シャロームを所有する

私は預言の賜物の回復を願っている。しかし私は預言の賜物を否定する方々を心から尊敬し感謝している。私が預言の賜物を熱心に求めて聖書に従うためなら…私は預言の賜物を否定する方々を不満に思い…全て感謝せよと語る聖書に逆らってよいだろうか?預言を認める牧師先生だけ尊敬し…預言の賜物を否定する牧師先生含む5役者や教団教派の方々を尊敬せず…互いに尊敬しなさいと語る聖書に逆らってよいだろうか?自分が建てたい御言葉を建て上げるために他の御言葉を壊してできた砂の上に自分が建てたい御言葉を建て上げ…家を建ててよいのだろうか?

「②全てのことについて主に感謝するために必要不可欠な柱となる御言葉は…『互いに人を自分よりすぐれた者と思いなさい』②」

主よ…私は大いに主に期待し、感謝と賛美を捧げます。今の既存の教会が
『敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派』を心に持ちながら主に捧げている感謝と賛美と礼拝ですらも、これほどまでに主に喜ばれていて、主の栄光をあらわし、主の祝福を川のように流れさせ満たすことができているのですから…

…であれば、キリストの体の中にあるさばき、批判、非難、不満がことごとく、尊敬、称賛、感謝に変えられ、互いに隣人を口先だけでなく心から尊敬し、称賛し、感謝するようになることによって、

苦味が混ざっていない純粋な心からの純粋な感謝と賛美によって主に礼拝が捧げられるようになれば、そのような苦い水を出さない純粋な甘い水だけを出す泉となった礼拝者たちが、この地に増し加えられるようになるなら…

[コロサイ人への手紙 3:15,16]
『キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのために、あなたがたも召されて一つのからだとなったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。

キリストのことばが、あなたがたのうちに豊かに住むようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、忠告し合い、詩と賛美と霊の歌により、感謝をもって心から神に向かって歌いなさい。』

[エペソ人への手紙 5:19,20]
『詩と賛美と霊の歌をもって互いに語り合い、主に向かって心から賛美し、歌いなさい。

いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって、父である神に感謝しなさい。』

…と聖書に書いてあることが純粋に実行されるようになるなら…

その日、どれほどの栄光があらわされ、どれほどの祝福が満ち溢れ、豊かに川のように流れ出すことでしょう!

主よ…感謝します。主がキリストの体の中に、ピリピ人への手紙 2:3の『…へりくだって、互いに人を自分よりすぐれた者と思いなさい』と書かれている御言葉の柱を築き上げ回復してくださることを感謝します。

主がキリストの体の中から善悪の知識の木の実を取り去り、善悪の知識の木の実によって心の土地に生い茂っているいばら、苦々しさや怒りといったような、自分自身の心に突き刺さる刺々しい感情を取り去るために、十字架でいばらの冠を身代わりに受けて下さったことを感謝します。

私たちの判断、善悪の見分けは不完全です。私たちの判断、善悪の見分けは不完全であるが故に、どんな成熟した預言者の預言ですら、他の預言者の吟味が必要だと聖書に書かれています。

それなのにどうして私たちが互いに互いの王となり、「何故、私の目に善と見えることを行わないで、私の目に悪と見えることを行うことをやめないのか!」と言うことができるでしょうか?

そう言えるのは唯一の神、主だけではありませんか。

主の目には御心であるにもかかわらず、私たちの目には悪に見えることがあります。

私たちの判断、善悪の見分けは不完全であることを認めて、善悪の知識の木の実を棄て、

自分が王であると自称するかのように隣人にたいして王のように上から語ることをやめて、互いに仕え合うしもべとして「私の判断は間違っているかもしれませんが、もしかしたら、あなたは、このようにする方が良いかもしれませんよ?もし、よろしければ参考にしてみてください」と互いに助言し合うようになり、

主に王冠を捧げ、主だけが王となる時、私たちは互いに解放されます。

そして、「さばき、批判、非難」と「いばら」はキリストの体の中から取り去られ、キリストの体の中に、平和(シャローム)が回復されます。

キリストの体の中に平和が回復されると、聖霊様の油注ぎも、祝福も自動的に天からくだり、とどまり続けるようになります。

"見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。
それは頭の上にそそがれた尊い油のようだ。それはひげに、アロンのひげに流れてその衣のえりにまで流れしたたる。
それはまたシオンの山々におりるヘルモンの露にも似ている。主がそこにとこしえのいのちの祝福を命じられたからである。"
詩篇 133篇 1〜3節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会

その日、聖霊様の油注ぎは、キリストの体の一部分にとどめられず、全体に流れ、

「主が与えると約束してくださっている祝福」は、「主が受けよと命じられた祝福」となります。

主の命令はなにものも妨げることはできません。

「主が約束してくださった祝福の約束」が成就し実現するためには信仰によって待ち望む必要がありますが、

「主が受けよと命じられた祝福の命令」はすみやかに成し遂げられます。

主が祝福を受けよと語られたなら、主が光あれと言われた時、すでに光があったのと同じように、その瞬間に祝福が実現しているのです。

主よ…私たちが主と共に働いて、キリストの体の中に平和さえ築き上げることさえできれば、後のことは主が全て成し遂げてくださることを感謝します。

主よ…キリストの体の中に平和をつくることこそ、神の御心がことごとく成し遂げられる最短の近道であることを感謝します。

キリストの体の中に平和が実現する時、最も力ある伝道がなされます。

しかし、主は、キリストの体の中に平和が実現する時を待っていたら、救いが間に合わない人が数えきれないほど存在していることも知っておられ、キリストの体の中に平和をつくることと同時進行で伝道の働きが進められていることを感謝します。

完全な網を完成させるために網を繕う働きと、伝道の働きが同時進行で進められていることを感謝します。

平和をつくる働きと伝道の働きだけでなく、その他のあらゆる働き…キリストの体の中に主が与えて下さった あらゆる教団、教派がそれぞれ担っておられるあらゆる働きとそれぞれの働きを担っておられるおひとりおひとりと全ての隣人を心から尊敬し、感謝します♪ハレルヤ♪