シャロームを所有する

私は預言の賜物の回復を願っている。しかし私は預言の賜物を否定する方々を心から尊敬し感謝している。私が預言の賜物を熱心に求めて聖書に従うためなら…私は預言の賜物を否定する方々を不満に思い…全て感謝せよと語る聖書に逆らってよいだろうか?預言を認める牧師先生だけ尊敬し…預言の賜物を否定する牧師先生含む5役者や教団教派の方々を尊敬せず…互いに尊敬しなさいと語る聖書に逆らってよいだろうか?自分が建てたい御言葉を建て上げるために他の御言葉を壊してできた砂の上に自分が建てたい御言葉を建て上げ…家を建ててよいのだろうか?

「律法的な思考の畑ではなくて、神の国に蒔いて収穫を得る」

日本は必ずリバイバルする。

日本が必ずリバイバルする理由は?

日本と世界中の教会が一生懸命に日本のリバイバルのために祈り続けているから?

日本に流された大勢の殉教の血のゆえに?

日本は小さな島国でありながら、世界で最も多くの殉教の血が流された国だから?

もちろん、それらはないがしろにすべきものではない。

しかし、それらをないがしろにするほどに最優先に目を注ぐべき、日本が必ずリバイバルする理由がある。

日本が必ずリバイバルする理由は「日本をリバイバルさせる」と国々の預言者によって主が『おことば』を下さったからだ。

"ただ、おことばをいただかせてください。そうすれば、私のしもべは必ずいやされます。"
ルカの福音書 7章 7節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会

人々が主のために捧げた行い、努力をないがしろにするべきではない。しかし、人の行い、努力は神の国の土台となることはできない。

聖書に律法は良いものだと書いてある。

"ですから、律法は聖なるものであり、戒めも聖であり、正しく、また良いものなのです。"
ローマ人への手紙 7章 12節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会

"私たちは、律法が霊的なものであることを知っています。"
ローマ人への手紙 7章 14節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会

「律法」は良いものであって、神の国を妨げたり薄めたりするものは「律法」ではなく、「律法的な思考」だ。

「律法的な思考」「律法的な教えのパン種」があちらこちらに蒔かれ、影響を与えている

「律法的な思考」とは=「こうしたからこうなる」とか「こうだからこうなる」と考える思考だ。

"最初の者たちがもらいに来て、もっと多くもらえるだろうと思ったが、彼らもやはりひとり一デナリずつであった。
そこで、彼らはそれを受け取ると、主人に文句をつけて、
言った。『この最後の連中は一時間しか働かなかったのに、あなたは私たちと同じにしました。私たちは一日中、労苦と焼けるような暑さを辛抱したのです。』"
マタイの福音書 20章 10〜12節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会

律法的な思考で蒔いても収穫はある。

エスキリストの福音を信じていない社会の人たちも、「こうしたらこうなる」「こうだからこうなる」という思考で蒔いて収穫を得ている。

「努力すれば報われる」は「こうしたからこうなる」という思考の中でも最も頻繁に見聞きするものの1つだ。

祈りは霊的なものだが、祈りであっても、「こうしたからこうなる」「一生懸命に祈れば報われる」といった思考で蒔いているなら、その祈りは律法的な畑に蒔かれている。

もちろん律法的な畑ではあっても不毛の地ではない。良いものを蒔いているならなおさらだ。

しかし、律法的な畑は「これだけ蒔いたからこれだけ」「それだけ蒔いたならそれだけ」1蒔けば1。2蒔けば2。3蒔けば3といった収穫しか生じない。

「律法」は良いもので霊的なものと聖書にあるが、

「律法」ではなくて、「律法的な思考」は「こうしたからこうなる」という社会の文化、社会のシステムであり、「神の国」ではない。

神の国は「こうしたらこうなる」といった「律法的なもの」ではない。

律法は「あなたがこうしたらこうなる」「あなたがこうしたからこうなった」と言う。

しかし、神の国、恵みの信仰はこう言う。

"主の祝福そのものが人を富ませ、人の苦労は何もそれに加えない。"
箴言 10章 22節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会

"また、別の種が良い地に落ちた。すると芽ばえ、育って、実を結び、三十倍、六十倍、百倍になった。」"
マルコの福音書 4章 8節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会

日本のリバイバルのために捧げられ、積み上げられた祈りを見るのは良いことだ。

しかし、日本のリバイバルのために捧げられた数えきれないほどの祈りを数えるよりも、もっと良いことは

主が「日本をリバイバルさせる」と国々の預言者によって語られた『おことば』に目を注ぐことだ。

たくさんの祈りの札束を手に握りしめ、主につきつけて、主からリバイバルを買おうとするのか?

売ってもらえるまで札束を際限なく積み上げ続けるのか?

いくら札束を際限なく積み上げ続けたとしても届かない金額が書き記された小切手=『おことば』がすでに主から与えられているではないか。

主が「日本をリバイバルさせる」と国々の預言者によって語られた『おことば』を手に主の御前に進み行き、主の御前で喜び歌い『おことば』を高くかかげ続けよう。

『おことば』だけで十分ですと賛美しながら、主の『おことば』を高くかかげ続けよう。

主の御前で「私たちが祈ったからリバイバルする」ではなく、「主の『おことば』のゆえにリバイバルする」と主に栄光を帰そう。

主に栄光を帰し、『おことば』をくださった主を喜び歌い続けよう。ハレルヤ。

"ただ、おことばをいただかせてください。そうすれば、私のしもべは必ずいやされます。"
ルカの福音書 7章 7節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会

"これを聞いて、イエスは驚かれ、ついて来ていた群衆のほうに向いて言われた。「あなたがたに言いますが、このようなりっぱな信仰は、イスラエルの中にも見たことがありません。」"
ルカの福音書 7章 9節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会

"イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」"
ヨハネ福音書 20章 29節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会