シャロームを所有する

私は預言の賜物の回復を願っている。しかし私は預言の賜物を否定する方々を心から尊敬し感謝している。私が預言の賜物を熱心に求めて聖書に従うためなら…私は預言の賜物を否定する方々を不満に思い…全て感謝せよと語る聖書に逆らってよいだろうか?預言を認める牧師先生だけ尊敬し…預言の賜物を否定する牧師先生含む5役者や教団教派の方々を尊敬せず…互いに尊敬しなさいと語る聖書に逆らってよいだろうか?自分が建てたい御言葉を建て上げるために他の御言葉を壊してできた砂の上に自分が建てたい御言葉を建て上げ…家を建ててよいのだろうか?

2ー①『聖徒が牧師に整えられる時代が満ちなければ、聖徒が5役者に整えられる時代は来ない』

 

使徒預言者、伝道者、牧師、教師の5職の「整え」の中で……牧師の「整え」が最も重要だ。

……だが牧師の「整え」だけしか受けていない聖徒たちは強くなることはできない。

……しかし、もしも貴方が……使徒預言者、伝道者、教師からの「整え」を受けて強くされることによって、「牧師」を見下し、軽視するようになり、5職の「整え」の中で最も重要な牧師からの「整え」「御霊の実」を失うことになるくらいなら、使徒預言者、伝道者、教師からの油注ぎ、力、インパテーション(分与)、教え……等の「整え」は貴方を高ぶらせる毒のようになってしまう……

……だが……もし貴方の中に……使徒預言者、伝道者、教師からの「整え」を受けて貴方が強くされても……「牧師」にたいする感謝と尊敬を失わない「人格的な成熟」があり『御霊の実』があるなら……使徒預言者、伝道者、教師からの「整え」を受けて強くされなさい。使徒預言者、伝道者、教師からの「整え」を神に求めなさい。貴方が神に求めれば、貴方は受けることができる。神は聖徒たちを整えるために「使徒預言者、伝道者、牧師、教師」の「5職」による5つの「整え」を聖徒たちに与えてくださっている。

日本の多くの聖徒たちが現時点で……"人の悪巧みや、人を欺く悪賢い策略により、教えの風に吹き回され"……ていて……"波にもてあそばれたり"……していて……"あらゆる点において成長し"……ていないし(聖徒たちひとりひとりは日々成長しているが、前の世代と今の世代に大差はない。前の世代の最も偉大な者より偉大な者が後の世代には数人いるなら成長していると言えるが、そうでないなら前の世代よりも成長しているとは言えない)……し……"かしらなるキリストに達することができ"……ていない……し……これらのことをかなり大雑把に一言にまとめると=『弱い』……のは……現代の日本の多くの聖徒たちがほとんど牧師からの「整え」しか受けていないからだ。

……日本の多くの聖徒たちが使徒預言者、伝道者、牧師、教師の5職の賜物によって整えられてはおらず……

……日本の多くの聖徒たちが、ほとんど牧師からの「整え」しか受けることができていないので……日本の多くの聖徒たちは『弱い』

……しかし……だったら何故……神は……使徒預言者、伝道者、牧師、教師の #五役者 の「整え」によって日本の聖徒たちを整えて『強く』ならせないのだろうか……

……こういった時はたいていの場合……多くの #クリスチャン たちは「敵が妨げ見えなくしているから」といったことを言う……

……しかし……神はいつでも瞬時に敵のありとあらゆる妨げを完全に消し去り、日本の聖徒たちに「牧師」からの「整え」だけでなく5職による「整え」が必要であることを理解させ、『強く』ならせることができる。

……どんことであっても神に不可能なことは1つもない。

……「神に不可能なことは1つもない」ことを多くの #クリスチャン たちが知っている。

……しかし、多くの #クリスチャン たちが「神に不可能なことは1つもない」とは……『神が敵にやめさせることができないことは1つもないこと』であることを知らない。

……「神に不可能なことは1つもない」とは『神が敵にやめさせることができないことは1つもないこと』であるから……神はいつでも瞬時に敵のあらゆる妨げを完全に消し去り、日本の聖徒たちに「牧師」からの「整え」だけでなく #5役者 による「整え」が必要であることを理解する理解力を与え、『強く』ならせることができる。

……では……神は何のために……敵が使徒預言者、伝道者、牧師、教師の #五役者 によって日本の聖徒たちが整えられないように妨げていることをやめさせないままにしておられるのだろうか……

……日本の聖徒たちが #5役者 の整えによって「強く」なって牧師を軽視するようにならないためだ……

……牧師を軽視することは……人間で言えば、幼い子どもが親を失うことと同じようなことだ。

幼い子どもに最も必要なのは「強さ」だろうか?「賢さ」だろうか?「自由」だろうか?

……幼い子どもに最も必要なのは「親」「親子関係」「家族」「養い」「守り」だ。

もしも、幼い子どもが「強く」なって強くなった自分に誇り高ぶるようになり、「親」を軽視し「親」「親子関係」「家族」「養い」「守り」から離れ去るくらいなら、「弱い」ままでいる方が幼い子どもにとっては良いことだ。

もしも、幼い子どもが「賢く」なって賢くなった自分に誇り高ぶるようになり、「親」を見下し「親」「親子関係」「家族」「養い」「守り」から離れ去るくらいなら、「無知」なままでいる方が幼い子どもにとっては良いことだ。

もしも、幼い子どもの進路を妨げていた障害物が全てなくなり、地上のありとあらゆる楽しみを知り「自由」になって「親」「親子関係」「家族」「養い」「守り」から離れ去るくらいなら、「束縛」されたままでいる方が幼い子どもにとっては良いことだ。

……だから……神は……幼い子どもが「親」「親子関係」「家族」「養い」「守り」から離れ去らないようにするためであれば……幼い子どもに「弱さ」を与え「無知」を与え「束縛」を与え「無力」にならせる。

……神は……生まれてきた全ての人間に「無力さ」を与える。

……幼い子どもにとって最も必要な「親」「親子関係」「家族」「養い」「守り」を幼い子ども自身に求めさせ渇望させ……幼い子どもにとって最も必要な「親」「親子関係」「家族」「養い」「守り」を幼い子どもに与えるためだ。

「この地上の幼い子どもの最大の必要という絵のレンズ」をとおしてキリストの体を見る時、キリストの体の初期に最も必要なことを見ることができる。

……天にあるものが地上にあるものの影なのではなくて、地上にあるものが天にあるものの影であり、地上にあるもののオリジナルは天にあるものであるからだ。

幼い子どもにとって最も必要な「親」「親子関係」「家族」「養い」「守り」を幼い子どもに求めさせ与える神は……まだ幼い聖徒であるクリスチャンに……「牧師に依存しなければならない不安や恐れといった思い」を与え、「牧師」「牧師との関係」「群れ」「養い」「守り」を与える。

キリストの体の初期……まだ幼い聖徒であるクリスチャンたちに最も必要なのは「使徒」ではない。「預言者」ではない。「伝道者」ではない。「教師」ではない。

……キリストの体の初期……まだ幼い聖徒であるクリスチャンたちに最も必要なのは「牧師」だ。

……キリストの体の初期……まだ幼い聖徒であるクリスチャンたちに最も必要なのは「使徒」「預言者」「伝道者」「教師」ではなくて……「牧師」「牧師との関係」「群れ」「養い」「守り」であるから……キリストの体の初期……まだ幼い聖徒であるクリスチャンたちにとって最も必要な「牧師」「牧師との関係」「群れ」「養い」「守り」を失わせないためであれば……聖書に書かれている『聖徒の強さ』を隠して見えなくならせ、「牧師に依存すべき無力な存在」という「聖書的ではない間違った自己像」を聖徒たちが持ち……「弱く」なることすらも……神は「良し」とされる。

……キリストの体の初期……まだ幼い聖徒であるクリスチャンたちが現代の #使徒職 をなしている使徒を見ることは益にならないことが多い。

使徒」はそれまでの時代にはまだ地上に現されていなかった神の御国の奥義を人からではなくて天から最初に受け取り、神の御国のイノベーションを起こすことができる神の御国のイノベーターだ。

……だから「使徒」とは神の御国において、世界で最初に電気を発明したアインシュタインのような発明家のような存在だ。

……もしも……アインシュタインのような発明家が一般的な高学歴の親の家庭を訪問したらどうなるだろうか……今までずっと高学歴の親を尊敬の眼差しで見ていた子どもが……「高学歴な親とは比較にならないほど天才的なアインシュタインのような発明家」と「高学歴の親」を見比べた時……高学歴の親を尊敬の眼差しで見ていた子どもの眼差しはどうなるだろうか?

……だから……偉大な人物の存在について知ることで親にたいする尊敬が薄められるのであれば……知らないままでいる方が良い。親にまさる存在など存在しないと事実ではないことを信じこんでいる方が幼い子どもにとっては良いことだ。

使徒は過去や本の中だけでなく、今の時代にも存在している。

……日本にも現代の使徒のメッセージを聴いている聖徒たちが存在しているが……その多くの人々が本やインターネットによって現代の「使徒」を知り、「預言者」を知り、「伝道者」を知り、「教師」を知っているが……「牧師」にたいする尊敬が薄れ……「使徒」と「預言者」はクローズアップされているが……「牧師」を見失ってしまっていることが多い。

キリストの体の初期……まだ幼い聖徒であるクリスチャンが今の時代の #使徒職 をなしている偉大な現代の使徒を見ると、牧師と使徒を見比べ、牧師を軽視するようになり……「牧師」「牧師との関係」「群れ」「養い」「守り」を離れ去ってしまうことが多い……

……だから神は日本のほとんどの聖徒たちの目から、今の時代にも使徒職をなしている偉大な現代の使徒が存在している事実すらも隠しておられる。

……「使徒」を見ても自分が置かれている群れの「牧師」にたいする感謝と尊敬が薄れてしまわない「成熟」を持っていない幼い聖徒であるクリスチャンにとっては益よりも害の方が多くなってしまうからだ。

……そのような「成熟」や「御霊の実」は「牧師との関係」の中で養われる。

使徒預言者、伝道者、教師は……「牧師」からは得ることのできない「神の御国の奥義」や「深い知識」や「偉大な力」……等を教え与えてくれるが……それら全ては……「御霊の実」を持たない者にとっては……高ぶらせる毒となり害悪となってしまうことがほとんどだ。

使徒預言者、伝道者、教師も御霊の実は持っているが、自分自身の御霊の実で貴方を養ってくれるのは「牧師」だ。

使徒預言者、伝道者、教師は貴方を愛してくれるが、牧師が貴方を愛する愛に比べたら……使徒預言者、伝道者、教師の愛は他人の愛や親戚のおじちゃんやおばちゃんの愛のようなものだ。

貴方のために大いに労苦して貴方を深く愛してくれるのは使徒ではない。預言者ではない。伝道者ではない。教師ではない。牧師だ。

我が子のために大いに労苦して我が子を深く愛してくれるのは発明家のおじではない。金メダリストのおじではない。東大の教授のおじではない。大会社の社長のおじではない。どの親戚のおじも親とは比較にならないほどの富や力や能力を持っているが……どの親戚のおじが愛してくれるよりも……我が子のために大いに労苦し我が子を愛してくれるのは親であるように……使徒預言者、伝道者、教師の誰よりも貴方のために大いに労苦し貴方を愛してくれるのは「牧師」だ。

牧師が神からゆだねられた群れを愛する愛は……親の愛であり、夫が妻を愛するような深い愛であり、ねたむほどの愛だ。

牧師が貴方を愛している愛と、牧師が群れを愛している愛をその群れの中で見たり、知らされたり、知ることによって牧師の御霊の実を見ることができ、生きている御霊の実を見ることができ、知ることができる。生きている御霊の実を見たことのない者は御霊の実を持つことは難しい。誰かの御霊の実によって養われたことがない者が御霊の実を持つ者となることは難しい。

現代の偉大な使徒を見て、牧師と比較し、牧師を見下し、牧師を軽視し、霊的な親子関係を失った者は……本やインターネットで現代の偉大な使徒のメッセージ等を聴くことで、現代のキリストの体の最先端の知識や力や能力に通じていたとしてもトラブルメーカーになることの方が多い。

……高学歴や高収入や優れた能力は人格が整っている者にとっては良いものだが……親子関係の中で親を尊敬し感謝する……といった人格の実が整えられていない者が高学歴や高収入や優れた能力を持っていてもトラブルメーカーになることの方が多いのと同じだ。

……だから……使徒預言者、伝道者、牧師、教師の5職の「整え」の中で……牧師の「整え」が最も重要だ。

……だが牧師の「整え」だけしか受けていない聖徒たちは強くなることはできない。

……しかし、もしも貴方が……使徒預言者、伝道者、教師からの「整え」を受けて強くされることによって、「牧師」を見下し、軽視するようになり、5職の「整え」の中で最も重要な牧師からの「整え」「御霊の実」を失うことになるくらいなら、使徒預言者、伝道者、教師からの油注ぎ、力、インパテーション(分与)、教え……等の「整え」は貴方を高ぶらせる毒のようになってしまう……

……だが……もし貴方の中に……使徒預言者、伝道者、教師からの「整え」を受けて貴方が強くされても……「牧師」にたいする感謝と尊敬を失わない「人格的な成熟」があり『御霊の実』があるなら……使徒預言者、伝道者、教師からの「整え」を受けて強くされなさい。使徒預言者、伝道者、教師からの「整え」を神に求めなさい。貴方が神に求めれば、貴方は受けることができる。神は聖徒たちを整えるために「使徒預言者、伝道者、牧師、教師」の「5職」による5つの「整え」を聖徒たちに与えてくださっている。

"知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を建てます。"
コリント人への手紙第一 8章 1節

"愛は決して絶えることがありません。預言の賜物ならばすたれます。異言ならばやみます。知識ならばすたれます。"
コリント人への手紙第一 13章 8節

"また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません。"
コリント人への手紙第一 13章 2節

"私があなたがたに会いたいと切に望むのは、御霊の賜物をいくらかでもあなたがたに分けて、あなたがたを強くしたいからです。"
ローマ人への手紙 1章 11節

"こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。
それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、
ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。
それは、私たちがもはや、子どもではなくて、人の悪巧みや、人を欺く悪賢い策略により、教えの風に吹き回されたり、波にもてあそばれたりすることがなく、
むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達することができるためなのです。"
エペソ人への手紙 4章 11〜15節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会