シャロームを所有する

私は預言の賜物の回復を願っている。しかし私は預言の賜物を否定する方々を心から尊敬し感謝している。私が預言の賜物を熱心に求めて聖書に従うためなら…私は預言の賜物を否定する方々を不満に思い…全て感謝せよと語る聖書に逆らってよいだろうか?預言を認める牧師先生だけ尊敬し…預言の賜物を否定する牧師先生含む5役者や教団教派の方々を尊敬せず…互いに尊敬しなさいと語る聖書に逆らってよいだろうか?自分が建てたい御言葉を建て上げるために他の御言葉を壊してできた砂の上に自分が建てたい御言葉を建て上げ…家を建ててよいのだろうか?

「①神が言われた第一のことが本当は何であるのかを知ることによって、人をさばかずにはいられない荒野を脱出しシャロームの地に進む①」

キリストの体である教会、我々の中に何故こんなにも人をさばく罪、人をさばく思いがあふれ返り、そこら中に氾濫しているのだろうか。

主は言われた。"しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」"
ヨハネ福音書 4章 14節

主が このように約束してくださっているのに、私たちからは、さばきの思いが、誰ひとりとして押し止めることができない泉のように溢れている。

それは何故なのか…。

何故なら、キリストの体である教会、我々が第一のことを第一としていないからだ。

何故なら、キリストの体である教会、我々が第二のことを第一としているからだ。

神が定めた原則、優先順位を守らなければ歪みが生じる。

では、第一のこととは何か?神に最も喜ばれることとは何か?

神の国と神の義か?確かに主は言われた。"だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。"
マタイの福音書 6章 33節

しかし、神の国と神の義は、私たちが「求めるべきものの中で」第一のこと。

神の国と神の義を第一に求めることは、神に大いに喜んでいただけること。だが、もっと神に喜んでいただけることがある。

では、第一のこととは何か?神を愛すること?そのとおり。

では、神を愛することとはどうすることですか?

神のために、伝道に貢献すること?とりなしの祈りを捧げること?神のために隣人を愛すること?それが神を愛すること?

確かに聖書にこう書いてある。"神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。"
ヨハネの手紙第一 4章 20節

だから、神を愛することは目に見える隣人を愛すること?

もしそれが第一のことなら…第二は何ですか?第一が神のために隣人を愛することであるなら第二は…?

神のために伝道すること、とりなし、その他の奉仕によって隣人を愛することは、神に大いに喜んでいただけること。だが、もっと神に喜んでいただけることがある。

何故なら、伝道、とりなし、その他の奉仕、隣人を愛することは、第二のことであるからだ。

主は言われた。"次にはこれです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』この二つより大事な命令は、ほかにありません。」"
マルコの福音書 12章 31節

では、第一のこととは何か?主が、第一にせよ と言われた、神を愛することとはどうすることなのか?

神に礼拝を捧げること?神を賛美すること?

そのとおり。神を愛するとは、神に礼拝を捧げること、神を賛美すること。

では、神に最も喜ばれる礼拝、神に最も喜ばれる賛美は何ですか?

何人かのローテーションで毎年、24時間、365日、神のために賛美を絶えず捧げること?

かつて私も、それこそが神を愛すること、神に最も喜ばれることと確信していた。

そして、伝道を第一とする人、とりなしを第一とする人、弟子訓練を第一とする人、神を賛美すること以外を第一とする人を見下し、心の中で、あるいは、ことばを語ることによってさえも、さばいていた。

神を賛美しながら、神が創造された隣人を見下し、非難し、さばいていた。

神を賛美しながら、神が創造された隣人、神の作品を非難していた。

聖書にこう書いてある。"私たちは、舌をもって、主であり父である方をほめたたえ、同じ舌をもって、神にかたどって造られた人をのろいます。
賛美とのろいが同じ口から出て来るのです。私の兄弟たち。このようなことは、あってはなりません。"
ヤコブの手紙 3章 9〜10節

神に最も喜ばれる礼拝とは何ですか?神に最も喜ばれる賛美は何だと思いますか?

神に最も喜ばれる礼拝、神に最も喜ばれる賛美、第一の中の第一のことは、『神にすべての事について感謝すること』

"すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。"
テサロニケ人への手紙第一 5章 18節

神を賛美するだけでなく、神の作品である隣人の存在を感謝し、喜び、尊敬することによって、神を賛美すること。

神を賛美するだけでなく、この世にある全ての良いことも、悪いことも感謝することによって、神を賛美すること。

何故なら、神が存在を許可しない悪も、不幸も何一つとして存在することができないからだ。

神が、私の心の痛みと比べ物にならないほどに心を痛めながら、神の知恵と力と愛に満ちた計画、目的のために神が存在を許可しておられるゆえに、この世の全ての悪と不幸が存在していることを感謝することによって、神を賛美すること。

神を賛美するだけでなく、全てのことを、全ての人の存在を、全ての教団教派の存在を、全ての出来事を、全ての被造物の存在を感謝することによって神を賛美すること…

これが『神を愛すること』これが『第一のこと』