シャロームを所有する

私は預言の賜物の回復を願っている。しかし私は預言の賜物を否定する方々を心から尊敬し感謝している。私が預言の賜物を熱心に求めて聖書に従うためなら…私は預言の賜物を否定する方々を不満に思い…全て感謝せよと語る聖書に逆らってよいだろうか?預言を認める牧師先生だけ尊敬し…預言の賜物を否定する牧師先生含む5役者や教団教派の方々を尊敬せず…互いに尊敬しなさいと語る聖書に逆らってよいだろうか?自分が建てたい御言葉を建て上げるために他の御言葉を壊してできた砂の上に自分が建てたい御言葉を建て上げ…家を建ててよいのだろうか?

「神を愛することが第一であるなら、第二のことをしている人は神を愛していない?そんなはずはない。」

「第一のこと」と「第二のこと」と主は語られた。「神を愛すること」と「隣人を愛すること」

もし、どちらも同じことであったなら、そこに優先順位はなかっただろう。

しかし、「神を愛すること」と「隣人を愛すること」には、第一のことと第二のこととして区別され、優先順位がつけられている。

「神を愛すること」と「隣人を愛すること」が同じことではないからだ。

確かに、神のために隣人を愛している人は、神を愛している。神を愛するという目的、動機で隣人を愛している。

しかし、ここで主が語っておられるのは、「目的」「動機」ではない。「何をするか」だ。

第二のことを実行している方々は「神のために」という動機で隣人を愛している。

全ての「すること」には「神のために」という動機をつけることができる。

聖書に書いてある。
"もし、私が神に感謝をささげて食べるなら、私が感謝する物のために、そしられるわけがあるでしょうか。
こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい。"
コリント人への手紙第一 10章 30〜31節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会

「神のために」という動機がつけられないこと、「神に喜ばれないこと」「神の御心でないこと」について、主は優先順位をつけることはなさらない。

そんなものは優先順位のリストに入りすらしないので、優先順位のつけようがないからだ。

だから、目的、動機は1つだ「神のため(神の栄光のため)(神の御心のため)」

目的、動機は1つしかないので優先順位をつけることはできない。

しかし、「神のために」という目的、動機で「すること」は1つではない。複数存在する。

もし、「神のために すること」が1つだったら…神のためにすべきこと、神の御心にかなうことは、唯一、このことだけです。他のことは一切してはいけません。「食べること」「寝ること」「遊ぶこと」一切してはいけません。…ということになってしまう。そんなはずはない。

だから「神のためにすること」は複数あり、「神のためにすること」は複数あるので、「神のためにすること」には優先順位がある。

主が お語りになられた第一のことと、第二のこととは、「神のためになすべき」第一のことと、第二のこと。

第二のことは「神のために 隣人を愛すること」第一のことは「神のために 神を愛すること」

「神のために隣人を愛すること」以外の「神のために神を愛すること」とは何か?

神のために…「神を賛美すること」「神を礼拝すること」「神に感謝すること」

これが「神のためにすべきこと」の中で第一のこと。