「第一のこと」と「第二のこと」と主は語られた。「神を愛すること」と「隣人を愛すること」
もし、どちらも同じことであったなら、そこに優先順位はなかっただろう。
しかし、「神を愛すること」と「隣人を愛すること」には、第一のことと第二のこととして区別され、優先順位がつけられている。
「神を愛すること」と「隣人を愛すること」が同じことではないからだ。
確かに、神のために隣人を愛している人は、神を愛している。神を愛するという目的、動機で隣人を愛している。
しかし、ここで主が語っておられるのは、「目的」「動機」ではない。「何をするか」だ。
第二のことを実行している方々は「神のために」という動機で隣人を愛している。
全ての「すること」には「神のために」という動機をつけることができる。
聖書に書いてある。
"もし、私が神に感謝をささげて食べるなら、私が感謝する物のために、そしられるわけがあるでしょうか。
こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい。"
コリント人への手紙第一 10章 30〜31節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会
「神のために」という動機がつけられないこと、「神に喜ばれないこと」「神の御心でないこと」について、主は優先順位をつけることはなさらない。
そんなものは優先順位のリストに入りすらしないので、優先順位のつけようがないからだ。
だから、目的、動機は1つだ「神のため(神の栄光のため)(神の御心のため)」
目的、動機は1つしかないので優先順位をつけることはできない。
しかし、「神のために」という目的、動機で「すること」は1つではない。複数存在する。
もし、「神のために すること」が1つだったら…神のためにすべきこと、神の御心にかなうことは、唯一、このことだけです。他のことは一切してはいけません。「食べること」「寝ること」「遊ぶこと」一切してはいけません。…ということになってしまう。そんなはずはない。
だから「神のためにすること」は複数あり、「神のためにすること」は複数あるので、「神のためにすること」には優先順位がある。
主が お語りになられた第一のことと、第二のこととは、「神のためになすべき」第一のことと、第二のこと。
第二のことは「神のために 隣人を愛すること」第一のことは「神のために 神を愛すること」
「神のために隣人を愛すること」以外の「神のために神を愛すること」とは何か?
神のために…「神を賛美すること」「神を礼拝すること」「神に感謝すること」
これが「神のためにすべきこと」の中で第一のこと。