【3つの契約を成立させるために支払われたイエスキリストの血】
イエスキリストは何故、十字架にかからなければならなかったのだろうか?
「私たちの罪のため」……「私たちを救うため」……
……そのとおりだ。
……しかし……イエスキリストが十字架にかからなければならなかったのは「私たちの罪のため」……「私たちを救うため」……という絵は……「罪人である私たち」がイエスキリストを見た時に見える絵であり物語りであり、イエスキリストが「罪人である私たちのため」にしてくださったことだ。
……そして、罪人である私たちが天の父なる神を見る時には……私たちを救うために、「天の父なる神のひとり子」を私たちにくださった天の父なる神の絵……天の父なる神が罪人である私たちのためにしてくださったことが見える。
……しかし……天の父なる神がイエスキリストに十字架を背負わせたのは……「私たちの救いのため」……とか……天の父なる神が「私たちエクレシア」を愛しておられたから……だけではない。
"アブラハムは全焼のいけにえのためのたきぎを取り、それをその子イサクに負わせ、"
創世記 22章 6節
天の父なる神がイエスキリストに十字架を背負わせたのは……父なる神が「私たちエクレシア」を愛しておられるからだけではなくて……
……天の父なる神がイエスキリストに十字架を背負わせたのは……父なる神がひとり子イエスキリストを愛しておられるからだ。
イエスキリストに十字架を背負わせた天の父なる神の「ひとり息子であるイエスキリストにたいする父の愛」が見えるだろうか……?
イエスキリストに十字架を背負わせた天の父なる神の「私たちにたいする神の愛」だけではなくて……イエスキリストに十字架を背負わせた天の父なる神の「ひとり息子であるイエスキリストにたいする父の愛」が見えるだろうか……?
……天の父なる神がイエスキリストに十字架を背負わせたのは……イエスキリスト御自身が十字架を背負わなければ、イエスキリストが得ることができないものを「イエスキリストが得るため」だ。
……イエスキリストに十字架を背負わせた天の父なる神の「ひとり息子であるイエスキリストにたいする父の愛」は……天の父なる神が……「父」……であることを見ることによって見えるようになる。
……「父」という存在が、最も愛しているたった1人の息子を愛する愛を見る時に……イエスキリストに十字架を背負わせた天の父なる神の「ひとり息子であるイエスキリストにたいする父の愛」が見える。
……「父」は自分自身以上に愛しているたった1人の息子をどのように愛するだろうか?
……たった1人の息子を自分自身以上に愛している父は……最愛の息子に自分自身を与え……全てを与える。
何よりも誰よりも自分を愛する以上にたった1人の息子を愛している「父」は最愛の息子に「良い仕事」を与える。何故なら、この地上において「良い仕事」は「誉れ」であるからだ。
最愛のたった1人の息子の他に子が1人もいない「父」は、最愛のたった1人の子であり、たった1人の息子に「誉れ」を与える。
……では……天の父なる神は……たった1人の子であるイエスキリストにどのような愛を与えておられるだろうか?
……天の父なる神は……たった1人の子であるイエスキリストに全てを与えておられる。
……天の父なる神は誉れに満ちておられ、誉れである天の父なる神御自身をイエスキリストに与えておられる。誉れである天の父なる神は、誉れである天の父なる神御自身をイエスキリストに与え、「わたしのものは全てあなたのもの」とイエスキリストに語っておられる。……"父が持っておられるものはみな、わたしのものです。"
ヨハネの福音書 16章 15節
……誉れであり、全てである天の父なる神御自身がイエスキリストに与えられている。
……しかし……誉れであり、全てである天の父なる神御自身が与えられている「神のひとり息子であるイエスキリスト」に欠けていたものが1つだけあった……
……誉れであり、全てである天の父なる神御自身が与えられている「神のひとり息子であるイエスキリスト」に1つだけ欠けていたものとは何か……?
……誉れであり、全てである天の父なる神御自身が与えられている「神のひとり息子であるイエスキリスト」に1つだけ欠けていたものは……
……『花嫁』だ……
……何よりも誰よりも自分自身よりも……最愛の1人息子を愛している「父」の心にあることは……最愛の1人息子が「花嫁」を得ることだ。
イエスキリストが十字架にかかられて流された血は3つの契約を成立させた。
①『エクレシアを買い戻したイエスキリストの血』
イエスキリストが十字架にかかられ流された血は……「私たちエクレシア」を奴隷としていた者の手から「私たちエクレシア」を買い戻して「私たちエクレシア」を贖い救うために流された。
②『花嫁料として支払われたイエスキリストの血』
イエスキリストが十字架にかかられ流された血は……「私たちエクレシア」を #イエスキリストの花嫁 とするために、「私たちエクレシア」の父である天の父なる神に……最も高価で高額な花嫁料として支払われた。……"どんなに高い花嫁料と贈り物を私に求められても、あなたがたがおっしゃるとおりに差し上げますから、どうか、あの人を私の妻に下さい。」"
創世記 34章 12節
③『花嫁との結婚の契約を成立させたイエスキリストの血』
イエスキリストが十字架にかかられ流された血によって……イエスキリストは「私たちエクレシア」と結婚の契約を交わし、イエスキリストは「私たちエクレシア」の「花婿」となられた。
イエスキリストは「私たちエクレシア」のために十字架にかかられただけではない。
……イエスキリストは「私たちエクレシア」のために十字架にかかられる前に……イエスキリストの「私たちエクレシア」にたいする御自身の愛を残るところなく示してから、十字架にかかられ、十字架にかかられて流された血によって「私たちエクレシア」との結婚の契約を成立させた。……"さて、過越の祭りの前に、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時が来たことを知られたので、世にいる自分のものを愛されたイエスは、その愛を残るところなく示された。"
ヨハネの福音書 13章 1節
……天の父なる神が十字架にかかられたのではなくて、イエスキリストが十字架にかかられたのは何故だろうか……?
……父なる神の憤りを父なる神が身代わりに受けることはできないからだろうか……?
……そのとおりだ。
……しかし……天の父なる神ではなくて、イエスキリストが十字架にかからなければならなかった理由がもう1つある。
……もし……エクレシアのために十字架にかかったのが、イエスキリストではなくて、天の父なる神であったなら、エクレシアは #イエスキリストの花嫁 ではなくて、天の父なる神の花嫁になってしまう。
……天の父なる神の心は天の父なる神御自身が花嫁を得ることではなくて……「最愛のひとり子イエスキリストが花嫁を得ること」だ。
……だから……天の父なる神はイエスキリストに……「申し訳ないが……わたしが愛する彼ら彼女らが救われるために十字架にかかってくれないか」……と申し訳なさそうに言う必要はない。
……イエスキリストが花嫁を得ることは天の父なる神の最も大きな願いの1つだが……
……イエスキリストが花嫁を得ることは「天の父なる神のため」ではなくて、「イエスキリスト御自身のため」であるからだ。
……多くの #クリスチャン が……イエスキリストが十字架にかかる決断をする前には……「父なる神が深く愛しておられるエクレシアである彼ら彼女らが救われるためには、イエスキリストが十字架にかかることがどうしても必要であること」について父なる神がイエスキリストに伝え……イエスキリストが父なる神を愛しておられ、父なる神が愛しておられる彼ら彼女らをイエスキリスト御自身も愛しておられるので、イエスキリストは十字架にかかる決断をなさった……といったようなことがあった……と多くの #クリスチャン は思っている。
……どうして天の父なる神が「ひとり子であるイエスキリスト」に「十字架にかかってくれないか?」……と申し訳なく思いながらお願いしたり、リクエストしたりする必要があるだろうか……?
……天の父なる神は……「黙示録に書かれている新しい天と新しい地に住む者となっている神の民の将来」を「ひとり子イエスキリスト」に見せながら……「……わたしが最愛のひとり息子の花嫁として選んだ花嫁……」……と一言だけ言うだけで十分だ。「天の父なる神がイエスキリストのためにベストの花嫁として選び計画した花嫁が完全に整えられた花嫁となっている将来」……「黙示録に書かれている新しい天と新しい地に住む者となっている神の民の将来」……天の父なる神の計画……父がイエスキリストのために選んだ花嫁が完全に整えられた将来の姿をイエスキリストが見て……一目惚れしないはずがあるだろうか?
……天の父なる神の目から見てベストな花嫁はイエスキリストの目にもベストな花嫁だ……
……だから……天の父なる神は……「黙示録に書かれている新しい天と新しい地に住む者となっている神の民の将来」を「ひとり子イエスキリスト」に見せながら……「……わたしが最愛のひとり息子の花嫁として選んだ花嫁……」……と一言だけ言うだけで……イエスキリストはイエスキリスト御自身の父がイエスキリストのために選んでくれた花嫁のためにどんなことでも絶対に実行する……と決断しておられた……きっと……世界のはじまる前……創世記1章1節よりももっと前から………………………
"「ここに来なさい。私はあなたに、小羊の妻である花嫁を見せましょう。」"
ヨハネの黙示録 21章 9節
"どんなに高い花嫁料と贈り物を私に求められても、あなたがたがおっしゃるとおりに差し上げますから、どうか、あの人を私の妻に下さい。」"
創世記 34章 12節
"彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。"
イザヤ書 53章 11節
"さて、過越の祭りの前に、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時が来たことを知られたので、世にいる自分のものを愛されたイエスは、その愛を残るところなく示された。"
ヨハネの福音書 13章 1節
"イエスは彼らに言われた。「これはわたしの契約の血です。"
マルコの福音書 14章 24節
"「ここに来なさい。私はあなたに、小羊の妻である花嫁を見せましょう。」"
ヨハネの黙示録 21章 9節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会