シャロームを所有する

私は預言の賜物の回復を願っている。しかし私は預言の賜物を否定する方々を心から尊敬し感謝している。私が預言の賜物を熱心に求めて聖書に従うためなら…私は預言の賜物を否定する方々を不満に思い…全て感謝せよと語る聖書に逆らってよいだろうか?預言を認める牧師先生だけ尊敬し…預言の賜物を否定する牧師先生含む5役者や教団教派の方々を尊敬せず…互いに尊敬しなさいと語る聖書に逆らってよいだろうか?自分が建てたい御言葉を建て上げるために他の御言葉を壊してできた砂の上に自分が建てたい御言葉を建て上げ…家を建ててよいのだろうか?

シャロームの所有者に与えられている特権の中で生きる{=すべてのことについて感謝して生きることができる約束の成就の中で生きる}

「すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」と聖書に書いてあるなら、

私たちは、キリスト・イエスにあって、すべての事について、感謝することができることを神が保証してくださっているということだ。

では、何故、全てのことについて感謝することが、こんなにも高いハードルとして、私たちの前に立ちはだかっているのだろうか?

「私たちの信仰が足りないからだ」と言う人もいるだろう。信仰が足りないからと、自分を責め、他者を責めている人もいるだろう。

しかし、私は、信仰が足りないからだけでは、説明が不十分であるように思う。

キリストの体は1つだが各器官があるように、信仰は1つだが、信仰には種類がある。

聖書に これらのことばが書いてある。"からだは一つ、御霊は一つです。あなたがたが召されたとき、召しのもたらした望みが一つであったのと同じです。
主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つです。"

"働きにはいろいろの種類がありますが、神はすべての人の中ですべての働きをなさる同じ神です。"

例えば、癒しのためには、癒しのための信仰が必要で、癒しのための信仰を働かせるための知識が必要だ。

信仰は1つだが、癒しについて、そうであるように、信仰には種類がある。だから、それができない理由は信仰が足りないとか、努力が足りないと言うより、

そのための信仰を働かせるための知識がないからと言う方が適切であるように思う。

聖書に、これらのことばが書いてある。…"「私は、彼らが神に対して熱心であることをあかしします。しかし、その熱心は知識に基づくものではありません。」

「わざわいだ。律法の専門家たち。おまえたちは知識のかぎを持ち去り、自分も入らず、入ろうとする人々をも妨げたのです。」

「しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。」

「そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。」

「信じたとき、聖霊を受けましたか」と尋ねると、彼らは、「いいえ、聖霊の与えられることは、聞きもしませんでした」と答えた。

「あなたがたは、ことばといい、知識といい、すべてにおいて、キリストにあって豊かな者とされたからです。
それは、キリストについてのあかしが、あなたがたの中で確かになったからで、
その結果、あなたがたはどんな賜物にも欠けるところがなく、また、熱心に私たちの主イエス・キリストの現れを待っています。」"

…聖書にこれらのことばが書かれているように、知識はかぎだ。知識の鍵がなければ開くことができない扉、神から私たちに与えられている約束ではあっても、鍵がなければ開けない宝箱がある。

神にたいして熱心であることは尊い。神のために努力することは尊い。尊敬を受けるにふさわしい。しかし、いくら熱心でも、いくら努力しても、知識がなければ、できないことがある。

だから、全てのことについて感謝して生きることができると神が聖書のことばで保証してくださっているのに、

そのための信仰を働かせるために必要な知識がなければ、

その約束の通りに…すべてのことについて感謝して生きることができる約束を成就させながら、

約束の成就の中に生きることができない。神が約束してくださっているシャロームの中に生きることができない。神のシャロームの約束を与えられ、神のシャロームの中にいる者、シャロームの所有者でありながら、

シャロームの中にいる者、シャロームを所有している者としてできるはずの生き方ができない。

すべてのことについて感謝して生きるためには、

何故すべてのことについて感謝できるのか、

どうすれば、すべてのことについて感謝できるのかを知ること等の知識が必要。

すべてのことについて感謝して生きるためには、神がすでに与えてくださっているシャロームについて知ることと、どうすれば神がすでに与えてくださっているシャロームを所有し、失わずに所有し続けることができるのかを知ることが必要。

神が与えてくださっているシャロームについて知ることが、すべてのことについて感謝して生きることができるための知識のかぎ。

シャロームを信じるために、シャロームを知り、シャロームを信じ、

シャロームを保ち、失わないように守るためのすべ、知識、知恵を知り、シャロームを失わないように管理することによって、シャロームを所有している者として、すべてのことに感謝して生きることができる。

私たちは、神からのシャロームを すでに与えられている者、シャロームの所有者。

シャロームの所有者の特権は、イエスキリストにあって、すべてのことについて感謝して生きることができること。

「すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」