シャロームを所有する

私は預言の賜物の回復を願っている。しかし私は預言の賜物を否定する方々も心から尊敬し感謝している。私が預言の賜物を熱心に求めて聖書に従うためなら…私は預言の賜物を否定する方々を不満に思い…全て感謝せよと語る聖書に逆らってよいだろうか?預言を認める牧師先生だけ尊敬し…預言の賜物を否定する牧師先生含む5役者や教団教派の方々を尊敬せず…互いに尊敬しなさいと語る聖書に逆らってよいだろうか?自分が建てたい御言葉を建て上げるために他の御言葉を壊してできた砂の上に自分が建てたい御言葉を建て上げ…家を建ててよいのだろうか?

「①神の御国の秩序の中で生きる①羊を試すために時には羊飼いの目を見えなくならせる神」

もし、霊的リーダーに従ってさえいれば、神の御国において100点満点ということになるなら、誰であろうが努力と忍耐と忍耐と根性と忍耐で100点満点が取れることになるだろう…神の御国はそのようなものではない。

私たちは霊的リーダーに従うべきだろうか?

私が解答するとしたら…「神に従うために霊的リーダーに従うべき時と、霊的リーダーに従わずに神に従うべき時がある」これが私の解答だ。

何故なら、霊的リーダーの指示に従うことができてはいても、神の導きに従うことができていない時があるからだ。霊的リーダーが神の導きとは違う指示をしている時、霊的リーダーに従えてはいても、神には従えていない。

霊的リーダーが神の導きと違う指示をしてしまうことがあるのは、その霊的リーダーと神様との関係に問題があるからだろうか?そうとは限らない。神が霊的リーダーが信徒に間違った指示をするように導いておられるなら、神に導かれたとおりに間違った指示をした霊的リーダーは神の導きのとおりのことをしている。

神は常に神に従順で忠実で献身的な霊的リーダーではあっても、その目を御手で覆い隠し見えなくならせ、間違った指示を信徒にさせる時がある。

何故か?試すためだ。

神に導かれ神の御心の道を進んでいる信徒に、神の御心と違うことをするように霊的リーダーに指示させ、霊的リーダーから指示を受けた信徒が神の導いておられる道の中にとどまるか、霊的リーダーの指示どおりにするかを見、測るために…神は試される。

もしも、神に常に従順で忠実で献身的な霊的リーダーが「私に何の罪も落ち度もないのに、何故、私に神の御心とは違う間違った指示を信徒にさせるのですか」と心の中で神に不平を言い、つぶやくなら…その人はヨブに似ている。まるでヨブの足跡をなぞり、ヨブがしたことをくりかえしているかのようだ…。ヨブは自分には何の落ち度もないのに何故このような災いを私に与えるのですかと神に不平を言った。

神には羊飼いの目を御手で覆い隠し、目の見えない手引きのようにならせる権利がないのか?羊飼いが常に神に従順で忠実で献身的で何の落ち度もなければ神はその権利を失うことになるのか?

"しかし、人よ。神に言い逆らうあなたは、いったい何ですか。形造られた者が形造った者に対して、「あなたはなぜ、私をこのようなものにしたのですか」と言えるでしょうか。"
(ローマ人への手紙 9章 20節)

羊飼いが常に神に従順で忠実で献身的で何の落ち度もなければ、神は「神の目的」のためにその羊飼いを目の見えない手引きのようにならせてはいけないのだろうか?

「神の目的」のためであるのに、目の見えない手引きのようにならせられることを拒否しようというのか?

「羊飼いによって羊に正しい導きを与え、時に羊飼いの目を覆い隠し見えなくならせる主の御名はほむべきかな」と言って賛美と礼拝を神に捧げることをしないのだろうか?

「神であるわたしが羊飼いと羊飼いの羊…両者をあわれむために、羊飼いを目の見えない手引きのようにならせてはいけないのだろうか?」と…もし語られたならどのように返答するだろうか?

もし、羊飼いの指示が常に100%神の御心どおりの方向を指し示しているなら、羊は羊飼いの指示だけを見ていれば良いことにならないだろうか?神はそのようなことを良しとされるだろうか?

神は肉の目で見える羊飼いの聖書に基づいた指示、肉の耳で聞こえる羊飼いが語る聖書に基づいた教えによって歩み生きるよりも、肉の目では見えない神の指示、肉の耳では聞こえない神のことばによって歩み生きるようになることを願ってはおられないだろうか?

もちろん最初からそれができるのではないし、すぐにそれができるようになるのでもない。まず、肉の目で見える霊的リーダーの聖書に基づいた指示、肉の耳で聞こえる霊的リーダーの聖書に基づいた教えによって歩み生きることを羊である信徒は学ばなければならない。

その学びがある程度の段階に到達してきている今の時代において、神は霊的リーダーの目を御手で覆い隠し見えなくならせることが多くなってきている。それは、肉の耳では聞こえない。"子どもたちをわたしのところに来させなさい。"(ルカの福音書 18章 16節)と語っておられる神の声を霊的リーダーたちが聞くためだ。

こういったことを言えば、霊的リーダーたちを見下している多くの人たちが「そのとおりだ」と言うかもしれない。

だから、次回は「『霊的リーダーに従え』とはっきり聖書に書いてあることばを空文にしてはならない」ことについて書かせていただくことにしよう。

"なぜなら、神は、すべての人をあわれもうとして、すべての人を不従順のうちに閉じ込められたからです。"
ローマ人への手紙 11章 32節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会