シャロームを所有する

私は預言の賜物の回復を願っている。しかし私は預言の賜物を否定する方々を心から尊敬し感謝している。私が預言の賜物を熱心に求めて聖書に従うためなら…私は預言の賜物を否定する方々を不満に思い…全て感謝せよと語る聖書に逆らってよいだろうか?預言を認める牧師先生だけ尊敬し…預言の賜物を否定する牧師先生含む5役者や教団教派の方々を尊敬せず…互いに尊敬しなさいと語る聖書に逆らってよいだろうか?自分が建てたい御言葉を建て上げるために他の御言葉を壊してできた砂の上に自分が建てたい御言葉を建て上げ…家を建ててよいのだろうか?

「③神の御国を地上に来たらせる権威③天の御国にパスポートを与える」

天の御国の鍵について、何故か聖書にはこのようには書いてはいない。「あなたがたが天を解くなら天は解かれています」…とは書いていない。

そうではなくて「あなたがたが地上で解くなら、それは天においても解かれています」と書いてある。

天の御国の鍵という名前なのに「天を解くなら天は解かれる」と書いていないのは何故なのか?

天の御国の鍵は「天を解き開き、神の御国を地上に来たらせる鍵」ではないのだろうか?天の御国の鍵は確かに「天を解き開く鍵」だ。確かに主は教会と聖徒に「天を解き開く鍵」である天の御国の鍵を与えてくださっている。

しかし、天を解き開く「だけ」でいいなら、主は教会や聖徒に天を解き開いてもらう必要はない。「御心が天になるごとく」と聖書に書いてある通りに、主は天を解き開くことも閉ざすことも全て自由自在にできるのだから。

…では何故、主は天の御国の鍵を地上の教会や聖徒に与える必要があったのだろうか…?

もし、「天を解く」だけで神様が地上に送りたい祝福を地上に送り放題であるなら、今もうすでに地上の全ては神の御国と神の御心で埋め尽くされている。

「天を解く」だけで御心が天になるごとく地にもなさせることができるなら、今もうすでに、地上は神の御国と神の御心で埋め尽くされている。

しかし、天を解き開くだけでは天の御国を地上に『入らせること』ができない。天の御国が地上に『入る』ためには、天が解かれて開かれるだけでなく『地上で解かれ』天の御国が地上に入れるように地上でゲートが開かれている必要がある。

主は天を解き開くことも閉ざすことも自由自在であり、天に関しては何の制限もない。だが、地上に関してはそうではない。だから聖書に「御心が天になるごとく地にもなさせたまえ」と書いてある。

何故なら、天から地上に向かって来た神の御国が地上に入れるように「地上で解いて」ゲートを開くことに関しては自由自在ではないからだ。

だから、地上を解き開くことができる人間に…人間である地上の教会や聖徒に「天を解き開く」ことができる天の御国の鍵を預ける必要があった。

はたして、天から地上に向かって来た神の御国をサタンが妨げることなんてできるのだろうか?…できるはずがない。

獅子の大群の進路を一匹の蟻が妨げることができるだろうか?…できるはずがない。

では何故、御心が天になるごとく地になっていない場所、神の御国が来ていない場所が地上にまだ残されているのだろうか?

サタンはどのようにして神の御心=神の御国が地上に来れないように妨げているのだろうか?

サタンは神を全く縛ることはできず、サタンは神に制限を与えることは全くできない。

サタンの唯一の方法は神が人間に与えた地上を支配する権威や神が人間に与えた自由意思を「利用」すること。

神は人間を愛し、神を愛することだけしか選択できないロボットのような存在にはせずに自由意思を与えた。これは驚くべきことだ。不可能はない神御自身すら不可侵な「自由意思」という領域を神は人間に与えてくださっている。神御自身を拒む自由さえも、神は人間に与えておられる。

人はこの地上で生きている期間に「自由意思」により「選択」したことに応じて、神の裁きを、肉体が死んで後に受けることになる。

サタンは神にたいして何もできない。サタンは神に向かって「来るな」とは言えない。言ったところで何の影響力もない。…だから…人間に、神に向かって「来るな」と言わせることがサタンの狙いであり策略だ。

サタンは人間、1人1人を誘惑して、1人でも多くの人間が「自由意思」により神を拒む選択をするようにあの手この手で誘いかけている。

サタンの唯一の方法は「人間を利用」することだ。神が人間に与えた地上を支配する権威や人間に与えた自由意思を「利用」すること。

サタンは地上に神の御国が来ることを妨げる力が自分自身にあるかのように見せかけている。

アダムが善悪の知識の木の実から取って、その実をくちにしたので、アダムに与えられていた地上を支配する権威はサタンのものになったと…。

サタン。お前がエバに言ったことばを私はお前に返す。「…と神は、ほんとうに言われたのですか」

そんなことが聖書のどこに書かれている?神がいつそんなルールをつくったと言うのか?

こんなやりとりがあったとでも言うのか?「ほう…神よ。あなたはアダムという人間をつくったのですか…しかし、アダムは神を裏切るかもしれませんよ?1つ賭けをしませんか?もしアダムが神を裏切らなかったらあなたの勝ち。しかし、アダムがあなたを裏切ったら、アダムにあなたが与えた地上の支配権を私がもらいます…よろしいですね?」

…よろしいわけがない。

サタンは神がアダムに与えた地上の支配権が自分のものになっていないのに、自分のものになっているかのように見せかけて偽っている。

実際にはサタンは地上の支配権が自分にはないことを知っている。自分が崇められることが大好きなサタンは自分が使う判子を、サタンの肖像とかサタンの絵とかサタンの銘、蛇や竜等にできるなら当然そうするだろう。サタンは全ての脚光を独り占めしたいと常に欲しているのだから。

だが、黙示録でサタンが使うことになる判子は人間を表す数字六百六十六になっている。サタンは天だけでなく地上においても自分には権威がないことを知っていて、神が人間に与えた権威を「利用」する以外に方法がないことを知っている。

六百六十六とは、バベルの塔のように、神を無視したり、神に逆らう人間たちの集まりの力の象徴。サタンはこの力を利用して神の御国に敵対している。

"地の王たちは立ち構え、治める者たちは相ともに集まり、主と、主に油をそそがれた者とに逆らう。"
詩篇 2篇 2節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会

神の御国が地上に来ようとする時、サタンは以下のようなことばで訴えて妨げようとする。

「神よ。あなたは地上を人間たちに与えて、人間たちを地上の支配者とならせたではありませんか?あなたは人間に裏切られたというのに、今も人間たちに与えた権威を取り消すことをしていないではありませんか。

だから地上はあなたの国ではありません。あなたが地上を人間たちに与え、人間たちを地上の支配者とならせ、今でも取り消していないのですから。

それなのに、地上の支配者である人間の許可なく地上に来ることは不法入国ではありませんか?」

サタンはこのようなことばで訴えて、神の御国が地上に来ることを妨げようとする。

「主が王となることを認めない人間」や「自分が高く上げられることを欲する人間」をそそのかし、神が与えた自由意思と地上を支配する権威を持っている人間を神の御国を妨げる城壁や防波堤として「利用」し、神の御国が来ることができない領域を増やそうとしている。光である神の御国が来れば、闇であるサタンは存在できなくなるからだ。

主は御自身で定められたことに違反することはなさらない。

神から地上を与えていただいたことすら忘れてしまった者たちの子孫たちが地上を支配し、神が王となることを拒否し、地上から神を閉め出し、ゲートを閉めて神が地上に入れないようにしていようと…神は御自身で定められたことに違反することはない。

神が定めた定めに違反することなくイエスキリストは人間となって地上に来られた。

そして、イエスキリストは「天の御国の鍵」=「天の御国を解き開いて、天の御国を呼び出し、地上に来たらせることができる権威」を「イエス様は生ける神の御子キリストです」と信じて聖徒となった人間たちに預けてから、罪が贖われ聖徒となった者たち1人1人を、天の御国の王の権威が与えられている神の子とならせるために十字架にかかり、よみがえって天に上げられた。

だから、教会と聖徒が天の御国の鍵によって、天を解いて開き、天の御国を呼び出すことにより、天の御国が地上に来るだけでなく、地上に入ることができるように、人間である聖徒が、天の御国が地上に入ることを許し、許可し、解いてゲートを開いてしまえば、もはやサタンは神の御国が地上に入ることを妨げることはできない。

神の御国が地上に来ることを妨げようとしてサタンが「不法侵入、不法入国」といくら訴えても、もはや妨げることはできない。

「サタンよ。わたしは地上に来ることを人間に許可されて地上に来た。わたしは地上の人間である教会や聖徒からもらった「地上に来る許可」=『パスポート』をこの手に持っている。だから、わたしは不法侵入、不法入国はしていない。だからお前はわたしが今、持ってきたこの神の御国が地上に入ることを妨げることはできない」

"わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。」"
マタイの福音書 16章 19節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会