シャロームを所有する

私は預言の賜物の回復を願っている。しかし私は預言の賜物を否定する方々を心から尊敬し感謝している。私が預言の賜物を熱心に求めて聖書に従うためなら…私は預言の賜物を否定する方々を不満に思い…全て感謝せよと語る聖書に逆らってよいだろうか?預言を認める牧師先生だけ尊敬し…預言の賜物を否定する牧師先生含む5役者や教団教派の方々を尊敬せず…互いに尊敬しなさいと語る聖書に逆らってよいだろうか?自分が建てたい御言葉を建て上げるために他の御言葉を壊してできた砂の上に自分が建てたい御言葉を建て上げ…家を建ててよいのだろうか?

「論理的な福音の伝え方②」

エスキリストが救い主であることを信じていないだけでなく、神はいないとさえ信じている人たちがこの世界の中には大勢いる。

神は存在するだろうか?存在しないだろうか?

神が存在しないことを証明できる者はいない。仮に宇宙の端に行けたとして…その端という境界は何故ある?何のためにある?何故それ以上先に進めない?その境界の向こう側には何がある?

あるいは、宇宙の端に行けたとして…神はその間に反対側に移動しているかもしれない。かくれんぼをしている時に、おに役が移動したのを見て隠れた場所から移動することがあるのと同じように。

神がいないと証明するためには、宇宙の全て、全宇宙の隅々までを一瞬にして見渡す必要がある。誰がそんな視野、視力を持っている?

1人で無理なら、全世界の化学力をもってすれば可能か?

人工衛星を宇宙の端々、いたるところに配置し、神を探索するか?そのようにして神を指名手配し神を監視しようというのか?

全世界が力を合わせ証明しようとしても、神が存在しないことを証明することはできない。だから…「神は存在しないかもしれない」と言うことしかできない。

全世界が力を合わせ証明しようとしても、神が存在しないことを証明することすらもろくにできない人間は「神はいるかもしれない事実」を認めるか、「神はいるかもしれない事実」から目を背けることしかできない。

しかし、「神はいない」と言いながら、「神はいるかもしれない事実」から目を背けている人よ…あなたにとって、神が存在しているか、存在していないかは、見過ごせない非常に重要な事柄だ。

もし、あなたの予想通りに神が存在していないなら、あなたはそのまま安心して生きていればいい。

しかし…あなたの予想に反して神が存在していた場合…あなたはどうする?…あなたはどうなる?

もし、子どもが受験や就職があることを信じず、ただ毎日楽しくおもしろおかしく遊んでいればいいと信じ続けていて、そのまま残されていた時間を過ごし続けて使い果たした結果、その日、その時、予想に反した事実を突きつけられた時…その子どもはどうする?…その子どもはどうなる?

あなたの予想に反して神が存在していた場合…あなたはどうする?…あなたはどうなる?

あなたの時間が肉体の死で終わらず、あなたの時間が続いていたら、あなたの時間の先に神がいたらあなたはどうする?…あなたはどうなる?

神は存在しないとは誰にも言えないのだから、神は存在しているかもしれない。もし、神が存在している場合、考えなければならないことは神の目的だ。何故、人間に姿を現さない?神は何故、人間が神を見ることができないようにしている?…試しているからではないのか?

神が存在しているなら…神の目的は?人間が争い傷つけ合っているのを笑うためか?

もし、神の目的が人間が争い傷つけ合っているのを笑うためであるなら、争い傷つけ合う者しか喜びや幸せを得ることができないようにすればいい。だが、そうはなっていない。

もし、神の目的が富を求めてひっしになっている人間を見て笑うことなら、裕福な者しか喜びや幸せを得ることができないようにすればいい。だが、そうはなっていない。

裕福な者ではなくても、美しい花を見ることができ、手に取ることができ、美しい青い空を見ることができる。

もし神が人の争いや富を求めて奪い傷つけ合う人間を笑いたければ、美しい花はごく稀にしか咲かないようにするだろう。だが、そうはなっていない。

もし、神が存在せず、全て偶然によって生じたものなら…何故、世界にはこのような彩りがあるのか?

人々はこの世界がなんらかの確率で偶然に生じ、はじまり、今のようになったと言う。はじまりは宇宙の偶然の大爆発で生命体等が生じたと言う。では、宇宙はどこから?無からか?宇宙を生じさせた無はどこから?人間は色々作ることができるが、原材料がなければ何も作ることはできない。すでにあるものを使ってつくることしかできない。

もしかしたら、ごく簡素な生命体と食物だけの世界なら、なんらかの確率で偶然に生じることもあると思えたかもしれない…。

ごく簡素な生命体と食物だけで…色は白黒だけ、味覚は「食べれる」か「食べれない」かだけ、種類は「食べれるもの」か「食べれないもの」かだけ…そんな簡素な世界だったなら、この世界は偶然に何らかの条件が重なり合って生じた世界であるかもしれない…と思えたかもしれない。

神は存在せず、全て偶然に何らかの条件が重なり合って生じた世界であるなら、何故、こんなにも色彩豊かなのか?ただ生命を維持するだけでいいなら必要ない。

神は存在せず、偶然に何らかの条件が重なり合って生じた世界であるなら、何故、こんなにも様々な味覚があるのか?ただ生命を維持するだけでいいなら必要ない。

神は存在せず、偶然に何らかの条件が重なり合って生じた世界であるなら、何故、こんなにも美しい花が世界のいたるところに咲いているのか?ただ生命を維持するだけでいいなら必要ない。

それでも神はいないとあなたは言えるのか?

それでも神はいないとあなたは言い続けることができる。

しかし、もしも神が存在していた場合、あなたがどんなに「神はいない」と言い続けようと神の存在を消し去ることはできない。

あなたがどんなことをしようと、世界中が神を否定し、神の存在を消し去ろうとしてどんなことをしようと神の存在を消し去ることはできない。

何故なら神があなたや世界によって存在しているのではなく、あなたや世界が神によって存在しているからだ。

だから、あなたがどんなに「神はいない」と言い続けようと神の存在を消し去ることはできない。

あなたの肉体が死ぬまで、あなたの目から姿を隠していた神が…
あなたの肉体が死んで後に…神はいないと信じ続け神を否定し続け自由奔放に生き続けて、やがて死んだあなたの前に神が姿を現した時、あなたは神に言うのか…?「神はいない」…と。