私は霊肉魂の3つがあって、1人の私。
主は父、御子、御霊、3つの人格があり、三位一体の唯一の主。
聖霊様は人格を持っておられる神。
聖霊様は、主の霊、神の霊、父の御霊、イエスの御霊、キリストの心。
「…そうであるならば、もしかしたら…」と思い、私は、以下に書いたような、「もしかしたら、こうなのではないだろうか?」と考えている予想を持っている。
以下に書いてあることは、私の個人的な予想だが…
私の霊は私の霊としての性質、特徴、個性があるのだろう。人それぞれ人格があるように、それぞれの人の霊には、それぞれの特徴、個性があるのだろう。
しかし、それだけでなく、聖霊様が父の御霊、イエスの御霊として、常に、父なる神様とつながっておられ、イエス様とつながっておられるように、
私の霊も、私の心として、常に、私の肉、私の魂、私の内に住む聖霊様につながっていて、アクセスすることができる。
私の心は私の肉、体、脳、本能からの情報、欲求、思いとつながっている。
私の心は私の魂、理性、思考、信仰からの知識、思いとつながっている。
私の心は、私の心の内に住んで下さっている聖霊様からの啓示、思いとつながっている。
私の心はそれら3方向からの情報、思いと常につながっている。
私の心を3方向のいずれかに、傾けることによって、心を傾けた方向とのつながりを大きく開き、強めることができる。
その時、他のつながりは狭まり、細く、弱くなる。
弱くなりはするが、なくなりはしない。3方向のどれとして、なくなっていいものはない。
3方向のどれとして、なくなりはしない。主が私たちをそのように創られたのだから。
いつも体、肉、本能からの欲求に心を傾けているのは良くないことだが、無視しすぎるのも良くない。