シャロームを所有する

私は預言の賜物の回復を願っている。しかし私は預言の賜物を否定する方々を心から尊敬し感謝している。私が預言の賜物を熱心に求めて聖書に従うためなら…私は預言の賜物を否定する方々を不満に思い…全て感謝せよと語る聖書に逆らってよいだろうか?預言を認める牧師先生だけ尊敬し…預言の賜物を否定する牧師先生含む5役者や教団教派の方々を尊敬せず…互いに尊敬しなさいと語る聖書に逆らってよいだろうか?自分が建てたい御言葉を建て上げるために他の御言葉を壊してできた砂の上に自分が建てたい御言葉を建て上げ…家を建ててよいのだろうか?

6️⃣【滅私奉公とはどのようなことか】【⑦神の国とその義『だけ』しか求めない滅私奉公は自分自身が「うつ病」になるだけでなく、家族関係の祝福を敵に盗み取られてしまう】

 

前回のブログで、神の国と神の義のために神に仕え、神のために人々に仕えることを優先し過ぎて『自分自身の心の願い』を無視し続けなさい……と聖書は語っていないことについて書かせていただいた。

 

6️⃣【滅私奉公とはどのようなことか】

 

6️⃣【⑦神の国とその義『だけ』しか求めない滅私奉公は自分自身が「うつ病」になるだけでなく、家族関係の祝福を敵に盗み取られてしまう】

 

神の国と神の義のために神に仕え、神のために人々に仕えることを優先し過ぎて『自分自身の心の願い』を無視し続けなさい……と聖書は語っていないだけでなく……『家族の心の願い』を無視し続けなさいとも聖書は語っていない。

聖書は語っている  "わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。また、わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。"……と聖書が語っている。

もしかしたら何人かのクリスチャンや牧師先生を含む5役者の方々は……聖書には  "わたしよりも"……と書いてあるのに、「父や母を愛し仕える時間があったら、神と人々に奉仕しなさい。また、息子や娘を愛し仕える時間があったら、神と人々に仕えなさい」……というような意味あいに近いようなことばに勝手に翻訳して人々に言い聞かせ、自分自身にも言い聞かせておられるかもしれない。

"わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。また、わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。"……と書かれた聖書箇所の前の箇所には……"家族の者がその人の敵となります"……と書いてある……だから……イエスキリストを信じることをやめて、イエスキリストを捨てなければ父母息子娘に捨てられる……という状況にもしも置かれているのであれば……父母息子娘に捨てられてしまわないために、父母息子娘を捨てることをせずにイエスキリストを捨てる者はわたしにふさわしくありません……と聖書は語っているのであって……イエスキリストを第一に愛しながら、父母息子娘も愛し仕えることができる状況であるのに、父母息子娘をないがしろにしなさい……と聖書は教えていない。

"わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子、あるいは畑を捨てた者はすべて、その幾倍もを受け"……と聖書に書いてあるが、イエスキリストを第一に愛しながら、父母息子娘も愛し仕えることができる状況であるのに、父母息子娘をないがしろにして奉仕に明け暮れた者は その幾倍もを受ける……と聖書は教えていない。

聖書は語っている……"次にはこれです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』この二つより大事な命令は、ほかにありません。」"
……と聖書が語っている。"あなたの隣人"の中に「あなたの父母息子娘」は含まれていない……とか……"あなたの隣人"の中から「あなたの夫妻息子娘父母」を除外しなさいとか……除外してもいい……と聖書は教えていない。

聖書は  "わたしよりも"……と語っているのであって、「わたし『だけ』を」……と聖書は語っていない。わたしよりも夫妻息子娘父母を愛してはいけない……と聖書が語っているということは……主を第一に愛し、主の次に夫妻息子娘父母……家族を愛しなさい……と聖書は語っていることになる。

"わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。また、わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。"……と語っている聖書箇所は「わたしよりも」……と語っているのであるから、主を愛し、主の次に家族を愛しなさいと聖書は語っていることになる。

 

父母息子娘とは書いてあるが夫妻と書いてないから主の次に愛すべきなのは父母息子娘だけでいい……と聖書が言っていると思う人がもしかしたら何人かいるかもしれないが……聖書は別の聖書箇所で夫を愛すべきことや妻を愛すべきことについて語っている……「主の次に家族を愛しなさい」……ということばが文字で書いてある聖書箇所はないが、「家族を愛し仕えるべきこと」や、その他のことについて書かれている他のいくつかの聖書箇所と組み合わせる時、平面図から立体が組み立てられた時のように……「主の次に家族を愛しなさい」と聖書が語っていることを見ることができる。聖書箇所1つ1つは平面に書かれた文字だが、1つ1つの平面に書かれた聖書箇所の文字を組み立てることによって……平面に書かれた聖書箇所1つ1つを見ているだけでは見ることが難しい「聖書が語っているメッセージ」=「聖書の要求」=「神の要求」=「神の御心」を見ることができるようになる。

聖書は語っている……"もし人が父や母に向かって、私からあなたのために上げられる物は、コルバン(すなわち、ささげ物)になりました、と言えば、
その人には、父や母のために、もはや何もさせないようにしています。
こうしてあなたがたは、自分たちが受け継いだ言い伝えによって、神のことばを空文にしています"……と聖書が語っている……のであれば……「夫妻息子娘父母……家族のためのお金は献金になり、家族のための時間は奉仕の時間……すなわち、ささげ物になりました」…………ではすまされないということだ。

"わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。また、わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。"
マタイの福音書 10章 37節

 

"イエスは彼らに言われた。「イザヤはあなたがた偽善者について預言をして、こう書いているが、まさにそのとおりです。『この民は、口先ではわたしを敬うが、その心は、わたしから遠く離れている。
彼らが、わたしを拝んでも、むだなことである。人間の教えを、教えとして教えるだけだから。』
あなたがたは、神の戒めを捨てて、人間の言い伝えを堅く守っている。」
また言われた。「あなたがたは、自分たちの言い伝えを守るために、よくも神の戒めをないがしろにしたものです。
モーセは、『あなたの父と母を敬え』、また『父や母をののしる者は死刑に処せられる』と言っています。
それなのに、あなたがたは、もし人が父や母に向かって、私からあなたのために上げられる物は、コルバン(すなわち、ささげ物)になりました、と言えば、
その人には、父や母のために、もはや何もさせないようにしています。
こうしてあなたがたは、自分たちが受け継いだ言い伝えによって、神のことばを空文にしています。そして、これと同じようなことを、たくさんしているのです。」"
マルコの福音書 7章 6〜13節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会