シャロームを所有する

私は預言の賜物の回復を願っている。しかし私は預言の賜物を否定する方々を心から尊敬し感謝している。私が預言の賜物を熱心に求めて聖書に従うためなら…私は預言の賜物を否定する方々を不満に思い…全て感謝せよと語る聖書に逆らってよいだろうか?預言を認める牧師先生だけ尊敬し…預言の賜物を否定する牧師先生含む5役者や教団教派の方々を尊敬せず…互いに尊敬しなさいと語る聖書に逆らってよいだろうか?自分が建てたい御言葉を建て上げるために他の御言葉を壊してできた砂の上に自分が建てたい御言葉を建て上げ…家を建ててよいのだろうか?

「①教会の中で師弟の関係性が強調されるあまり、神の家族が対等な家族ではなく組織になってしまっている①」

主が立てられた使徒預言者、伝道者、牧師、教師、5役者の働きは確かにとても重要だ。

しかし、もっと重要なことは、みなが対等な家族であるということ。

"しかし、あなたがたは先生と呼ばれてはいけません。あなたがたの教師はただひとりしかなく、あなたがたはみな兄弟だからです。"
マタイの福音書 23章 8節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会

だからといって5役者の働きを軽んじるべきではない。

この5役者たちが、「みなが対等な家族である」という真理、御言葉の土台に立って5役者の働きをする時、天からの権威が臨む。

父親、母親が子供を教育し、整える働きはもちろん必要な働きだが、

「子供は対等な家族である」という土台に立って、子供のことばに耳を傾けて聞くにはやく、語るにおそく、子供を教え戒めるなら、天からの権威が臨む。

天からの権威は組織ではなく、神の家族としての平和な関係性があるところに臨む。

組織には権威があっても、対等な家族関係がなく、天からの権威、力もあまりないので、

相手が敵の束縛から解放されていないままの状態で服従してついて来ないと解放することができない。「良くなりたいなら頑張って私についてきなさい」と要求することになる。

神の国はことばにはなく、力にある。神の国は組織にはなく、対等な家族関係の中にある