シャロームを所有する

私は預言の賜物の回復を願っている。しかし私は預言の賜物を否定する方々を心から尊敬し感謝している。私が預言の賜物を熱心に求めて聖書に従うためなら…私は預言の賜物を否定する方々を不満に思い…全て感謝せよと語る聖書に逆らってよいだろうか?預言を認める牧師先生だけ尊敬し…預言の賜物を否定する牧師先生含む5役者や教団教派の方々を尊敬せず…互いに尊敬しなさいと語る聖書に逆らってよいだろうか?自分が建てたい御言葉を建て上げるために他の御言葉を壊してできた砂の上に自分が建てたい御言葉を建て上げ…家を建ててよいのだろうか?

2️⃣/3️⃣「①これまでに書いたブログの総括①キリストの体がまだ相続できていない7つの祝福がある未相続の約束の地=シャロームは≪全てのことについて神に感謝すること≫と、≪全ての人を尊敬すること≫の両方のみことばを実行できる成熟に、キリストの体が到達した時に相続することができる①」

2️⃣("「しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい」")

エペソ人への手紙 5章 20節に書いてある…"いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。"……

……と書いてある御言葉は実行することができる御言葉だ。

……エペソ人への手紙 5章 20節に書いてある…"いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。"……

……と書いてある実行不可能に思える御言葉を実行できるなどと何を根拠に言うことができるのか…?……と思うだろうか…?

エペソ人への手紙 5章 20節に書いてある…"いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。"……

……と書いてある聖書のことばを実行することができる……と私が言うことができる根拠は……

……私が毎日、いつでも全てのことについて神に感謝しながら日々を過ごすことができているからだ。

私は毎日、その地を歩いているのだから、私は、その地に行くための道順も、とどまり続ける方法も、歩き方も、とどまり続けることができなくなってしまう原因も、

いつも全てのことについて感謝できるようになる道順(必要な手順)も、いつも全ての人を尊敬できるようになる道順(必要な手順)も知っている。

📖"立って、その地を縦と横に歩き回りなさい。わたしがあなたに、その地を与えるのだから。」"
創世記 13章 17節

📖"「このヨルダン川を渡り、わたしがイスラエルの人々に与えようとしている地に行け。
あなたがたが足の裏で踏む所はことごとく、わたしがモーセに約束したとおり、あなたがたに与えている。"
ヨシュア記 1章 2〜3節

神がこれからキリストの体に所有させようとしておられる、まだ未相続のままになっているシャロームの地を偵察する者として…

…神によって、先に遣わされている者が私以外にもいるかもしれないが、私は知らない。まだ会ったことも、そんな人が存在しているうわさを人伝えに聞いたことすらもない。

📖"私たちが巡り歩いて探った地は、すばらしく良い地だった。"
民数記 14章 7節

私の手の中には≪銀貨≫がある。私は毎日、≪いつも全てのことについて神に感謝≫しながら、≪いつも全ての人を尊敬≫しながら日々を過ごしている。

……だからといって私が……"他の者にまさっているのでしょうか。決してそうではありません。"(ローマ人への手紙 3章 9節)

何故なら……他の人にはできて私にはできないことが数多くあるからだ。

……このような言い方をしていると謙遜な言い方をしているように思ってくださる方々がおられるかもしれないが……

……謙遜で言っているのではない……

何故なら……私ができないことのリストの中には、多くの人がいとも簡単にできることも多数含まれているからだ。

……わずかな人にしかできないことができない人は多くいるだろう。金メダリストが金メダリストになれるのは、金メダリスト以外にはできないことを金メダリストができるからだ。

……しかし、多くの人が何の苦もなくできていることであるのに、私にはできないことがいくつもある。

……もしかしたら、クイズが得意な人は、「身体に障害がある」といった予想を思いついているかもしれないが……私は身体に障害は持っていない。

私には身体に障害はないが…多くの人が何の苦もなくできていることが、私にとっては非常に難易度が高い。

……しかし、不思議なことに……

……多くの人が何の苦もなくできていることを実行することが非常に困難な私は……

……何の苦もなく毎日、≪いつも全てのことについて神に感謝≫しながら、≪いつも全ての人を尊敬≫している。

ある人には5タラント、ある人には2タラント、ある人には1タラントと聖書に書いてあるように、

ある人は銀貨を9枚持っているかもしれない。ある人は銀貨を5枚持っているかもしれない。

私の手の中にある銀貨は多くはない……だが…私の手の中にある1枚の銀貨は…キリストの体の中で失われ続けていた銀貨…覆い隠されたままになっていた銀貨だ。

📖"目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。"
(コリント人への手紙第一 2章 9節)

……だから、多くの人が何の苦もなくできることができない小さな私の手の中に……"あるものを上げよう。"

……小さな私が毎日、歩いているシャロームの地を、キリストの体が歩くようになるためだ。

📖"「しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい」"
使徒の働き 3章 6節

私1人であったとしても、シャロームの地を歩くことによって所有できるようになった非常に豊かな祝福の数々を私は所有することができているが……

……私1人で、「この約束の地」=「シャロームの地」をいくら巡り歩こうとも……

……『キリストの体がこの約束の地を歩く』という条件を満たさなければ、決して相続できない祝福がまだ、「この約束の地」=「シャロームの地」に、いくつも未相続のままで残されたままになっている。

この≪銀貨≫=シャロームが、私の手の中にあるだけでなく、キリストの体に属する者たち1人1人の所有となり、やがて、キリストの体の所有となって、この≪銀貨≫を所有しているキリストの体がこの地上を歩くようになる時……

……聖書に書かれていて、聖書の中に「ある」のに、まだ所有できずに、残されたままになっていた未相続の約束の地=シャロームの地の相続と、シャロームの地にある7つの未相続のままだった祝福の相続が開始する。

だから、私の手の中にある≪銀貨≫=シャロームは、私の手の中にあるだけでなく、キリストの体の所有となるために、私の手の中に「ある」。

📖"神はモーセに仰せられた。「わたしは、『わたしはある』という者である。」また仰せられた。「あなたはイスラエル人にこう告げなければならない。『わたしはあるという方が、私をあなたがたのところに遣わされた』と。」"
出エジプト記 3章 14節

📖"主は彼に仰せられた。「あなたの手にあるそれは何か。」"
出エジプト記 4章 2節

📖"また、女の人が銀貨を十枚持っていて、もしその一枚をなくしたら、あかりをつけ、家を掃いて、見つけるまで念入りに捜さないでしょうか。
見つけたら、友だちや近所の女たちを呼び集めて、『なくした銀貨を見つけましたから、いっしょに喜んでください』と言うでしょう。"
ルカの福音書 15章 8〜9節

📖"「私たちはぜひとも、上って行って、そこを占領しよう。必ずそれができるから。」"
民数記 13章 30節


3️⃣/3️⃣へ続く