シャロームを所有する

私は預言の賜物の回復を願っている。しかし私は預言の賜物を否定する方々を心から尊敬し感謝している。私が預言の賜物を熱心に求めて聖書に従うためなら…私は預言の賜物を否定する方々を不満に思い…全て感謝せよと語る聖書に逆らってよいだろうか?預言を認める牧師先生だけ尊敬し…預言の賜物を否定する牧師先生含む5役者や教団教派の方々を尊敬せず…互いに尊敬しなさいと語る聖書に逆らってよいだろうか?自分が建てたい御言葉を建て上げるために他の御言葉を壊してできた砂の上に自分が建てたい御言葉を建て上げ…家を建ててよいのだろうか?

9️⃣イエスキリストは言われた…"あなたがたは地上のだれかを、われらの父と呼んではいけません。あなたがたの父はただひとり、すなわち天にいます父だけだからです"…父なる神おひとりの他に…どんな世界的な使徒も預言者も伝道者も牧師も教師も「父」ではない…父の数だけ家があり…父の数だけ分裂がある…だが…キリストの体であるエクレシアがまだ幼かった約2000年間は…使徒も預言者も伝道者も牧師も教師も「父」ではないことは奥義として隠されていなければならなかった

 

前回のブログで……イエスキリストが「預言者バプテスマのヨハネまでです」と語ったこと……イエスキリストが天に上げられた後の預言者バプテスマのヨハネの後の預言者であり……キリストの体を建て上げるための5役者の1つに数えられる預言者には旧約聖書預言者とはちがって吟味が必要であり……偽預言者ではない確かな預言者であっても語る預言1つ1つに吟味が必要であること……について書かせていただいた。

【父なる神おひとりの他に使徒預言者も伝道者も牧師も教師も誰ひとりとして父ではない】

エスキリストは言われた。……"あなたがたは地上のだれかを、われらの父と呼んではいけません。あなたがたの父はただひとり、すなわち天にいます父だけだからです。"

"天におられるわたしの父のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです"……イエスキリストが言われた「わたしの兄弟、姉妹、また母なのです」ということばの中に「父」ということばは入っていない。

もしも……使徒預言者、伝道者、牧師、教師が……聖徒たちの父であるなら……イエスキリストも……天におられるわたしの父のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母、……父なのです……と言っておられたはずだ。人として地上に来ておられたイエスキリストは全ての聖徒の模範であり長男であるからだ。

しかし……全ての聖徒の模範であるイエスキリストには父なる神の他には「兄弟」と「姉妹」と「母」しかいない……

エスキリストが「わたしの兄弟、姉妹、また母」なのですと語る前の節には……"ご覧なさい。あなたのお母さんと兄弟たちが、あなたに話そうとして外に立っています。"……と書いてあり……「お母さん」と「兄弟たち」としか書いていない。……しかしイエスキリストはこのことばに返答する時に……"天におられるわたしの父のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです"……と語り「姉妹」ということばを追加しておられる。……しかし……「父」ということばは追加しておられない……イエスキリストの十字架により父なる神の子とされた全ての者たちの道であり模範であり長男であるイエスキリストには父なる神おひとりの他には「父」はいないように……聖徒たちの「父」は父なる神おひとりだけで……どんな世界的な使徒預言者も伝道者も牧師も教師も「父」ではない……

父なる神おひとりの他に父はなく……使徒預言者も伝道者も牧師も教師も誰ひとりとして「父」ではなくて「兄弟」「姉妹」「母」である理解がキリストの体に臨む時に……キリストの体の中にあった教団・教派・グループの壁は崩れて……父なる神だけが父となり……1つの体……1つの家族となることができる道が開かれる。……しかし……まだ幼かった異邦人のエクレシアは複数の父たちによって整えられることが必要であったので……父なる神おひとりの他に使徒も、預言者も、伝道者も、牧師も、教師も誰ひとりとして父ではないことは奥義としてキリストの体の目から約2000年間の期間隠され続けていなければならなかった。

キリストの体の中に複数の「父」がいる期間はキリストの体は1つの体になることも……1つの家族になることもできない……何故ならキリストの体である聖徒たちの「それぞれの父」がいる数だけ「それぞれの家」があるからだ……キリストの体の中に「複数の父」がいる期間はそれぞれの聖徒たちが……「それぞれの父たち」の「それぞれの家」にいる……

聖霊派には聖霊派の父たちがいて……福音派には福音派の父たちがいる……聖霊派の中にも……福音派の中にも……それぞれの教団・教派・グループがあり……それぞれの教団・教派・グループにもそれぞれの父たちがいる……それぞれの教団・教派・グループの父たちは……他の教団・教派・グループに属する者たちに向かい「家」にとどまりなさい……「家」に帰って来なさい……あなたたちは何故……「正しい教え」……「正しい聖書理解」……「神の御心」に帰って来ようとしないのですか……と心の中で語り合っている……📖"ある人が、「私はパウロにつく」と言えば、別の人は、「私はアポロに」と言う。そういうことでは、あなたがたは、ただの人たちではありませんか。"

"あなたがたはめいめいに、「私はパウロにつく」「私はアポロに」「私はケパに」「私はキリストにつく」と言っているということです。
キリストが分割されたのですか。あなたがたのために十字架につけられたのはパウロでしょうか。あなたがたがバプテスマを受けたのはパウロの名によるのでしょうか。"

全ての使徒預言者も伝道者も牧師も教師も「父」ではないことがキリストの体の目から隠されているので……キリストの体の中には「父たち」の数だけ壁があり……「父たち」の数だけ家があり……「父たち」の数だけ分裂がある……

……しかし……キリストの体であるエクレシアがまだ幼かった約2000年の期間は……主は主からの油注ぎによって……使徒預言者、伝道者、牧師、教師に……「使徒預言者、伝道者、牧師、教師は霊の父である」「霊の父である使徒預言者、伝道者、牧師、教師に聖徒たちは従わなければならない」……と語り語らせ教え教えさせ導き導かせ続けておられた……

……しかし……「霊の父」について聖書にはこう書いてある……"霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。"……「ご自分の聖さにあずからせようとして」と書いてある「ご自分」とは誰のことだろうか?ヘブル人への手紙を書いた著者か?この著者は自分自身を霊の父のひとりと思っているということだろうか?この著者は自分のことを「ご自分」と書いているのだろうか?この著者は「私も霊の父のひとりであり私は私ご自身の聖さにあずからせようとしてあなたたちを懲らしめているのです。」と書いているということなのだろうか?それともこの著者は自分ではなくて使徒ぺテロや使徒ヨハネを霊の父と思って書いているのだろうか?この著者が使徒ぺテロや使徒ヨハネを霊の父と思っているのであれば……この著者は「霊の父である使徒ぺテロや使徒ヨハネは、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。」というようなことを書いたということなのだろうか?

"霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。"……「ご自分の聖さにあずからせるお方」……と書いてある「霊の父」は……父なる神おひとりの他にはひとりもいない。

"あなたがたは地上のだれかを、われらの父と呼んではいけません。あなたがたの父はただひとり、すなわち天にいます父だけだからです。"
マタイの福音書 23章 9節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会