シャロームを所有する

私は預言の賜物の回復を願っている。しかし私は預言の賜物を否定する方々を心から尊敬し感謝している。私が預言の賜物を熱心に求めて聖書に従うためなら…私は預言の賜物を否定する方々を不満に思い…全て感謝せよと語る聖書に逆らってよいだろうか?預言を認める牧師先生だけ尊敬し…預言の賜物を否定する牧師先生含む5役者や教団教派の方々を尊敬せず…互いに尊敬しなさいと語る聖書に逆らってよいだろうか?自分が建てたい御言葉を建て上げるために他の御言葉を壊してできた砂の上に自分が建てたい御言葉を建て上げ…家を建ててよいのだろうか?

2021-01-01から1年間の記事一覧

1️⃣/4️⃣「①創世記1章のはじめからあったイエスキリスの十字架の啓示と預言『はじめからあった光』=創世記1章1節、『ただ1度だけ死んだ光』=創世記1章2節、『死からよみがえった光』=創世記1章3節、『死から復活した初穂となった光、父なる神に最初に良しとされた光、高く上げられて闇に永遠に打ち勝った光』=創世記1章4節」…創世記1章

1️⃣(創世記1章1節から存在していた光はただ1度だけ死んで、死からよみがえった=創世記1章3節)創世記1章で神が最初に名前をつけた描写が書かれているのは「昼」と「夜」だ。…"神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕があり、朝があった。第一日。"…

ショートメッセージ・マタイ1章6節「ダビデに、ウリヤの妻によってソロモンが生まれた」…主はウリヤの妻バテシェバのことを「ソロモンの母バテシェバ」と心におぼえてくださっている

イエスキリストの系図が書いてあるマタイの1章の6節には「ダビデに、バテシェバによって」とは書かれてはおらず「ダビデに、ウリヤの妻によって」と書かれている。イエスキリストの系図においてそんな書き方をされている女性はバテシェバだけだ。マタイ1章の…

「④成熟した幼子は神の全きシャロームの中で生きる④あなたを責めたてるどんな舌でも、あなたはそれを罪に定めることができるが、そうした場合には あなたの舌も罪に定められる」

1️⃣ 誰かにたいするさばきのことばを声に出して語ることはしていなくても、誰かにたいするさばきのことばを心の中で語っているなら…誰かをさばいたことになるだろうか?ならないだろうか?イエスキリストは以下のように語られた…"わたしはあなたがたに言いま…

「③成熟した幼子は神の全きシャロームの中で生きる③キリストの体が『私たちも、私たちに負いめのある人たちをみな赦しました』と祈ることによって≪主の祈り≫のことばを地上にならせる権威に満ちた油注ぎを相続するために、イエスキリストは十字架により敵意と隔ての壁を打ち壊された」

1️⃣ イエスキリストが教えて下さった≪主の祈り≫のことばを見ることによって、神に贖われ神の子とされたキリストの体である私たちがどれほど偉大な力と権威があるかについて見ることができる。聖書に以下のように書いてある。"何事でも神のみこころにかなう願…

「②成熟した幼子は神の全きシャロームの中で生きる②教えの剣によって引かれた境界線の囲いによって守られる≪分割の時代≫の後に繋ぎ会わせる≪平和の時代≫が開かれる」

1️⃣ 神が奥義として隠しておられた真理が啓示される時、新しい時代が開かれる…その時代にはまだ隠されていた真理が啓示されることによって後の時代が開かれる。後の時代になってもまだ隠されたままであった真理がさらに啓示されることによってさらに次の時代…

「①成熟した幼子は神の全きシャロームの中で生きる①神はキリストの体において『神の国の平和』よりもまず『聖書的な教えをキリストの体全体に満たすこと』を優先させる必要があった…何故なら、そのような≪教えの時代≫がなければキリストの体は『神の国の平和』が実現する≪平和の時代≫に進むことができないからだ」

1️⃣ 《分別を持たない無知な幼子》には【神の全き愛を恐れを締め出してしまうほどにまで深く知ることは許されていない】《分別を持とうとしない放縦な幼子》には【神の全き愛を恐れを締め出してしまうほどにまで深く知ることは許されていない】《分別を持っ…

「⑥神の主権により神が開き神が閉じる⑥私たちの役割は何も思い煩わずに全てのことについて感謝しながら求め捜したたくこと⑤成熟した幼子として生きる①≪恐れ≫により≪放縦≫から守られる」

「いつも全てのことについて神に感謝すること」が土台であり、この土台がなければ「ズレ」が生じるのであれば…神は何故、この土台をまず最初に築き上げることをしなかったのだろうか?…それは愛に満ちているだけではなくて、知恵に満ちておられる神の知恵と…

「⑤神の主権により神が開き神が閉じる⑤私たちの役割は何も思い煩わずに全てのことについて感謝しながら求め捜したたくこと④」

贖われた神の子たちにとって「いつも全てのことについて神に感謝して生きること」は最後に残された最大の難関ではなくて最も基礎的な土台。最も最初にあるべき平らな土台だ。最も基礎的な土台であり、最も最初にあるべき平らな土台とは…「神が完全な愛と知恵…