地だ。

私たちの前の世代を生きていた神の民たちが、何世代もの年月をかけて、前進し続けた結果……

……今、キリストの体は、エペソ人への手紙 5章 20節に書いてある…"いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。"……

……と書いてある聖書のことばをはるか遠くにながめることしかできなかった成長段階から、

エペソ人への手紙 5章 20節に書いてある…"いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。"……

……と書いてある聖書のことばを実行してキリストの体の所有地とすることができる成長段階の門の入口まで来ている。

何世代もの年月をかけて、前進し続けた前の世代のゆえに、今、キリストの体は、今まで未相続のままになっていた約束の地の門の入口の前まで来ることができている。

今、エペソ人への手紙 5章 20節に書いてある…"いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。"……

……と書いてある聖書のことばを実行できる成長段階という新しい地に向かって、キリストの体は進むことができる。

……だから、私も以下⬇️の質問のことばを投げかけさせていただこう……

……「エペソ人への手紙 5章 20節に書いてある…"いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。"……

……と書いてある聖書のことばはメッセージを聞く者たちも語る者たちも実行できはしない」……

……そのようなことがキリストの体の設計図である聖書に書いてあるのだろうか?

……そのようなことは、キリストの体の設計図である聖書には書かれていない。

……エペソ人への手紙 5章 20節に書いてある…"いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。"……

……と書いてある聖書のことばはメッセージを聞く者も語る者も実行できはしない……それが聖書の設計図のとおりのキリストの体であると聖書は語っていない。

わたしは「ある」と言われた神の聖書が神の民に実行を要求していることであるなら……

…1つの例外もなく…

……聖書が要求しているとおりに実行可能なことであり、聖書が要求しているとおりに実行することによって、キリストの体の所有地とすることが可能な≪約束の地≫であり…

……イエスキリストの十字架の勝利によって、キリストの体にすでに渡されていて所有できるはずの≪銀貨≫=≪約束の地≫であるはずなのに…

……キリストの体がまだ所有できていないために、失われたままになっている…

……≪未相続のままになっている約束の地≫=≪失われた銀貨≫

=シャロームをキリストの体の所有地とすることができると信じる信仰によって……私はこのブログを書いている。

キリストの体の中で≪失われたままになっていた銀貨≫=シャローム=≪未相続の約束の地≫の入口のドアを開き、キリストの体の所有地とする鍵は……

……≪いつも全てのことについて神に感謝すること≫と≪いつも全ての人を自分よりもすぐれた者として尊敬すること≫をキリストの体が実行できるようになることだ。

……≪いつも全てのことについて神に感謝すること≫と≪いつも全ての人を自分よりもすぐれた者として尊敬すること≫を実行することが所有条件であるなら、所有することなんてできるはずがない………と思うだろうか…?

📖"しかし、彼といっしょに上って行った者たちは言った。「私たちはあの民のところに攻め上れない。あの民は私たちより強いから。」"
民数記 13章 31節

📖"そこで、私たちはネフィリム人、ネフィリム人のアナク人を見た。私たちには自分がいなごのように見えたし、彼らにもそう見えたことだろう。」"
民数記 13章 33節

キリストの体が≪いつも全てのことについて神に感謝すること≫と≪いつも全ての人を自分よりもすぐれた者として尊敬すること≫を実行できるようになる成熟に到達することによって所有できるようになる≪銀貨≫

=シャローム=≪未相続の約束の地≫には≪未相続のままになっていた神の栄光に満ちた7つの祝福≫がある。

今、キリストの体は≪未相続のまま残されていた神の栄光に満ちた7つの祝福≫が備えられている≪未相続のまま残されていた約束の地≫の門の入口の前まで来ている。

キリストの体の中から失われたままになっている≪銀貨≫=≪未相続のまま残されている約束の地≫

=シャロームをキリストの体の所有地とするビジョンと、志と、求めと、願いと、希望と、期待と、感謝と、賛美と、礼拝と、信仰と、確信と、祈りによって……

……私のブログ「シャロームを所有する」は、2019年1月1日にスタートした。

"「私たちはぜひとも、上って行って、そこを占領しよう。必ずそれができるから。」"
民数記 13章 30節

"また、女の人が銀貨を十枚持っていて、もしその一枚をなくしたら、あかりをつけ、家を掃いて、見つけるまで念入りに捜さないでしょうか。"
ルカの福音書 15章 8節


2️⃣("「しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい」")

エペソ人への手紙 5章 20節に書いてある…"いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。"……

……と書いてある御言葉は実行することができる御言葉だ。

……エペソ人への手紙 5章 20節に書いてある…"いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。"……

……と書いてある実行不可能に思える御言葉を実行できるなどと何を根拠に言うことができるのか…?……と思うだろうか…?

エペソ人への手紙 5章 20節に書いてある…"いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。"……

……と書いてある聖書のことばを実行することができる……と私が言うことができる根拠は……

……私が毎日、いつでも全てのことについて神に感謝しながら日々を過ごすことができているからだ。

私は毎日、その地を歩いているのだから、私は、その地に行くための道順も、とどまり続ける方法も、歩き方も、とどまり続けることができなくなってしまう原因も、

いつも全てのことについて感謝できるようになる道順(必要な手順)も、いつも全ての人を尊敬できるようになる道順(必要な手順)も知っている。

📖"立って、その地を縦と横に歩き回りなさい。わたしがあなたに、その地を与えるのだから。」"
創世記 13章 17節

📖"「このヨルダン川を渡り、わたしがイスラエルの人々に与えようとしている地に行け。
あなたがたが足の裏で踏む所はことごとく、わたしがモーセに約束したとおり、あなたがたに与えている。"
ヨシュア記 1章 2〜3節

神がこれからキリストの体に所有させようとしておられる、まだ未相続のままになっているシャロームの地を偵察する者として…

…神によって、先に遣わされている者が私以外にもいるかもしれないが、私は知らない。まだ会ったことも、そんな人が存在しているうわさを人伝えに聞いたことすらもない。

📖"私たちが巡り歩いて探った地は、すばらしく良い地だった。"
民数記 14章 7節

私の手の中には≪銀貨≫がある。私は毎日、≪いつも全てのことについて神に感謝≫しながら、≪いつも全ての人を尊敬≫しながら日々を過ごしている。

……だからといって私が……"他の者にまさっているのでしょうか。決してそうではありません。"(ローマ人への手紙 3章 9節)

何故なら……他の人にはできて私にはできないことが数多くあるからだ。

……このような言い方をしていると謙遜な言い方をしているように思ってくださる方々がおられるかもしれないが……

……謙遜で言っているのではない……

何故なら……私ができないことのリストの中には、多くの人がいとも簡単にできることも多数含まれているからだ。

……わずかな人にしかできないことができない人は多くいるだろう。金メダリストが金メダリストになれるのは、金メダリスト以外にはできないことを金メダリストができるからだ。

……しかし、多くの人が何の苦もなくできていることであるのに、私にはできないことがいくつもある。

……もしかしたら、クイズが得意な人は、「身体に障害がある」といった予想を思いついているかもしれないが……私は身体に障害は持っていない。

私には身体に障害はないが…多くの人が何の苦もなくできていることが、私にとっては非常に難易度が高い。

……しかし、不思議なことに……

……多くの人が何の苦もなくできていることを実行することが非常に困難な私は……

……何の苦もなく毎日、≪いつも全てのことについて神に感謝≫しながら、≪いつも全ての人を尊敬≫している。

ある人には5タラント、ある人には2タラント、ある人には1タラントと聖書に書いてあるように、

ある人は銀貨を9枚持っているかもしれない。ある人は銀貨を5枚持っているかもしれない。

私の手の中にある銀貨は多くはない……だが…私の手の中にある1枚の銀貨は…キリストの体の中で失われ続けていた銀貨…覆い隠されたままになっていた銀貨だ。

📖"目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。"
(コリント人への手紙第一 2章 9節)

……だから、多くの人が何の苦もなくできることができない小さな私の手の中に……"あるものを上げよう。"

……小さな私が毎日、歩いているシャロームの地を、キリストの体が歩くようになるためだ。

📖"「しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい」"
使徒の働き 3章 6節

私1人であったとしても、シャロームの地を歩くことによって所有できるようになった非常に豊かな祝福の数々を私は所有することができているが……

……私1人で、「この約束の地」=「シャロームの地」をいくら巡り歩こうとも……

……『キリストの体がこの約束の地を歩く』という条件を満たさなければ、決して相続できない祝福がまだ、「この約束の地」=「シャロームの地」に、いくつも未相続のままで残されたままになっている。

この≪銀貨≫=シャロームが、私の手の中にあるだけでなく、キリストの体に属する者たち1人1人の所有となり、やがて、キリストの体の所有となって、この≪銀貨≫を所有しているキリストの体がこの地上を歩くようになる時……

……聖書に書かれていて、聖書の中に「ある」のに、まだ所有できずに、残されたままになっていた未相続の約束の地=シャロームの地の相続と、シャロームの地にある7つの未相続のままだった祝福の相続が開始する。

だから、私の手の中にある≪銀貨≫=シャロームは、私の手の中にあるだけでなく、キリストの体の所有となるために、私の手の中に「ある」。

📖"神はモーセに仰せられた。「わたしは、『わたしはある』という者である。」また仰せられた。「あなたはイスラエル人にこう告げなければならない。『わたしはあるという方が、私をあなたがたのところに遣わされた』と。」"
出エジプト記 3章 14節

📖"主は彼に仰せられた。「あなたの手にあるそれは何か。」"
出エジプト記 4章 2節

📖"また、女の人が銀貨を十枚持っていて、もしその一枚をなくしたら、あかりをつけ、家を掃いて、見つけるまで念入りに捜さないでしょうか。
見つけたら、友だちや近所の女たちを呼び集めて、『なくした銀貨を見つけましたから、いっしょに喜んでください』と言うでしょう。"
ルカの福音書 15章 8〜9節

📖"「私たちはぜひとも、上って行って、そこを占領しよう。必ずそれができるから。」"
民数記 13章 30節


3️⃣(未相続の約束の地=シャロームの地にある7つの祝福)

わたしは「ある」と言われた神の聖書は神の民に「できないこと」は要求しない。聖書は神の民に「できること」だけしか要求しない。

≪いつも全てのことについて神に感謝すること≫と≪いつも全ての人を尊敬すること≫は聖書が神の民に要求していることだ。

何故なら……≪いつも全てのことについて神に感謝すること≫と≪いつも全ての人を尊敬すること≫は……

……神の民にとって「実行可能なこと」=「神の民にとって所有することが可能な約束の地」=「聖書が所有せよと指し示している約束の地」であるからだ。

📖"いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。"
エペソ人への手紙 5章 20節

📖"すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。"
テサロニケ人への手紙第一 5章 18節

📖"尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。"
ローマ人への手紙 12章 10節

📖"へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。"
ピリピ人への手紙 2章 3節

わたしは「ある」と言われた神の聖書が神の民に実行するように要求している≪いつも全てのことについて神に感謝すること≫と≪いつも全ての人を尊敬すること≫を……

……実行できるようになる道順、手順、方法を聖書の御言葉を紐解きながら解き明かしはじめる前に……

わたしは「ある」と言われた神の聖書が神の民に実行するように要求している≪いつも全てのことについて神に感謝すること≫と≪いつも全ての人を尊敬すること≫を……

……キリストの体が実行できるようになることによって、約束の地=シャロームの地の扉が開かれ、約束の地=

シャロームに入る時、どのような恵みと祝福と実りと収穫があるかについて知っておいていただきたい。

何故なら……私が次回のブログ投稿で書く予定にしている≪いつも全てのことについて神に感謝すること≫と≪いつも全ての人を尊敬すること≫が実行できるようになる方法はあまりにも『簡単』なことであり……

……『簡単』なことであるからこそ『できない』方々が多いであろうことが予測されるからだ。

私が次回のブログ投稿で書く予定にしている≪いつも全てのことについて神に感謝すること≫と≪いつも全ての人を尊敬すること≫が実行できるようになるために必要不可欠な『簡単』なことが……

……もしも『できない』のであれば……

……≪いつも全てのことについて神に感謝すること≫と≪いつも全ての人を尊敬すること≫を実行することはできないので……

……以下⬇️に書かせていただく7つの祝福の約束を相続することはできないことを心にとめて、どうか、私が次回のブログ投稿でシェアする予定にしている≪いつも全てのことについて神に感謝すること≫と≪いつも全ての人を尊敬すること≫が実行できるようになるために避けては通れない必要不可欠な『簡単』なことから目をそらすことなく向き合っていただけることを願って……

以下⬇️の「神の民が≪いつも全てのことについて神に感謝すること≫と≪いつも全ての人を尊敬すること≫が実行できるようになった時に、所有できるようになる7つの祝福と恵みと実りについて書かせていただいたので、どうかこれらのことを心にとめていただきたい。

神の民が≪いつも全てのことについて神に感謝すること≫と≪いつも全ての人を尊敬すること≫が実行できるようになった時に、所有できるようになる祝福と恵みと実り①⬇️

……キリストの体の中で、父の心が子に向けられ、子の心がその父に向けられるようになる。

キリストの体の中で、この恵みと祝福が開かれれば、未相続のままになっている残りの6つの恵みと祝福の扉は自然に開かれる。

……しかし、それは反対に言うなら……キリストの体の中で、父の心が子に向けられ、子の心がその父に向けられるようにならないなら……

……未相続のままになっている残りの6つの恵みと祝福の扉も開かれることはないということだ。

……だから、父の心が子に向けられ、子の心がその父に向けられるようになることは、私が書いているブログの主要な目的の1つとなっている。

……だから、肉の血がつながっている肉の父と母と子も、肉の血がつながっていなくて霊の血しかつながっていない肉の父と母と子も……

……互いに心を向け合い、互いに尊敬し合い、互いに感謝し合うことができるようになるために……

……私は心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くし、知性の中に含まれていることばを尽くしながらブログを書かせていただいている。

……私は、霊の血がつながっている肉の父である霊的リーダを引き上げ過ぎることも、引き下げ過ぎることもせず……

……霊的リーダーの子である者たちを、引き上げ過ぎることも、引き下げ過ぎることもしないようにしながら……

……霊的リーダーも霊的リーダーの子である者たちも同じくらいに高く引き上げるために……

……心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くし、知性の中に含まれていることばを尽くしながらブログを書かせていただいている。

📖"父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせる。それは、わたしが来て、のろいでこの地を打ち滅ぼさないためだ。」"
マラキ書 4章 6節

神の民が≪いつも全てのことについて神に感謝すること≫と≪いつも全ての人を尊敬すること≫が実行できるようになった時に、所有できるようになる祝福と恵みと実り②⬇️

神に、とこしえのいのちの祝福を祈って求めなくても、神がとこしえのいのちの祝福を命じてくださる。神がとこしえのいのちの祝福を命じてくださると、どんな存在も妨げることができない。

何故なら……神がとこしえのいのちの祝福を命じてくださった瞬間、神がとこしえのいのちの祝福を命じられた場所にもうすでに、とこしえのいのちの祝福が「ある」からだ。

例えて言うなら…どんなスピードであってもゴールに向かって来るサッカーボールは止めることは不可能ではないかもしれないが、

ゴールの中に最初から「ある」もしくは、「あった」サッカーボールは止めることができない。

📖"見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。
それは頭の上にそそがれた尊い油のようだ。それはひげに、アロンのひげに流れてその衣のえりにまで流れしたたる。
それはまたシオンの山々におりるヘルモンの露にも似ている。主がそこにとこしえのいのちの祝福を命じられたからである。"
詩篇 133篇 1〜3節

神の民が≪いつも全てのことについて神に感謝すること≫と≪いつも全ての人を尊敬すること≫が実行できるようになった時に、所有できるようになる祝福と恵みと実り③⬇️

…キリストの体の中にダビデの幕屋が回復する。

モーセの幕屋には多くの壁があるが、ダビデの幕屋には壁がない。

📖"『この後、わたしは帰って来て、倒れたダビデの幕屋を建て直す。すなわち、廃墟と化した幕屋を建て直し、それを元どおりにする。"
使徒の働き 15章 16節

神の民が≪いつも全てのことについて神に感謝すること≫と≪いつも全ての人を尊敬すること≫が実行できるようになった時に、所有できるようになる祝福と恵みと実り④⬇️

…あなたがたの息子や娘も、しもべも、はしためも預言する…と聖書に書いてあるとおりのことがキリストの体の中で成就するようになる。

📖"『神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。
その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。"
使徒の働き 2章 17〜18節

神の民が≪いつも全てのことについて神に感謝すること≫と≪いつも全ての人を尊敬すること≫が実行できるようになった時に、所有できるようになる祝福と恵みと実り⑤⬇️

キリストの体に与えられている「全ての教団教派」=「全てのグループ」=「全ての器官」が1つの体として互いに出会い、1つの体として結び合わされる。

📖"「あなたは、この民が、『主は選んだ二つの部族を退けた』と言って話しているのを知らないのか。彼らはわたしの民をもはや一つの民ではないとみなして侮っている。」"
エレミヤ書 33章 24節

神の民が≪いつも全てのことについて神に感謝すること≫と≪いつも全ての人を尊敬すること≫が実行できるようになった時に、所有できるようになる祝福と恵みと実り⑥⬇️

キリストの体の各器官が未成熟であったために分裂していた期間、キリストの体が神の御国を地上に来たらせることができる権威の力を薄め、弱めていた安全装置は…

…「私たちも私たちに負いめのある者たちを1人残らず赦しました」というみことばの実行ができている事実という暗証番号の入力によって解除される。

キリストの体の各器官が分裂していて、「私たちも私たちに負いめのある者たちを1人残らず赦しました」というみことばの実行ができている事実という暗証番号が入力できない未成熟な時期は…

…キリストの体が神の御国を地上に来たらせることができる権威の力は薄められ、弱められたままになっている。

キリストの体が御国を来たらせる権威の力を薄め、弱めている安全装置を解除するには2つの暗証番号の入力が必要だ。

……2つの暗証番号とは……

"私たちも私たちに負いめのある者をみな赦します。"(ルカの福音書 11章 4節)

⬆️①みな赦します

"私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。"(マタイの福音書 6章 12節)

⬆️②赦しました

だから、キリストの体が御国を来たらせる権威を薄め、弱めている安全装置は…

①「みな赦します」+②「赦しました」=「みな赦しました」=「赦していない人は1人もいません」という事実という暗証番号が入力されることによって解除される。

キリストの体が、この①+②の暗証番号を入力した時、神はキリストの体を成熟した大人と認めてくださり、キリストの体が神の御国を来たらせる権威の力を薄め、弱めていた安全装置を解除してくださる。

……しかし、反対に言うなら……キリストの体が、この①+②の暗証番号を入力することができていない事実は、キリストの体がまだ未成熟である事実の証明であるため……

……キリストの体が神の御国を来たらせる権威の力を薄め、弱めている安全装置は解除されない。

「みな赦しました」と言うことができない未成熟なキリストの体ですら、これほどまでに偉大な神の御国を世界各国に来たらせることができているなら……

……キリストの体が「みな赦しました」と言える成熟に到達した時には、どれほど偉大な栄光を地上に来たらせることができるようになるのだろうか……。

📖"ところが、相続人というものは、全財産の持ち主なのに、子どものうちは、奴隷と少しも違わず、
父の定めた日までは、後見人や管理者の下にあります。"
ガラテヤ人への手紙 4章 1〜2節

📖"御国が来ますように。"
ルカの福音書 11章 2節

📖"私たちも私たちに負いめのある者をみな赦します。"
ルカの福音書 11章 4節

📖"御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように。"
マタイの福音書 6章 10節

📖"私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。"
マタイの福音書 6章 12節

神の民が≪いつも全てのことについて神に感謝すること≫と≪いつも全ての人を尊敬すること≫が実行できるようになった時に、所有できるようになる祝福と恵みと実り⑦⬇️

最も栄光に満ちた最も力ある伝道が地上を満たすようになる。

"もし互いの間に愛があるなら、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。」"
ヨハネ福音書 13章 35節

キリストの体が≪いつも全てのことについて神に感謝すること≫と≪いつも全ての人を尊敬すること≫が実行できるようになった時に……

……所有できるようになる祝福と恵みと実り①、②、③、④、⑤、⑥、⑦の1つずつを取り出して詳しく書いても、1つかそれ以上のブログを書くことができるかもしれない。

…もし、機会があれば、今後投稿させてもらうブログの中で、1つ1つ詳しく書かせていただく予定だ。

神の民が≪いつも全てのことについて神に感謝すること≫と≪いつも全ての人を尊敬すること≫が実行できるようになった時に、所有できるようになる祝福と恵みと実りは……

……これらの①~⑦以外にもあることだろう。キリストの体が、聖書に書いてあるとおりに成就することを待ち望み続けている祝福と恵みのほとんど全ては…

…神の民が≪いつも全てのことについて神に感謝すること≫と≪いつも全ての人を尊敬すること≫が実行できる成熟に到達した時に、ことごとく所有できるようになる。

神の民が≪いつも全てのことについて神に感謝すること≫と≪いつも全ての人を尊敬すること≫が実行できるようになった時に……

……聖書に書いてあって、神の民に約束されている全ての恵みと祝福の所有が開始され……

……聖書に書いてあって、神の民に約束されている全ての恵みと祝福はキリストの体の所有地となる。

📖"まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしを信じる者は、わたしの行うわざを行い、またそれよりもさらに大きなわざを行います。わたしが父のもとに行くからです。"
ヨハネ福音書 14章 12節

📖"また、女の人が銀貨を十枚持っていて、もしその一枚をなくしたら、あかりをつけ、家を掃いて、見つけるまで念入りに捜さないでしょうか。
見つけたら、友だちや近所の女たちを呼び集めて、『なくした銀貨を見つけましたから、いっしょに喜んでください』と言うでしょう。"
ルカの福音書 15章 8〜9節

📖"「しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい」"
使徒の働き 3章 6節

📖"「立って、このヨルダン川を渡り、わたしがイスラエルの人々に与えようとしている地に行け。
あなたがたが足の裏で踏む所はことごとく、わたしがモーセに約束したとおり、あなたがたに与えている。"
ヨシュア記 1章 2〜3節

📖"「私たちはぜひとも、上って行って、そこを占領しよう。必ずそれができるから。」"
民数記 13章 30節