シャロームを所有する

私は預言の賜物の回復を願っている。しかし私は預言の賜物を否定する方々を心から尊敬し感謝している。私が預言の賜物を熱心に求めて聖書に従うためなら…私は預言の賜物を否定する方々を不満に思い…全て感謝せよと語る聖書に逆らってよいだろうか?預言を認める牧師先生だけ尊敬し…預言の賜物を否定する牧師先生含む5役者や教団教派の方々を尊敬せず…互いに尊敬しなさいと語る聖書に逆らってよいだろうか?自分が建てたい御言葉を建て上げるために他の御言葉を壊してできた砂の上に自分が建てたい御言葉を建て上げ…家を建ててよいのだろうか?

1️⃣/3️⃣「①これまでに書いたブログの総括①キリストの体がまだ相続できていない7つの祝福がある未相続の約束の地=シャロームは≪全てのことについて神に感謝すること≫と、≪全ての人を尊敬すること≫の両方のみことばを実行できる成熟に、キリストの体が到達した時に相続することができる①」


1️⃣(キリストの体の中で失われたままになっている≪銀貨≫=未相続のまま残されている約束の地=シャローム )

📖"ところが、相続人というものは、全財産の持ち主なのに、子どものうちは、奴隷と少しも違わず、
父の定めた日までは、後見人や管理者の下にあります。"
ガラテヤ人への手紙 4章 1〜2節

今回のブログは、タイトルに書かせていただいた通りに、これまで書かせていただいた、
107のブログ投稿 ( 改行を増加しただけの投稿も含む ) を総括する内容となっている。

最近…私自身も、ぼんやりとしか見えていなかった私のブログの全体像と目的と、その目的のために必要なことと、1つ1つの道順が今まで以上に、クリアに見えるようになってきている。

私がブログを書いている目的は……キリストの体の中で「こんな御言葉は実行不可能だ」と信じられてしまっていて…

…キリストの体の中から失われたままになっている≪未相続の約束の地≫=キリストの体の中から失われたままになっている≪銀貨≫=シャロームを回復させることだ。

📖"また、女の人が銀貨を十枚持っていて、もしその一枚をなくしたら、あかりをつけ、家を掃いて、見つけるまで念入りに捜さないでしょうか。"
ルカの福音書 15章 8節

…今も、集会のメッセージの中で語られてはいるが、ただ集会のメッセージの中で語られているだけで…

…聞く者たちだけでなく、語る者たちでさえも「聖書に書いてあるが、こんな御言葉は誰も実行できていなくてあたり前のことではないか」…と心の中で信じてしまっているため…

…わたしは「ある」と言われた神の聖書の中に「ある」からこそ、キリストの体が所有することができるはずの≪銀貨≫=所有していて「ある」はずの≪銀貨≫=シャロームが失われたままになっている。

霊的リーダーが会衆席に向かって語るメッセージを、私が聴いていた時、

メッセージを語っていた霊的リーダーが会衆席に向かって、以下⬇️のような質問のことばを投げかけているのを、聴いたことが、今でも私の記憶に残っている。

『エペソ人への手紙 5章 20節に…"いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。"…と書いてありますが…

…もし、みなさんの中に、いつでも、すべてのことについて、感謝できていると言える人がいたら今、手をあげてください。

……誰もいませんね。……私も手をあげることはできません。

…もし、手を上げている人がいたら、その手を上げている人は、いつでも、すべてのことについて、神様に感謝できていないのに、いい格好をしようとして、うそをついて手を上げているだけです。

神様に感謝はできるでしょう。すべてのことについて神様に感謝することもできる時だってあるかもしれません。しかし、この「いつでも」ということばが加わって……

……いつでも、すべてのことについて、神様に感謝することができる人は、私を含めて、誰もいません。」

……なるほど……

……イエスキリストが「罪のない人が最初に石を投げなさい」…と言われた時に少し似ている……

……誰も石を投げることができずに去って行った後で、罪が全くなくて、石を投げることができるイエスキリストは「私もあなたを罪に定めない」…とお語りになられて、神の愛と栄光を現してくださった。

……だが……霊的リーダーが「このエペソ人への手紙 5章 20節のことばに従順できている人がいるなら手を上げてください」…と会衆に向かって語った時に、会衆は誰1人として手を上げることができず…最後に……

……「このエペソ人への手紙 5章 20節のことばに従順できている者は手を上げてください」と会衆に向かって語った本人も……

……「私も、エペソ人への手紙 5章 20節のことばに従順できていないから手を上げることはできません。」…ということばを語り……

……会衆に、この御言葉は実行できていなくて当然のこととして深く印象付け、深く植え付けることは……神が望んでおられることなのだろうか?

📖"しかし、彼といっしょに上って行った者たちは言った。「私たちはあの民のところに攻め上れない。あの民は私たちより強いから。」"
民数記 13章 31節

📖"そこで、私たちはネフィリム人、ネフィリム人のアナク人を見た。私たちには自分がいなごのように見えたし、彼らにもそう見えたことだろう。」"
民数記 13章 33節

……「この御言葉を実行し従順することだけは、私を含め誰にもできない」……それがキリストの体が宣言するべきことばで、それがキリストの体の本来のあるべき姿なのだろうか?

……キリストの体の設計図は聖書だ……

……キリストの体の設計図である聖書は、それがキリストの体の本来の姿だと語っているのだろうか?

……キリストの体によって所有されるべき聖書のことばがまだ残されたままになっているのであれば、聖書の設計図のとおりの本来のキリストの体の姿はまだ失われたままになっている。

……キリストの体は神の御言葉を全て所有して、神の御言葉であるイエスキリストと1つになることによって、キリストの体の設計図に書いてあるとおりの本来の栄光の姿を現すことができる。

確かに、弱さを認めるへりくだりは非常に重要だ。弱さを知らず強さを知っているよりは、強さを知らずに弱さを知っている方がいいかもしれない。

……しかし、もっと良いのは自分の弱さを認め、神にある自分の強さを認めることだ。

……自分の弱さを認めて、へりくだることは、キリストの体における非常に重要な土台だ。土台がなければ築き上げられたものは簡単に倒れてしまう。

……土台の上に築き上げられたものは、次のものが築き上げられるための土台となる。

……土台の上に次の土台が築き上げられ、築き上げられた土台の上に、次の新しい土台が築き上げられる。

……このようにして、キリストの体は、"完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達する"…と書いてある聖書の設計図のとおりに築き上げられる。

📖"こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。
それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、
ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。"
エペソ人への手紙 4章 11〜13節

……このように、キリストの体には成長段階がある。

……だから、このようにして、キリストの体の前の世代の方々が到達できなかった領域に次の世代は到達することができる。

📖"あなたは、わたしがイスラエルの人々に与えようとしている地を、はるかにながめることはできるが、その地へ入って行くことはできない。」"
申命記 32章 52節

しかし、前の世代が到達できなかった領域に次の世代が到達することができたのは……

……前の世代が前進し続けてくれたゆえであることを忘れ、前の世代の方々にたいする尊敬を忘れるなら……

……次の世代は前の世代が到達できなかった領域に到達することはできていても、到達した地を治め、所有し、幸せになることはできない。

📖"あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである。"
出エジプト記 20章 12節

📖"あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が命じられたとおりに。それは、あなたの齢が長くなるため、また、あなたの神、主が与えようとしておられる地で、しあわせになるためである。"
申命記 5章 16節

前の世代の功績ではなくて、前の世代の落ち度に注目し、前の世代が到達できていなかったことについてフォーカスして責め、非難し、前の世代にたいする感謝と尊敬を失った次の世代のミニストリーは土台がない建物のように、しばらくの間建っているだけで、砂の上に建てられた家のように、その時が来ると一瞬にして崩れてしまう。

📖"自分の父をのろい、自分の母を祝福しない世代。
自分をきよいと見、汚れを洗わない世代。
なんとも、その目が高く、まぶたが上がっている世代。
歯が剣のようで、きばが刀のような世代。彼らは地の苦しむ者を、人のうちの貧しい者を食い尽くす。"
箴言 30章 11〜14節

📖"わたしのこれらのことばを聞いてそれを行わない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができます。
雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもそれはひどい倒れ方でした。」"
マタイの福音書 7章 26〜27節

……次の世代…次の世代…次の世代……と何世代にも渡って成長し続けるキリストの体は……

……前の時代には実行不可能だった御言葉であろうとも成長すればするほど、実行可能になり、キリストの体が所有している御言葉の領土は増え広がり続ける。

📖"あなたの神、主が、あなたの先祖たちに誓われたとおり、あなたの領土を広げ、先祖たちに与えると約束された地を、ことごとくあなたに与えられたなら、"
申命記 19章 8節

エペソ人への手紙 5章 20節に書いてある…"いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。"…と書いてある聖書のことばであろうとも例外ではない。

エペソ人への手紙 5章 20節に書いてある…"いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。"……

……と書いてある聖書のことばをキリストの体が遠くから見上げてながめることしかできなかった時代もまたキリストの体が成長するために必要不可欠な避けては通れない道だった。

……しかし、それは成長の途中に通るべき道ではあるが、そのような成長段階はキリストの体がとどまり続ける場所ではない。

「私たちをここまで導いてくれたモーセが約束の地に入れなかったのだから、我々も約束の地に入らずこの場所にとどまり続けよう」と言ってとどまり続けるべきだろうか?

……モーセはそのようなことを喜ぶだろうか?

何世代もかけて前進し続け、成長し続けたキリストの体にとって……

……エペソ人への手紙 5章 20節に書いてある…"いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。"……

……と書いてある聖書のことばは、キリストの体が遠くから見上げてながめるためだけに聖書に書かれて存在している場所ではない。

エペソ人への手紙 5章 20節に書いてある…"いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。"……

……と書いてある聖書のことばは、キリストの体が実行して所有することができる約束の地だ。

私たちの前の世代を生きていた神の民たちが、何世代もの年月をかけて、前進し続けた結果……

……今、キリストの体は、エペソ人への手紙 5章 20節に書いてある…"いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。"……

……と書いてある聖書のことばをはるか遠くにながめることしかできなかった成長段階から、

エペソ人への手紙 5章 20節に書いてある…"いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。"……

……と書いてある聖書のことばを実行してキリストの体の所有地とすることができる成長段階の門の入口まで来ている。

何世代もの年月をかけて、前進し続けた前の世代のゆえに、今、キリストの体は、今まで未相続のままになっていた約束の地の門の入口の前まで来ることができている。

今、エペソ人への手紙 5章 20節に書いてある…"いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。"……

……と書いてある聖書のことばを実行できる成長段階という新しい地に向かって、キリストの体は進むことができる。

……だから、私も以下⬇️の質問のことばを投げかけさせていただこう……

……「エペソ人への手紙 5章 20節に書いてある…"いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。"……

……と書いてある聖書のことばはメッセージを聞く者たちも語る者たちも実行できはしない」……

……そのようなことがキリストの体の設計図である聖書に書いてあるのだろうか?

……そのようなことは、キリストの体の設計図である聖書には書かれていない。

……エペソ人への手紙 5章 20節に書いてある…"いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。"……

……と書いてある聖書のことばはメッセージを聞く者も語る者も実行できはしない……それが聖書の設計図のとおりのキリストの体であると聖書は語っていない。

わたしは「ある」と言われた神の聖書が神の民に実行を要求していることであるなら……

…1つの例外もなく…

……聖書が要求しているとおりに実行可能なことであり、聖書が要求しているとおりに実行することによって、キリストの体の所有地とすることが可能な≪約束の地≫であり…

……イエスキリストの十字架の勝利によって、キリストの体にすでに渡されていて所有できるはずの≪銀貨≫=≪約束の地≫であるはずなのに…

……キリストの体がまだ所有できていないために、失われたままになっている…

……≪未相続のままになっている約束の地≫=≪失われた銀貨≫

=シャロームをキリストの体の所有地とすることができると信じる信仰によって……私はこのブログを書いている。

キリストの体の中で≪失われたままになっていた銀貨≫=シャローム=≪未相続の約束の地≫の入口のドアを開き、キリストの体の所有地とする鍵は……

……≪いつも全てのことについて神に感謝すること≫と≪いつも全ての人を自分よりもすぐれた者として尊敬すること≫をキリストの体が実行できるようになることだ。

……≪いつも全てのことについて神に感謝すること≫と≪いつも全ての人を自分よりもすぐれた者として尊敬すること≫を実行することが所有条件であるなら、所有することなんてできるはずがない………と思うだろうか…?

📖"しかし、彼といっしょに上って行った者たちは言った。「私たちはあの民のところに攻め上れない。あの民は私たちより強いから。」"
民数記 13章 31節

📖"そこで、私たちはネフィリム人、ネフィリム人のアナク人を見た。私たちには自分がいなごのように見えたし、彼らにもそう見えたことだろう。」"
民数記 13章 33節

キリストの体が≪いつも全てのことについて神に感謝すること≫と≪いつも全ての人を自分よりもすぐれた者として尊敬すること≫を実行できるようになる成熟に到達することによって所有できるようになる≪銀貨≫

=シャローム=≪未相続の約束の地≫には≪未相続のままになっていた神の栄光に満ちた7つの祝福≫がある。

今、キリストの体は≪未相続のまま残されていた神の栄光に満ちた7つの祝福≫が備えられている≪未相続のまま残されていた約束の地≫の門の入口の前まで来ている。

キリストの体の中から失われたままになっている≪銀貨≫=≪未相続のまま残されている約束の地≫

=シャロームをキリストの体の所有地とするビジョンと、志と、求めと、願いと、希望と、期待と、感謝と、賛美と、礼拝と、信仰と、確信と、祈りによって……

……私のブログ「シャロームを所有する」は、2019年1月1日にスタートした。

"「私たちはぜひとも、上って行って、そこを占領しよう。必ずそれができるから。」"
民数記 13章 30節

"また、女の人が銀貨を十枚持っていて、もしその一枚をなくしたら、あかりをつけ、家を掃いて、見つけるまで念入りに捜さないでしょうか。"
ルカの福音書 15章 8節


2️⃣/3️⃣へ続く