シャロームを所有する

私は預言の賜物の回復を願っている。しかし私は預言の賜物を否定する方々を心から尊敬し感謝している。私が預言の賜物を熱心に求めて聖書に従うためなら…私は預言の賜物を否定する方々を不満に思い…全て感謝せよと語る聖書に逆らってよいだろうか?預言を認める牧師先生だけ尊敬し…預言の賜物を否定する牧師先生含む5役者や教団教派の方々を尊敬せず…互いに尊敬しなさいと語る聖書に逆らってよいだろうか?自分が建てたい御言葉を建て上げるために他の御言葉を壊してできた砂の上に自分が建てたい御言葉を建て上げ…家を建ててよいのだろうか?

6️⃣【滅私奉公とはどのようなことか】【⑧神が滅私奉公を要求する時がある】【⑨神が滅私奉公を要求しておられないのに、神に滅私奉公を要求されたと勘違いしてあまりに大きな犠牲を伴う滅私奉公を捧げるなら、敵に心身の健康の祝福や家族関係の祝福や経済の祝福やその他の祝福を壊され盗み取られることになる】

 

前回までのブログで、聖書は『基本的には』自分自身の心が病気になったり、体が病気になったり、家族関係に致命的な傷を生じさせるような滅私奉公を要求していないことについて書かせていただいた。

6️⃣【滅私奉公とはどのようなことか】

6️⃣【⑧神が滅私奉公を要求する時がある】

聖書は『基本的には』自分自身の心が病気になったり、体が病気になったり、家族関係に致命的な傷を生じさせるような滅私奉公を要求していない……『基本的には』……滅私奉公を要求していない……というのは……『例外』……となる時があるからだ。神が  啓示 ( 幻や預言、知恵のことば、知識のことば、等々 ) や  レイマ(=神の息が吹きかけられて今、聖霊がとどまり臨在しているロゴスの御言葉 )  によって「家族を現地に残して宣教地に行きなさい」といったようなことを神に語られるような時もある。心や体が病気になるであろうほどの奉仕や犠牲を啓示やレイマによって神から要求される時もある。経済が破綻するような捧げ物を啓示やレイマによって神から要求される時もある。神が啓示やレイマによって要求なさっている場合は主に従順する必要がある。

6️⃣【⑨神が滅私奉公を要求しておられないのに、神に滅私奉公を要求されたと勘違いしてあまりに大きな犠牲を伴う滅私奉公を捧げるなら、敵に心身の健康の祝福や家族関係の祝福や経済の祝福やその他の祝福を壊され盗み取られることになる】

神が啓示やレイマによって要求なさった滅私奉公を神に従順して捧げれば……時が来ると実がなる……

……しかし……もし、啓示やレイマによって非常に大きな犠牲を捧げるように神から要求されて神に従順して捧げたのに……まだ実がなっていない場合は……「時がまだ来ていなくてこれから数日後以内、数ヶ月後、数年後、数十年後に実がなる可能性」と「神から非常に大きな犠牲を啓示とレイマによって要求されたと勘違いしてしまっていただけの可能性」がある。

神が啓示やレイマによって滅私奉公を要求なさっていないのに、神から啓示やレイマがあったと思い込んだり勘違いしたりしていて、神が要求していない滅私奉公を捧げても、期待しているような実はならない可能性が高い。

だから、大きな犠牲が伴う滅私奉公を神に捧げる前には『吟味』が必要だ。神が啓示やレイマによって「滅私奉公=あまりに大きな犠牲」を要求していないのに、神から啓示やレイマがあったと思い込んで、あまりに大きな犠牲を捧げた場合、心の健康や体の健康や祝福された家族関係を敵に壊され、盗み取られてしまうこともある。

聖書に書いてあることば(ロゴス)に従順し、牧師先生に従順することが最優先で要求されていた「滅私奉公の時代」=「ロゴスの時代」では、神からの啓示やレイマが来ていないのに莫大な滅私奉公を捧げても、敵に壊され盗み取られてしまう被害はまだ比較的に小規模ですんでいたが、

牧師先生に従順するだけでなく、「吟味する力が求められる時代」=「互いに教え合う時代」=「レイマの時代」になってくると、神からの啓示やレイマがあまりに大きな犠牲を伴う滅私奉公を要求していないにもかかわらず、勘違いして莫大な滅私奉公をしてしまった時の被害は今後さらに大きなものとなるだろう……

……ただ牧師先生に従順していれば祝福され豊かにされ繁栄できていた時代から……→……牧師先生のことばでさえも吟味することを神から要求される時代に季節が移り変わっていることを知らせ、警告し、備えさせるためだ……冬が近づいてきて、冬の足音が聞こえはじめたら……冬になる前に冬服を備えておく必要があることを私たちは知っている……吟味と見分けを間違った時の被害がこれまでになかったほど徐々に大きくなってきているのは……キリストの体の中で新しい時代が近づき、新しい季節が深まりはじめている警告音が徐々に大きくなってきているからだ。

捧げることができる上限をはるかにこえて捧げることで、心や体が病気になってしまったり、祝福された家族関係を敵に壊され盗み取られることになる傾向……「欠け」があった滅私奉公の時代は満ちて……なしとげるべき役目を終えて過ぎ去ろうとしている……だから、神からの啓示やレイマによって要求されていないにもかかわらず……あまりに高額な捧げ物やあまりにも家族関係を犠牲にすることや、あまりにも心身の負担となる奉仕等の滅私奉公を捧げる者が受ける神からの警告と懲らしめは徐々に大きくなる……

……神が啓示やレイマによってあまりに大きな犠牲を要求していないにもかかわらず、あまりに大きな犠牲を捧げて滅私奉公する者に刈り取りがあることを警告として語られている数々のことばがレイマとして聴こえているのに……"主人の心を知りながら、その思いどおりに用意もせず、働きもしなかったしもべは、ひどくむち打たれます"……と聖書は警告している。

レイマとしては聞こえてはおらず……神が神の息を吹きかけ聖霊を宿らせておられず……ただの文字、ただのことば、ただの人のことばとしてしか神が聞こえさせていない、見させていないために……"知らずにいたために、むち打たれるようなことをしたしもべは、打たれても、少しで済みます"……と聖書は語っている。

「滅私奉公の時代」=「ロゴスの時代」はあまりに大き過ぎる犠牲を神から要求されていないのに捧げてしまっていても少しむち打たれるだけ……少し心が病んだり弱ったり病気になったりするだけですんでいたが……

……神の啓示やレイマと無関係にあまりに大き過ぎる犠牲を捧げることについて警告するメッセージのことばを神が聖霊の働きによってレイマとして届かせておられる人々がレイマの警告を無視した場合は、ひどくむち打たれることになる。

神の啓示やレイマと無関係にあまりに大き過ぎる犠牲を捧げることについて警告するメッセージのことばを神がレイマとして届かせておられない人々は警告を無視しても、これまでの時代と同じように、少しむち打たれるだけですむ。少しむち打たれるのは「期待が長引くと心は病む」と警告しているロゴスを無視しているからだ。

世界には、「聖書に水の上を歩いたと書いてあるから水の上を歩こう」と言って水の上を歩こうとしておぼれ死んでしまったクリスチャンたちがいる……といった話しを過去に聴いたことがある。今、水の上を歩けと神が啓示によって本当に語られたなら現代も水の上を歩くことはできるが……聖書はイエスを信じる者はいつでも水の上を歩くことができる……とは語っていない。啓示やレイマが来ていないのに船を出て海の水の上を歩こうとすることは非常に危険であるのと同じように……

……啓示やレイマが来ていないのにあまりに大きな犠牲を捧げることは危険なことだ。「主のため」「主を愛して」「信仰によって」「主の御心と信じて」……だけでは危険であること、刈り取りがあること、少しむち打たれることを知っておくべき時代が少しずつはじまっている。

キリストの体であるエクレシアに滅私奉公が最優先で求められていた時代であれば、奉仕が忙しく息子娘のために時間がとれていないことに心を痛めている親たちは、むち打たれても少しですんでいた……滅私奉公の時代であっても少しはむち打たれる……

……聖書は"わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。"と語っているので、聖書は「わたしの次に息子娘を愛しなさい」と語っているのだから、「わたしの次に息子娘を愛しなさい」と語っている聖書のことばを無視している刈り取りとして少しむち打たれることになる。

正しい聖書解釈を知らず誤解していて、勘違いしていて知らずに息子娘との時間のほとんど全てを神に仕え人々に仕えて犠牲にすることが神の御心と心の底から信じていたとしても……少しむち打たれる……息子娘との信頼関係や親子関係は少し傷つき、毎回毎回滅私奉公をするたびに、毎回毎回少しずつ傷つき……徐々に壊され、数年後、数十年後、敵に盗み取られる。

滅私奉公の時代であっても……息子娘のために何もしなくてよい口実や言い訳にするために"わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません"……と書かれた聖書箇所を利用している者は……ひどくむち打たれ、息子娘との信頼関係、親子関係は短期間でとりかえしがつかないほど敵に破壊されてしまい盗み取られることになる。

……「過剰な滅私奉公は聖書的ではない」という聖書解釈は間違っていて正しくない……と思う方々もおられることだろう……

……「過剰な滅私奉公は聖書的ではない」という聖書解釈は間違っていて正しくない……と思う方々には……神が神の目的のために……そう見させ聞こえさせておられるのだから……ひどくむち打たれることはない……神が神の目的と計画のために今後も過剰な滅私奉公をやめさせずに継続させようとしておられる方々には……神は今後も見させず聞こえさせない。まだまだ今後も過剰な滅私奉公によって神に仕える者であってほしいと神が願い、過剰な滅私奉公を神に捧げて今後も神に仕え続ける者たちとして神に選ばれ、とりわけられ、油注がれておられる方々に……過剰な滅私奉公が聖書的ではないことにまだ気がついてほしくないので……神が見させず聞こえさせていないのだから……ひどくむち打たれることはない……

……神が見させず聞こえさせていないために過剰な滅私奉公が聖書的ではないことに気づくことができずに過剰な滅私奉公を続けることになっているのだから、少しむち打たれていることにも納得がいかない……と思う方々が何人かおられるかもしれないが……

……「過剰な滅私奉公が聖書的ではないことについては聖書に書いてあるのに、あなたがたはそれを読まなかったのですか?」……と言われることになるだろう。

それが聖書がしてはならないと語っていることだと知らなければ、その聖書がしてはならないと語っていることをした刈り取りをしなくてすむ……と聖書は語っていない。知っている者にも知らない者にも刈り取りはある。知らなかった者は神があわれみ、刈り取りを軽くしてくださるが、刈り取りを免除されはしない。

屋上から落ちて死ぬと知らなくても、屋上から落ちたら高確率で死ぬ。

リンゴを手からはなせばリンゴが引力で地に落ちると知らない人がリンゴを手からはなしてもリンゴは地に落ちる。

聖書にしてはならないと書いてあることを知らずに、聖書にしてはならないと書いてあることをしてしまっているとしても……全ての者に刈り取りはある。

"それを、あなたがたは読んだことがないのですか。"
マタイの福音書 19章 5節

与えられた『ロゴス』の正しい解釈を知らなかったために知らずに……

……『ロゴス』を無視してしまっている者は少しむち打たれ……

……与えられた『レイマ』を無視する者はひどくむち打たれることになる……

"主人の心を知りながら、その思いどおりに用意もせず、働きもしなかったしもべは、ひどくむち打たれます。
しかし、知らずにいたために、むち打たれるようなことをしたしもべは、打たれても、少しで済みます。すべて、多く与えられた者は多く求められ、多く任された者は多く要求されます。"
ルカの福音書 12章 47〜48節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会