シャロームを所有する

私は預言の賜物の回復を願っている。しかし私は預言の賜物を否定する方々を心から尊敬し感謝している。私が預言の賜物を熱心に求めて聖書に従うためなら…私は預言の賜物を否定する方々を不満に思い…全て感謝せよと語る聖書に逆らってよいだろうか?預言を認める牧師先生だけ尊敬し…預言の賜物を否定する牧師先生含む5役者や教団教派の方々を尊敬せず…互いに尊敬しなさいと語る聖書に逆らってよいだろうか?自分が建てたい御言葉を建て上げるために他の御言葉を壊してできた砂の上に自分が建てたい御言葉を建て上げ…家を建ててよいのだろうか?

「ことに 『あの偽預言者たち』 や 『あの異端』 や 『あの教団・教派・グループ』のようではないことを感謝します」

 

"ことにこの取税人のようではないことを、感謝します。"
ルカの福音書 18章 11節

多くのクリスチャンたちは「偽預言者」や「異端」や「他の教団・教派・グループ」を見て、見下し、自分たちが彼らのように聖書の御言葉からずれた者たちではないことを感謝している。

……しかし、神の目から見るなら……パリサイ人や律法学者も取税人や遊女とほとんど大差ない罪人たちであるように……

……神の目から見れば……殺人犯や強盗といった犯罪者たちと私たちクリスチャンとの違いはほとんどなく、ほとんど同じであるように……

……多くのクリスチャンたちが見下している「偽預言者」や「異端」や「他の教団・教派・グループ」との違いは神の目にはほとんどなく、同じような者たちだ。

神の目から見るなら……殺人犯や強盗といった犯罪者たちとほとんど違いはないことを認め自分の胸をたたいてへりくだる者の上に地を揺るがすほどの油注ぎが与えられた時のように……

……多くのクリスチャンたちが見下している「偽預言者」や「異端」や「他の教団・教派・グループ」を見下すことをやめて、多くのクリスチャンたちが見下している「偽預言者」や「異端」や「他の教団・教派・グループ」と自分たちとの違いはほとんどないことを認め自分の胸をたたいてへりくだる者のために主は、私たちが今まで見たことがない新しい油注ぎと新しい栄光を準備しておられる。

多くのクリスチャンたちが見下している「偽預言者」や「異端」や「他の教団・教派・グループ」と自分たちが同じであるはずがないと心の中で思っているかもしれない……「聖書から大きくずれていることを真理であるかのように語っているあの者たちとどうして私たちが同じであるはずがあろうか」と心の中で思っているかもしれない……

……私たちの聖書解釈は全て完全に正しいのだろうか?私たちの中には大中小様々な聖書からずれている間違った聖書解釈がいくつもあり、聖書からずれている間違った聖書解釈であることに気づけてすらいないことがいくつもあるのに……自分たちこそが真理を知っていて他者に真理を教えることができる教師だと自認している多くのクリスチャンたちと、自分たちこそが真理を知っていて他者に真理を教えることができる教師だと自認している彼ら彼女らと いったい何が違うというのだろう?何の違いがあるだろう?

大中小様々な間違った聖書解釈があるのに、自分たちこそ真理を知っていて他者に真理を教えることができる教師だと自認している者たちに、自分たちの姿を見せるために、主がいくつもの鏡を置いておられるのだとしたらどうだろうか……大中小様々な間違った聖書解釈があるのに、自分たちこそ真理を知っていて他者に真理を教えることができる教師だと自認している者たちやグループを鏡として主がいくつもいくつも置いておられるのだとしたらどうだろうか……多くのクリスチャンたちは 主が自分たちに自分たちの姿を見せるために置かれた鏡だとは思わずに、主が自分たちに自分たちの姿を見せるために置かれた鏡である彼ら彼女らをののしり、あざけり、見下し、心の中でさげすんでいるのだとしたらどうだろうか……"ですから、すべて他人をさばく人よ。あなたに弁解の余地はありません。あなたは、他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めています。さばくあなたが、それと同じことを行っているからです。"
ローマ人への手紙 2章 1節

"また、知識と真理の具体的な形として律法を持っているため、盲人の案内人、やみの中にいる者の光、愚かな者の 導き手、幼子の教師だと自任しているのなら、"
ローマ人への手紙 2章 19節

"自分を義人だと自任し、他の人々を見下している者たちに対しては、イエスはこのようなたとえを話された。
「ふたりの人が、祈るために宮に上った。ひとりはパリサイ人で、もうひとりは取税人であった。
パリサイ人は、立って、心の中でこんな祈りをした。『神よ。私はほかの人々のようにゆする者、不正な者、姦淫する者ではなく、ことにこの取税人のようではないことを、感謝します。
私は週に二度断食し、自分の受けるものはみな、その十分の一をささげております。』
ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。』
あなたがたに言うが、この人が、義と認められて家に帰りました。パリサイ人ではありません。なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」"
ルカの福音書 18章 9〜14節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会