シャロームを所有する

私は預言の賜物の回復を願っている。しかし私は預言の賜物を否定する方々を心から尊敬し感謝している。私が預言の賜物を熱心に求めて聖書に従うためなら…私は預言の賜物を否定する方々を不満に思い…全て感謝せよと語る聖書に逆らってよいだろうか?預言を認める牧師先生だけ尊敬し…預言の賜物を否定する牧師先生含む5役者や教団教派の方々を尊敬せず…互いに尊敬しなさいと語る聖書に逆らってよいだろうか?自分が建てたい御言葉を建て上げるために他の御言葉を壊してできた砂の上に自分が建てたい御言葉を建て上げ…家を建ててよいのだろうか?

改行増加バージョン↩️ 1️⃣~2️⃣/5️⃣「①全能の神は全ての人間に永遠の幸せを与えることもできたが、そのようにはなさらず、全ての人間に永遠に幸せになる選択の自由だけではなくて、永遠に不幸になる選択の自由も与えることを、神の愛と義と完全な主権によって定めておられる①」…創世記1章

前回のブログの内容

神は、創世記のはじめのはじめである創世記1章1節~5節の時にすでに……

……全ての時代の全ての人に、「神のあわれみ」=「イエスキリストの十字架の愛」を与える計画について、啓示しておられ……

……神の完全な主権によって定めておられたので……

……サタンがアダムとエバを誘惑して、アダムとエバに、善悪を知る知識の木から取って食べさせることによって……

……アダムとエバとその子孫である全ての時代の全ての人間を……

……不従順のうちに閉じ込める≪許可を≫≪神が≫≪サタンに与えた≫

……このようにして、完全な主権者である神の天地創造が……
……はじまった……

…⬆️といったことが前回のブログで書かせていただいた内容だ。

🗝️"なぜなら、神は、すべての人をあわれもうとして、すべての人を不従順のうちに閉じ込められたからです。"(ローマ人への手紙 11章 32節)


1️⃣(完全な主権者である神にたいする、《善悪を知る知識の木の実》の要求と反発)

聖書には3つの事実が書かれている。

①「神は全能の神であり、神に不可能なことは1つもない」

②「神は愛に満ちている」

③「アダムとエバはサタンの誘惑に敗北してエデンの園から追放された」

……聖書が語っている、これらの3つの事実を見る時……

……人間の中に、以下⬇️のような反発と不協和音が生じる。

「神が愛に満ちていて、不可能なことは1つもない全能の神であるなら…

…何故、アダムとエバはサタンの誘惑に敗北してエデンの園を追放されることになったのだろうか?」

……このような疑問と不協和音とノイズを発生させているのは、人間の中にある《善悪を知る知識の木の実》だ。

…そして、《神が愛の神であるならどうして?》…と思わずにはいられない人間の疑問と反発が、このような不協和音とノイズを生じている。

《善悪を知る知識の木の実》に同意している人間にとっては……

……《神が愛の神であるならどうして?》…と思わずにはいられない人間の疑問と不協和音とノイズは耐え難いものであるため……

……以下⬇️のような矛盾した論法によって、無理矢理に、疑問と不協和音とノイズを打ち消してクリアにしようとする……

……「神が愛に満ちた神で、不可能がない全能の神であるなら…

…アダムとエバがサタンの誘惑に敗北してエデンの園を追放されるようなことにならないように、神が阻止しないはずがない…

…しかし、アダムとエバはサタンの誘惑に敗北してエデンの園を追放されている…

…だから、神は全能の神ではあるが…

…アダムとエバがサタンの誘惑に敗北してエデンの園を追放されてしまうことだけは…

…全能の神であっても、阻止することができなかった理由があるにちがいない…

…ああ…そうだ…わかった…

…神はアダムとエバを神の御心しか選択できないロボットのような存在にはしたくなかった…

…だから、神は全能の神ではあるが…

…アダムとエバがサタンの誘惑に敗北してエデンの園を追放されてしまうことを……

……阻止することだけは、全能の神であっても、どうしてもできなかった……」

⬆️このように、《善悪を知る知識の木の実》に同意している人間は…

……神は全能の神だ……だが……
……全能の神ではあっても……
……このことだけは……できなかった……
……と信じ……

……「神は全能の神であり、不可能なことは1つもない」…と聖書が語っている事実の一部分を否定することによって……

……《神が全能で、愛の神であるならどうしてアダムとエバエデンの園から追放されないようになさらなかったのか?》……

……という疑問と反発と不協和音とノイズを無理矢理に打ち消してクリアにしようとする。

何故なら……《善悪を知る知識の木の実》に同意している人間にとって……

……《神が愛の神であるならどうして?》…と思わずにはいられない疑問と不協和音とノイズは耐え難いものであるからだ。

……だから……

……「神は全能の神であり、神に不可能なことは1つもない」と聖書が語っている事実を否定することになろうとも……

……人間的な「納得」と「安心」を得ようとする。

……しかも、《善悪を知る知識の木の実》に同意している人間には……

……「神は全能の神であり、神に不可能なことは1つもない」…と聖書が語っている事実を否定している自覚がない。

何故なら……《善悪を知る知識の木の実》に同意している人間は……

……「神は全能の神であり、神に不可能なことは1つもない」…と聖書が語っている事実を……

……全く否定してはいないと疑いなく信じているからだ。

《善悪を知る知識の木の実》の要求に同意して、《善悪を知る知識の木の実》と1つになり、《善悪を知る知識の木の実》の代弁者となっている人間には……

……「神は全能の神であり、神に不可能なことは1つもない」と聖書が語っている事実を否定している自覚がなく…

…《善悪を知る知識の木の実》の要求に同意している自覚もなく…

…《善悪を知る知識の木の実》と1つになっている自覚もなく…

《善悪を知る知識の木の実》の代弁者となっている自覚もない。

📖"あなたの心の高慢は自分自身を欺いた。"
オバデヤ書 1章 3節


2️⃣(善悪を知る知識の木の実の要求によってつくりだされた神話的聖書解釈)

人間の中にある《善悪を知る知識の木の実》が要求するものは……

……「人間が愛と認めることができる人間の理想の愛」と「人間が正義と認めることができる人間の理想の正義」だ。

「人間が愛と認めることができる人間にとっての理想の愛」と「人間が正義と認めることができる人間にとっての理想の正義」を求めることは……

……人間にとって良いことで、必要なことだ。

「人間が愛と認めることができる理想の愛」と「人間が正義と認めることができる理想の正義」を求め要求する《善悪を知る知識の木の実》が……

……人間の中にあるからこそ、人間の中には「良心」がある。

「良心」は人間にとって有害なものではなくて、人間にとって良いものであり、必要なものだ。

……しかし、人間にとって良いものである「良心」が……

……「善悪を知る知識の木の実」のように、人間を神に背かせることがある。

何故なら……《善悪を知る知識の木の実》は……

……「人間にとっての理想の愛」と「人間にとっての理想の正義」を……

……聖書の神にすらも要求するからだ。

「善悪を知る知識の木の実」とは「良心」のことであり、「良心」とは「善悪を知る知識の木の実」のことと言えなくもないだろう。

……しかし、私は以下⬇️のように区別して使い分けている。

神に喜ばれ、神の御心にかなっている「良心」=「良心」

神に抗議し、神のことばを否定し、神に背き、神に喜ばれず、神の御心にかなっていない「良心」=「善悪を知る知識の木の実」

神に抗議し、神に背く《善悪を知る知識の木の実》の要求に無自覚に同意している人間は……

……聖書の神に向かって、「人間にとって都合のいい理想の愛」と「人間にとって都合のいい理想の正義」を要求する。

……しかし、聖書の神は……

……「人間にとって都合のいい理想の愛」と「人間にとって都合のいい理想の正義」に重ね合わせることができるような神ではない。

……だから、《善悪を知る知識の木の実》の要求に同意している人間は……

……《人間の聖書解釈》によって、聖書の神の事実の一部分を否定して削り取り……

……「人間にとって都合のいい理想の愛」と「人間にとって都合のいい理想の正義」に満ちた神の……

……《神話》をつくりだし、信じ、礼拝している。

人間の中にある《善悪を知る知識の木の実》は……

……人間が理想として思い描く愛と正義にマッチするように人間が聖書解釈した《神話的聖書解釈》を……

……聖書の神に追加することによってつくりだした神を礼拝させる。

《善悪の知識の木の実》の要求に同意しているクリスチャンが礼拝している神は、確かに聖書の神だ。聖書の神ではない神々ではなくて、確かに聖書の神だ。

《善悪の知識の木の実》の要求に同意しているクリスチャンは……

……確かに聖書の神が約束している祝福のほとんど全てを相続し所有することができている。

……しかし……

……欠けたことが1つある……

何故なら……《善悪を知る知識の木の実》の要求に、同意しているクリスチャンにとって……

……どうしても納得できなくて、受け入れることができない聖書の神の事実の一部分を拒んで削り取り……

……《善悪を知る知識の木の実》の要求に同意しているクリスチャンが……

……納得して受け入れることができる《人間の聖書解釈》=「聖書の神の事実とつじつまが合わない作り話」=《神話的聖書解釈》…と…聖書の神の事実の一部分が……

……置き換えられているために、聖書の神の事実の一部分が失われていて、欠けてしまっているからだ。

《善悪の知識の木の実》の要求に同意しているクリスチャンは……

……《人間の良心(=善悪の知識の木の実)》が……

……理想として思い描く愛と正義に満ちた《神話的聖書解釈》によってつくりあげられた、あるべき神の像を保ち続けるためであるなら……

……聖書の神の事実すらも無自覚に否定する。

……ぺテロもそうだった。

……イエスキリストが十字架で死のうとしておられることについて語りはじめた時……

……《善悪の知識の木の実》の要求に同意していたぺテロは……

……《善悪の知識の木の実》の代弁者となって、イエスキリストのことばを否定した。

何故なら……ぺテロの中にある「良心(=善悪を知る知識の木の実)」がイエスキリストのことばを否定したからだ。

ぺテロはイエスキリストに言った……「そんなことが、あなたに起こるはずはありません」

「そんなことが、あなたに起こるはずはありません」……⬅️このことばはどこから出て来たことばだろうか?

……ぺテロの中にあって、「こうであるべきだ」と要求している「良心(=善悪を知る知識の木の実)」から出て来たことばだ。

「そんなことが、あなたに起こるはずはありません」……⬅️この確信はどこから来ているのだろうか?

……以下⬇️のような神への確信から来ていることばだ。

……「絶対に、神があなたにそんなことが起こらないようにしてくださいます」……

では、⬆️このような確信はどこから来ているのだろうか?

……以下⬇️のような善悪を知る知識の木の実の要求から来ている

「絶対に、神は、そんなことが、イエスキリストに起こらないようにするべきだ」

「神はそんなことがイエスキリストに絶対に起こらないように阻止するべきだ」

⬆️このような《善悪を知る知識の木の実》の要求がぺテロにイエスキリストのことばを否定させた。

何故なら……ぺテロは、ぺテロの中にある「良心(=善悪を知る知識の木の実)」と親しく交わり、以下⬇️のようことばを交わし《善悪を知る知識の木の実》と1つになっていたからだ。

……「こんなに素晴らしいイエスキリストが殺されて死ぬなんて理不尽なことは絶対にあってはならないことだ……

……神がそんなことをなさるはずがない……

……神がそんなことを許可されるはずがない……

……神がそんなことを許可するなんておかしい……

……神はそんなことを許可するべきではない……

……そんなことにならないように神は絶対に阻止するべきだ……

……そうだ……神は絶対にそんなことにならないように阻止してくださる。

……そんなことにならないように神が阻止してくださらないことがあるはずがない……」

ぺテロは⬆️このようにして……

……ぺテロの中にある《善悪を知る知識の木の実》の要求に同意し……

……《善悪を知る知識の木の実》と1つになり、《善悪を知る知識の木の実》の代弁者となって……

……イエスキリストのことばを否定した。

もしかしたらぺテロは以下のようなことを思っていたかもしれない⬇️

「ああ…イエス様も弱気になったり、不信仰になったりすることがあるんだなあ…

…こんな時こそ、年長者として私がイエス様を支えて差し上げなければ…」

ぺテロは以下⬇️のような善悪を知る知識の木の実の要求に同意していた。

「神はイエスキリストが殺されないように絶対に守るべきだ」

ぺテロが「神はイエスキリストが殺されないように絶対に守るべきだ」…と…あまりに強く確信していたので……

……「神はイエスキリストが殺されないように守らないかもしれない」…と思いすらしなかった。

……微塵の疑いもなく「神はイエスキリストが殺されないように絶対に守ってくださる」と確信できている確信の強さは……

……「神はイエスキリストが殺されないように絶対に守るべきだ」…と確信している強さの現れだ。

……ぺテロが無自覚に《善悪を知る知識の木の実》の要求に同意して……

……「神はイエスキリストが殺されないように絶対に守るべきだ」と勝手に判断し、勝手に裁定を下し……

……無自覚に《善悪を知る知識の木の実》の代弁者となっていたため……

……無自覚に、神に向かってぺテロの指をさし向けて「イエスキリストが殺されないように絶対に守るべきだ」と要求していたので……

……ぺテロはイエスキリストのことばを否定した。

聖書に以下⬇️のように書いてある。

📖"その時から、イエス・キリストは、ご自分がエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえらなければならないことを弟子たちに示し始められた。
するとペテロは、イエスを引き寄せて、いさめ始めた。「主よ。神の御恵みがありますように。そんなことが、あなたに起こるはずはありません。」
しかし、イエスは振り向いて、ペテロに言われた。「下がれ。サタン。あなたはわたしの邪魔をするものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」"
マタイの福音書 16章 21〜23節