1️⃣(創世記1章1節から存在していた光はただ1度だけ死んで、死からよみがえった=創世記1章3節)
創世記1章で神が最初に名前をつけた描写が書かれているのは「昼」と「夜」だ。…"神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕があり、朝があった。第一日。"(創世記 1章 5節)
しかし、昼が昼と名づけられ、夜が夜と名づけられた創世記1章5節よりも前の創世記1章2節には水についての描写が書かれている。神が昼と夜を名づける描写は創世記1章5節に書かれているのに、神が昼と夜を名づける前の創世記1章2節から書かれている水のことを 神が「水」と名づけておられる描写が創世記1章5節よりも前に書かれていないのは何故なのだろうか…何故なら、神によって昼が昼と名づけられ、夜が夜と名づけられるよりもっと前から…創世記1章2節よりもっと前から、神は水を創造しておられ、水を「水」と名づけておられ、水はすでに存在していたからだ。
水だけではなくて光も昼と夜が名づけられる前から神によって「光」と名づけられていて、すでに存在していた。
それまで全く存在していなかった光が創世記1章3節の時に神によってはじめて創造されて存在するようになったのではない。…もしそうであったとしたら…創世記1章1節で はじめに神が天と地を創造された時には まだ光は存在していなくて、天と地は真っ暗だったのだろうか…?…創世記1章1節のはじめのはじめから闇が存在していたのだろうか…?…創世記1章1節の時はサタンも闇もまだ全く存在せず光が満ちていた。創世記1章3節よりも前から…創世記1章2節よりも前から…光は「光」と名づけられていて、すでに存在していた。創世記1章3節で神は「光あれ」と語られて「光」の名を呼び「光」に命じておられる。まだ全く存在していないものの名を呼ぶことができようか?…神ならできるだろう。まだ全く存在していないものの名を呼んで命じることによって、まだ全く存在していなかったものを創造して存在するようにさせることも神ならできる。しかし、…「神は混乱の神ではなく、平和の神だからです。」…と聖書は語っている。神は正しい神の順序で事を行われる。…神は まだ全く存在していないものを創造し、神に創造されて存在するようになったものに名前をつけ、存在させたものの名を呼ばれる。
昼と夜が名づけられた創世記1章5節よりも前の節で光が「光」と名づけられ、水が「水」と名づけられる描写が書かれていないのは、創世記1章2節よりも前に神は光を「光」と名づけ、水を「水」と名づけておられたので、1度名づけたものをもう1度 名づける必要はなかったからだ。…神は創世記1章2節よりも前に光のことを「光」と名付けておられ、光はすでに存在していた。
しかし、創世記1章2節よりも前から神によって「光」と名づけられて存在していた光は創世記1章2節の時には失われていた。だから、創世記1章2節では光についての描写が書かれていない。…"地は茫漠として何もなかった。やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた。"(創世記 1章 2節)
創世記1章2節の時よりも前に存在していたが、創世記1章2節の時には失われていた光を、神は創世記1章3節の時に復活させてくださった。…"神は仰せられた。「光があれ。」すると光があった。"(創世記 1章 3節)