前回のブログで、神はエクレシアが幼子である期間には……預言の賜物の活性化についての知識を隠すことによって牧師先生に依存させることにより守ってくださるが……エクレシアが年数を重ねて……聖書にこう書いてあるのに"読まなかったのですか"……読む機会、聴く機会はありましたね?……と告げられるような幼子ではない年数になった時には……預言の賜物の活性化についての知識により実を結ばせるために預言の賜物についての知識をエクレシアに徐々に少しずつ明かしはじめる……もし年数が幼子ではなくなった子たちが預言の賜物の活性化についての知識を得たことによって高ぶってしまって牧師先生を見下し侮り、神に語られ示されていないのに神に語られ示されたと言って牧師先生の忠告に耳を傾けることをせずに敵に惑わされ霊や肉や魂に滅びや損害が生じたとしても……読んだことがあるのに聴いたことがあるのに……読んだことがなく聴いたことがなく理解できない幼子のような選択や行動をしたのなら……"読まなかったのですか"……と言われることが当然といえるほどにすでに幼子ではなくなっている者たちは自己責任をおのおの自分自身の背に負わなければならない……といったことについて書かせていただいた。
イエスキリストは……"預言者はヨハネまでです"……と語られた。
……しかし……バプテスマのヨハネの後の時代である使徒の時代にも預言者が存在していたことを聖書は証ししているし、これまでの時代にも現代にも世界中に預言者は存在している。
"ユダもシラスも預言者であったので、多くのことばをもって兄弟たちを励まし、また力づけた。"
使徒の働き 15章 32節
"こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。"
エペソ人への手紙 4章 11節
バプテスマのヨハネ以降の時代にも預言者は存在していたし……現代にも世界中に預言者は存在している……では……イエスキリストが語られた……"預言者はヨハネまでです。"……とはどういうことだろうか?
イエスキリストが語られた……"預言者はヨハネまでです。"……とは……「モーセのような預言者」はヨハネまでです……という意味だ……
……聖書には……"あなたの神、主は、あなたのうちから、あなたの同胞の中から、私のようなひとりの預言者をあなたのために起こされる。彼に聞き従わなければならない。"……と書かれている。だから、イエスキリストが語られた……"預言者はヨハネまでです。"……とは……預言のことばに、まるで大預言者のような権威が与えられているモーセのような預言者はバプテスマのヨハネまでです……という意味だ……
……もちろん旧約聖書に書かれている……"私のようなひとりの預言者"……とはイエスキリストおひとりだけのことであり他の誰のことでもないのだが…………イザヤやエリヤといった旧約聖書時代の預言者たちが語る預言にも……ひとりの大預言者であるイエスキリストのかたちの影であったモーセのような権威があった……
……旧約聖書の時代においては神が預言者をとおして語られる預言のことばに聞き従わないことは……神御自身が語られたことばに聞き従わないことと同じことであった……そのような旧約聖書時代の預言者たちや……モーセのような権威のある預言者は……バプテスマのヨハネまでであることを告げるために……イエスキリストは……"預言者はヨハネまでです。"……と語られた。
8️⃣【②「吟味」と「尊敬」と「信頼」と「依存」】
旧約聖書の時代は……偽預言者ではない「預言者」の預言には聞き従わなければならない時代であったので……知らなければならなかったことは預言を語っている者が「預言者」であるか「偽預言者」であるかということ『だけ』であり……「偽預言者」ではなく「預言者」なのであれば……現代のように間違ったことばが預言のことばの中に部分的に混ざったりしていなかったかどうかを慎重に『吟味』するとかはせずに……「偽預言者」ではない「預言者」の預言のことばには聞き従わなければならない時代だった……
……しかし……バプテスマのヨハネの後に……イエスキリストが天に上げられてから……キリストの体を建て上げるために存在している預言者たちは……唯一の大預言者であるイエスキリストのかたちに似た影であったモーセのような権威が与えられていた旧約聖書時代の預言者……ではなくて……5役者としての預言者であり……偽預言者ではなく確かに神から預言者としての召命と油注ぎが与えられている預言者の預言ではあったとしても『吟味』が必要だ……
……だから新約聖書には……"預言する者も、ふたりか三人が話し、ほかの者はそれを吟味しなさい。"……と書かれている。
……しかし……バプテスマのヨハネの後の時代になっていて……預言者の預言に吟味が必要な現代において……メッセージを語り終えた牧師先生にひとりひとりがあいさつしに行く時に「牧師先生が今日のメッセージの時間に語っておられたことばが聖書と矛盾している点がなかったかどうかをじっくり慎重に吟味させていただき、来週くらいに私の意見を牧師先生にお伝えさせていただきシェアさせていただいてもよろしいでしょうか?」……と言えば……何人の牧師先生が嫌そうな顔をするだろうか?
何人の牧師先生が自分が語ったメッセージについて聖書に矛盾している点はないかについて吟味せずに聞き従うことを願っていたり要求しているだろうか?
牧師先生が語ったメッセージについて聖書に矛盾している点はないかについて吟味することは牧師先生に「失礼」とか「尊敬が足りない」……と思うだろうか?
牧師先生を尊敬することと、牧師先生が語ったメッセージについて聖書に矛盾している点はないかについて吟味することは両立できることだ。「尊敬すること」も「吟味すること」も両方とも聖書が要求していることであるから「尊敬すること」と「吟味すること」は両立できる。牧師先生を「尊敬すること」も牧師先生のメッセージを「吟味すること」も両立することができる。
私は牧師先生を尊敬しているし、信頼もしているが……牧師先生の聖書知識による聖書解釈から出て来る牧師先生のメッセージや教えを……聖書に書いてある御言葉ほどには信頼していない。聖書には100%間違いがないと……100%信頼しているが……完全ではない人間である牧師先生の少し不完全で欠けのある「聖書知識」「聖書理解」「聖書解釈」「聖書メッセージ」「教え」が一字一句100%聖書と一致しているとまでは「信頼」していない……
……もちろん牧師先生を尊敬しているし、牧師先生に感謝している。不完全であっても、なるべく完全に近づけようと心砕き労してくださっている牧師先生を尊敬し感謝することはごく自然なことであると私は思っている。……だが……心砕き労してくださっている牧師先生を尊敬し牧師先生に感謝することと、牧師先生のメッセージや教えを吟味するかしないかは別のことだ……
……牧師先生のメッセージを「吟味」しないことは「盲従」であり『依存』だ……
……もし牧師先生が自分が語ったメッセージを「吟味」されることを喜ばないなら……『束縛』であり……
……もし牧師先生が自分が語ったメッセージを「吟味」されることを喜ばないのであれば……『束縛』を保つための『依存』と「盲従」を喜んでいる……と言えるかもしれない。
……では何故……神は……エクレシアが「牧師先生のメッセージを吟味してはいけない」とこれほどまでに強く思い込むままにさせておられたのだろうか……?……何故なら……幼子にとっては親から多すぎる自由を与えられることは危険であり……束縛が多いことは安全となるからだ。親が幼子を束縛し、幼子が親に依存することで弱く無知な幼子のいのちと健康は守られる……
……エクレシアが弱く無知な幼子であった時代は牧師先生たちにも聖徒たちにも「牧師先生のメッセージを吟味してはいけない」と思い込ませるために……「聖徒たちの牧師先生にたいする依存」を弱めてしまう聖書箇所は牧師先生たちの目からも……聖徒たちの目からも……「奥義」として隠され続けている必要があった……
……しかし……エクレシアが幼子ではなくなった時……牧師先生のメッセージに『欠け』があることを徐々に少しずつ明かされはじめる……
……牧師先生のメッセージに『欠け』があることを明かされるのは……牧師先生のメッセージに『欠け』があると言って牧師先生を責め牧師先生にたいする尊敬を捨てさせるためか……?……もちろんそうではない……牧師先生のメッセージに『欠け』があることを幼子ではなくなったエクレシアに明かされるのは……牧師先生が『欠け』のあるメッセージを一方的に幼子である聖徒に語り教え盲従させ依存させ囲い守り保護する段階から……牧師先生と聖徒が互いに尊敬し合い互いに教え合う次の段階にエクレシアを前進させエクレシアを栄光から栄光に進ませ……これまでの大いなる栄光から……偉大な大いなる栄光に進ませるためだ。
"こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。"
エペソ人への手紙 4章 11節
"これは、預言者ヨエルによって語られた事です。
『神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。
その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。"
使徒の働き 2章 16〜18節
"キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。"
コロサイ人への手紙 3章 16節
"預言する者も、ふたりか三人が話し、ほかの者はそれを吟味しなさい。
もしも座席に着いている別の人に黙示が与えられたら、先の人は黙りなさい。
あなたがたは、みながかわるがわる預言できるのであって、すべての人が学ぶことができ、すべての人が勧めを受けることができるのです。"
コリント人への手紙第一 14章 29〜31節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会