聖書にこう書いてある。「すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」
すべての事について感謝して生きることができる特権。
これが、イエスキリストのゆえに、神が、この地上において、私たちに与え、所有させてくださっているエデンの園、神の国、約束の地、シャローム。
アダムとエバはエデンの園は所有していたが、すべての事について感謝して生きることができる特権を所有していなかったため、エデンの園を敵に奪われた。
しかし、十字架の贖いによって、イエスキリストがこの特権を奪い返して下さったので、私たちは、この特権を所有して生きることができる。
この地上がエデンの園であるかのように、この地上で、全てのことについて感謝して生きることができる。
私たちは、そのように生きることができる。この地上を全てのことについて感謝することができる場所とし、生きることができる。
私たちは信仰によって、この地上を「全てのことについて感謝できる場所」に変えるのではない。
私たちは信仰によって、この地上が、「全てのことについて感謝できる神の御手の内にある場所」であるという、イエスキリストにある事実、真理を知り、
天のエルサレムがまだ天から下って来ていなくても、この地上で、その事実通りに生きることができる。
しかし、反対に、豊かさと満たしの中にいたはずの放蕩息子が飢え死にしそうになったように、
私たちは信仰によって、イエスキリストにあって、エデンの園のように、全てのことについて感謝することができるはずのこの地上にいながら、砂漠にいるかのように生きることもできる。
何故、この地上が全てのことについて感謝することができる場所だと言えるのだろうか、
それは聖書にこう書いてあるからだ。「すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」