シャロームを所有する

私は預言の賜物の回復を願っている。しかし私は預言の賜物を否定する方々を心から尊敬し感謝している。私が預言の賜物を熱心に求めて聖書に従うためなら…私は預言の賜物を否定する方々を不満に思い…全て感謝せよと語る聖書に逆らってよいだろうか?預言を認める牧師先生だけ尊敬し…預言の賜物を否定する牧師先生含む5役者や教団教派の方々を尊敬せず…互いに尊敬しなさいと語る聖書に逆らってよいだろうか?自分が建てたい御言葉を建て上げるために他の御言葉を壊してできた砂の上に自分が建てたい御言葉を建て上げ…家を建ててよいのだろうか?

「悪人に完全なさばきを与え、善人に完全な報いを与える神である主を賛美してシャロームを所有する」

主よ。すべてのことについて主に信頼し、期待し、感謝します。何故なら、主の計画は完全だからです。

主はあらゆる計画を完全に成功させるために必要な3つを所有しておられます。

主は完全な愛と完全な知恵と完全な力(権威)を所有しておられます。

主は全知全能で愛に満ちておられます。

それゆえ、主に不可能はありません。主の完全な愛に満ちた計画は、主の完全な愛と完全な知恵と完全な力(権威)によってことごとく成就します。

主は完全な愛と完全な知恵によって、人に自由意志を与え、選択する自由を与えられました。

主は、人の理解をはるかにこえた完全な知恵によって、悪人が善人に悪を行う自由さえも与え、ゆだねておられます。

"主の御目はどこにでもあり、悪人と善人とを見張っている。"
箴言 15章 3節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会

人々は「何故このような理不尽を見過ごしにしておられるのですか」と神に問いかける。

しかし、主はそのようなことをも許可する資格のあるお方。

何故なら、神はこの地において、悪人をさばき、善人に報いることができるお方。

"もし正しい者がこの世で報いを受けるなら、悪者や罪人は、なおさら、その報いを受けよう。"
箴言 11章 31節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会

そして、この地において見過ごしにされていたことも、肉体が死んで後は、何1つとして未清算のまま見過ごしにされることはない。

エスキリストの十字架によって罪が贖われておらず、清算されていない悪人の全ての罪は何1つとして見過ごされることはなく、ことごとく罰せられる。

そして、知るだろう。地上において受けていた苦しみは罰ではなくて、こらしめであったことを。父なる神の愛であったことを。

"主は、あわれみ深く、情け深い。怒るのにおそく、恵み豊かである。"
詩篇 103篇 8節
"私たちの罪にしたがって私たちを扱うことをせず、私たちの咎にしたがって私たちに報いることもない。"
詩篇 103篇 10節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会

だが肉体が死んで後には、神からのこらしめではなくて、神からの完全な刑罰を受ける。

"そのような者は、神の怒りの杯に混ぜ物なしに注がれた神の怒りのぶどう酒を飲む。"
ヨハネの黙示録 14章 10節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会

もはや、神は そのような者の神ではなく、父ではなく、そのような者をさばくさばき主であって、もはや、そのような者は神に愛されている者、神の子ではない。

神はそのような者は知らないと言われる。

"しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』"
マタイの福音書 7章 23節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会

それは、神との関係の完全な断絶。

肉体の死は神の目には「死」ではない。

"イエスは、このように話され、それから、弟子たちに言われた。「わたしたちの友ラザロは眠っています。しかし、わたしは彼を眠りからさましに行くのです。」
そこで弟子たちはイエスに言った。「主よ。眠っているのなら、彼は助かるでしょう。」
しかし、イエスは、ラザロの死のことを言われたのである。だが、彼らは眠った状態のことを言われたものと思った。"
ヨハネ福音書 11章 11〜13節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会

"人々はみな、娘のために泣き悲しんでいた。しかし、イエスは言われた。「泣かなくてもよい。死んだのではない。眠っているのです。」"
ルカの福音書 8章 52節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会

"彼らにこう言われた。「なぜ取り乱して、泣くのですか。子どもは死んだのではない。眠っているのです。」"
マルコの福音書 5章 39節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会

肉体が死んでも、イエスキリストによって神との関係が保たれている者であるなら、肉体の死は神の目には眠りであり、イエスキリストにあって生き続ける。

"イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。
また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」"
ヨハネ福音書 11章 25〜26節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会

肉体の死は神の目には死ではない。神との関係の断絶こそが死である。

"しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」"
創世記 2章 17節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会

地上で生きている間は、罪によって神との関係は断絶していても、イエスキリストによって回復される望みが残されている。

しかし、神との関係が断絶したまま、肉体が死んだ者は神との関係が回復する望みを永遠に失う。

神との関係が断絶したままで肉体が死に、神の目に完全に死んだ者に神は言われる。「わたしはあなたを知らない」「わたしはあなたの神ではない。あなたはわたしの子ではない。わたしとあなたは何の関係もない」

"『わたしは、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』とあります。神は死んだ者の神ではありません。生きている者の神です。」"
マタイの福音書 22章 32節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会

"ペテロはイエスに言った。「決して私の足をお洗いにならないでください。」イエスは答えられた。「もしわたしが洗わなければ、あなたはわたしと何の関係もありません。」"
ヨハネ福音書 13章 8節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会

そして、肉体が死んで後も、イエスキリストにあって神との関係を保っている者は永遠に生き続け、生きている者の神であられる主は、永遠に神として共におられる。

エスキリストの十字架によって罪が贖われ、清算されている者には肉体が死んで後に、地上で肉体にあった期間に受けることができていなかった受けるべき全ての報いと、それ以上のあらゆる祝福が惜しみ無く与えられる。

このように、神である主は、悪人に完全なさばきを与え、善人に完全な報いを与えることのできるお方であるから、この地上において、悪人が善人に害を与える理不尽さえも許可する資格がある。

"なぜなら、私たちはみな、キリストのさばきの座に現れて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです。"
コリント人への手紙第二 5章 10節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会