シャロームを所有する

私は預言の賜物の回復を願っている。しかし私は預言の賜物を否定する方々を心から尊敬し感謝している。私が預言の賜物を熱心に求めて聖書に従うためなら…私は預言の賜物を否定する方々を不満に思い…全て感謝せよと語る聖書に逆らってよいだろうか?預言を認める牧師先生だけ尊敬し…預言の賜物を否定する牧師先生含む5役者や教団教派の方々を尊敬せず…互いに尊敬しなさいと語る聖書に逆らってよいだろうか?自分が建てたい御言葉を建て上げるために他の御言葉を壊してできた砂の上に自分が建てたい御言葉を建て上げ…家を建ててよいのだろうか?

1ー⑨「イエスキリストは十戒の"殺してはならない"ということばを "兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません。"……と言いかえることによって、さらに詳しく深く深く掘り下げて解説し説明し解き明かしておられる」



前回の1ー⑧のブログで、旧約聖書のはじめから神は神の民たちに "殺してはならない"……と語っておられたことを、新約聖書の時代に、イエスキリストがことばと行いによって解き明かし啓示しておられることについて書かせていただいた。

エスキリストが「殺してはならない」と語ったことについては、キリストの体であるほとんど全ての教団・教派・グループにおいても「常識」「共通理解」「共通認識」となっていることだろう。

……では……イエスキリストが旧約聖書十戒に書いてある "殺してはならない"……ということばをさらに深く深く掘り下げてさらに詳しくどのように解説し解き明かしたかについては知っているだろうか?

エスキリストは旧約聖書十戒に書いてある "殺してはならない" ……ということばについてさらに深く深く掘り下げて……"腹を立てる者"……は旧約聖書十戒に書いてある "殺してはならない" ということばに違反しているのと同じようなことであることについて解説し解き明かしておられる。

"殺してはならない" ということばの中に「誰かに腹を立ててはならないこと」も含まれていることについては、あまり知られていないし、聞いたことがない方々が多くおられるかもしれない。私もそんなメッセージをしている人にオンラインでもオフラインでも本でもまだ会ったことがない。

……しかし、十戒の "殺してはならない" についてイエスキリストがどのように解説したかについてではなくて、十戒の "姦淫してはならない。"……という戒めについて、イエスキリストがどのように解説しておられるかは、キリストの体であるほとんどの教団・教派・グループにおいて、語られ、知られていることではないだろうか。……聖書に以下のように書いてある。

"『姦淫してはならない』と言われたのを、あなたがたは聞いています。
しかし、わたしはあなたがたに言います。だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。"
マタイの福音書 5章 27〜28節

エスキリストは十戒の "姦淫してはならない" ということばについて、「心の中で姦淫している者」は旧約聖書十戒に書いてある "姦淫してはならない"……ということばに違反しているのと同じようなことであることを解説し解き明かしておられることについては、キリストの体であるほとんどの教団・教派・グループにおいて、語られ、知られていることであり、「心の中で姦淫している者」は旧約聖書十戒に書いてある "姦淫してはならない" ということばに違反しているのと同じようなことであることについては、「常識」「共通理解」「共通認識」となっていることだろう。

エスキリストが十戒の "殺してはならない"……ということばをさらに深く深く掘り下げて…… "兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません"……ということばでさらに詳しく解説し解き明かしておられることについてはあまり知られていないが……"姦淫してはならない"……ということばの中には「心の中で姦淫してはならない」も含まれていることをイエスキリストが解説し解き明かしたことについては広く知られているのは何故だろうか……?……"兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません"……と聖書に書かれている御言葉については、神からメッセージを預かる立場にある方々自身がほとんど実行できていない自覚があり、心の中で姦淫しないことは実行可能な範囲だが、どうがんばっても"兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません"……と書いてある御言葉に関しては、努力していればいつの日か実行できるようになると思うことすらできそうにないこともあって、自分の教会に所属している信徒たちに知られると、色々と都合が悪いので、個人的に聖書を読んでいる時間に目にするだけで、メッセージの時間に深く掘り下げて語ったり教えたりはしたくないと思うことは自然な流れと言えるだろう。……このような5役者の威厳や尊厳や権威や立場を弱めてしまう御言葉を、あまり人目につかないように隠し続けることを、神はずっと見過ごし続けておられた。キリストの体が、5役者を神のように見上げているべき幼子の「時期」「段階」だったので、信徒に知れ渡ると5役者の威厳や尊厳や権威や立場を弱めてしまうことになるような、5役者にとって都合の悪い御言葉には、なるべくスポットライトをあてずになるべく人目につかないように隠し続けていることを神が見過ごし続けておられたので隠すことができていた。……しかし、聖書に以下のように書いてある。

"隠れているもので、あらわにならぬものはなく、秘密にされているもので、知られず、また現れないものはありません。"
ルカの福音書 8章 17節

エスキリストは神の民たちに向かって……"『姦淫してはならない』と言われたのを、あなたがたは聞いています。"……と語った後で……"しかし、わたしはあなたがたに言います。" ……と告げた後に……"だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。" ……と語ることによって、十戒の『姦淫してはならない』……ということばについてさらに深く掘り下げて詳しく解説しておられる。

「イエスキリストが解説したこと」なのであれば、それは「解き明かされた真理の啓示」であり、十戒の『姦淫してはならない』……ということばの中には「情欲をいだいて女(男)を見てはならない」こと「心の中で姦淫してはならない」ことが含まれているということだ。

……十戒の "姦淫してはならない" も、"殺してはならない" も……作者が複数の意味を込めて書いた1枚の絵のようだ。人々はその1枚の絵を見ただけでは、まさかそんな意味まで込められ含まれている絵であることは全くわからない。……しかし……人々は知らなくても、その絵を描いた作者は知っている。

エスキリストは、その絵の作者である父なる神と1つのお方であり、父なる神である作者が書いた その絵はイエスキリストについて説明している絵であるからだ。

……だから、イエスキリストは十戒の『姦淫してはならない』……ということばの中に使用されている1つ1つの色や技法やその他の全てを完全に「余すことなく」「過不足なく」「残るところなく示し」深く深く掘り下げて解説し説明することができる。

"さて、過越の祭りの前に、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時が来たことを知られたので、世にいる自分のものを愛されたイエスは、その愛を残るところなく示された。"
ヨハネ福音書 13章 1節

"いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。"
ヨハネ福音書 1章 18節

エスキリストは神の民に向かって……"『姦淫してはならない』と言われたのを、あなたがたは聞いています。"……と語った後で、"しかし、わたしはあなたがたに言います。" ……と告げた後に…… "だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。" ……と語ることによって、十戒の『姦淫してはならない』ということばについてさらに深く掘り下げて詳しく解説しておられるだけでなく…… 十戒の "殺してはならない"……ということばについても……"昔の人々に、『人を殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない』と言われたのを、あなたがたは聞いています。"……と語った後で……"しかし、わたしはあなたがたに言います。"……と明確にはっきりと告げた後に…… "兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません。"……と語ることによって、十戒の『殺してはならない』ということばについてさらに深く深く掘り下げて詳しく解説し、
「誰かに向かって腹を立てること」は、十戒の『殺してはならない』に違反しているのと同じようなことであることについて解き明かし、はっきりと明確に啓示しておられる。

……だから、「心の中で姦淫すること」は……「神の目」「神のルール」においては……"姦淫してはならない" に違反したことと同じことのように見なされるように……

「誰かに向かって腹を立てること」も……「神の目」「神のルール」においては……"殺してはならない" に違反したことと同じことのように見なされる。

……何故なら聖書に以下のように書いてあるからだ……

"『姦淫してはならない』と言われたのを、あなたがたは聞いています。
しかし、わたしはあなたがたに言います。だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。"
マタイの福音書 5章 27〜28節

"『人を殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない』と言われたのを、あなたがたは聞いています。
しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません。"
マタイの福音書 5章 21〜22節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会