日本の教会はとてもよく訓練され、神にも人にも礼儀正しい。その所作は美しい。しかし、こんなにも整っていながら、圧倒的に、コンプレックスが深い。
教会の中での人との関係でも、神様との関係でも、師弟関係が非常に強調されている。
弟子はわざによって評価され、自らも己のわざによって自分自身を評価する。
教会はみんな神の家族と口では言っているが、教会の中にある、その実質は『良い弟子となれ』なのだから、コンプレックスが深まることは避けようがない。
しかし、日本の教会の中で家族関係が歪むほどに師弟関係が強調され続けていることは神様の計画がなしとげられるためだ。
家族は家族の間にあって自らを整えることはあまりしない。弟子は師の前に立つ時、できるだけ自らを整える
弟子として自らを整え続けた日本の教会の神と人との関係が『師弟関係』でなく『家族』となる時、世界一整えられた民が愛だけでなく、愛と御霊に満ちた働きをすることができるようになる。
御霊の実、愛の実、人格の実を強調し、追い求め続けた日本の教会が御霊の力の賜物も求めるようになる時、
御霊の実、愛の実、人格の実と、御霊の力の9つの賜物を両立させて働きをなす神の民となる。
律法によって整えられる時間が長く深かったパウロが、聖霊様に満たされた時、非常にすぐれた働きをしたように、
整えられる時間が長かった日本の教会も非常にすぐれた働きをするようになる。
御霊の力の賜物を与えることなんて神様は瞬時にできる。
御霊の実は整えられる時間が必要。御霊の実を整えることが集中的になされ続けている日本の時間は神の国において1つも無駄にはならない。