シャロームを所有する

私は預言の賜物の回復を願っている。しかし私は預言の賜物を否定する方々を心から尊敬し感謝している。私が預言の賜物を熱心に求めて聖書に従うためなら…私は預言の賜物を否定する方々を不満に思い…全て感謝せよと語る聖書に逆らってよいだろうか?預言を認める牧師先生だけ尊敬し…預言の賜物を否定する牧師先生含む5役者や教団教派の方々を尊敬せず…互いに尊敬しなさいと語る聖書に逆らってよいだろうか?自分が建てたい御言葉を建て上げるために他の御言葉を壊してできた砂の上に自分が建てたい御言葉を建て上げ…家を建ててよいのだろうか?

さばきを放棄して新しい皮袋とシャロームを所有する②

主は言われた。「わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは預言者の墓を建て、義人の記念碑を飾って、『私たちが、父祖たちの時代に生きていたら、預言者たちの血を流すような仲間にはならなかっただろう』と言います。」

エス様が受肉して、人として地上におられた時代の多くの教会のリーダーたちは、聖霊様によって働きをしておられたイエス様の働きを、悪霊の働きと断定していた。

それと同じように、今の時代の多くの教会のリーダーたちによって、悪霊の働き、聖霊様に喜ばれていない働きと断定されている働きから日本のリバイバルは起こるかもしれない。

日本にリバイバルを起こす新しい聖霊様の働きを、今の時代の多くの教会のリーダーたちは悪霊の働き、聖霊様に喜ばれていない働きと断定し、その働きに参加せず、その働きの外にいることを選ぶかもしれない。

もし、今の時代の教会のリーダーたちが「そんなことはあるはずがない…!」と言うなら…『私たちが、父祖たちの時代に生きていたら、預言者たちの血を流すような仲間にはならなかっただろう』と言っていた律法学者、パリサイ人と一体どこが違うと言うのだろうか?同じではないか?

主は言われた。「預言者預言者として受け入れる人は、預言者と同じ報いを受ける」

預言者預言者として受け入れ難い「つまずきとなるもの」をその身に帯びていることがある。

この日本にリバイバルをもたらす聖霊様の新しい働きを受け入れ、参加する人、人々、グループは、今の時代の多くの教会のリーダーたちにとっても、私たち古い皮袋である者たちにとっても、「つまずきとなるもの」を帯びているかもしれない。

それは、古い皮袋が古い皮袋のままで新しいぶどう酒の中に入ることができないようにするためなのだろう。

今の時代の多くの教会のリーダーたちにとって、「ナザレから、何の良いものが出るだろう」「この人から何の良いものが出るだろう」「この人たち、このグループから何の良いものが出るだろう」と思われているところから日本のリバイバルは起こるかもしれない。

主は言われた。「また、古いぶどう酒を飲めば、だれも新しいものを欲しがらない。『古いものの方がよい』と言うのである。」

すでになんらかの聖霊様のムーブメントに深く携わったことがあって、すでに古い皮袋の資質を持っている私たちの目には、新しい聖霊様のムーブメントが悪霊の働き、聖霊様に喜ばれていない働きに見えることを承知しておかないなら、私たちは新しいぶどう酒の中に入ることはできない。

エス様がお乗りになったろばの子のように、聖霊様のなんらかのムーブメントの中にまだ、入ったことのない者たちは新しいぶどう酒の中に容易に入ることができる。今は古い皮袋となっている私たちが、かつてそうであったように。

善悪の知識の木の実を所有する者たちは、聖霊様の新しいムーブメントの外にあって、さばき、非難することになるのではないだろうか。

日本のリバイバルのために忠実に長年仕え続けてきた人たちの多くがそうなるかもしれない。

私たちはそのことをどのように受け止めるだろうか?

私はこのことを喜ぶ。主は誰も誇らせず、主が栄光を受けてくださることを。

もし、長年仕え続けてきた世代の多くが、日本にリバイバルを起こす聖霊様の新しい働きの中心から、はずれることになれば、誇ることはできないだろう。

日本にリバイバルを起こす聖霊様の新しい働きの中心にいる多くの者たちは、長年仕え続けてきた世代と比べ、はるかに短い期間だけしか働きに携わっていないだろうから誇ることはできないだろう。

長年仕え続けてきた世代のゆえに祝福され、支えられている世代の者たちは誇ることができない。今の時代に生きる私たちは誰も誇ることができない。

もちろん。ヨシュアやカレブのような者たちもいるだろう。

しかし、今、地上で生きている私たちは、長年仕え続け、地上での使命を終えて今は地上にはいない世代のゆえに祝福され、支えられているので誰も誇ることはできない。

主は言われた。「先の者があとになり、あとの者が先になることが多いのです」

先の者も、後の者も、共に主を喜び讃えよう。誰も誇ることができないようにされ、栄光を受けられる主の御名はほむべきかな。