シャロームを所有する

私は預言の賜物の回復を願っている。しかし私は預言の賜物を否定する方々を心から尊敬し感謝している。私が預言の賜物を熱心に求めて聖書に従うためなら…私は預言の賜物を否定する方々を不満に思い…全て感謝せよと語る聖書に逆らってよいだろうか?預言を認める牧師先生だけ尊敬し…預言の賜物を否定する牧師先生含む5役者や教団教派の方々を尊敬せず…互いに尊敬しなさいと語る聖書に逆らってよいだろうか?自分が建てたい御言葉を建て上げるために他の御言葉を壊してできた砂の上に自分が建てたい御言葉を建て上げ…家を建ててよいのだろうか?

預言とテヒーラが川のように流れるダビデの幕屋のための道備え 1️⃣【「賛美の外套」と「ダビデの幕屋の回復」と「神のシャロームの回復」】

 

1️⃣【「賛美の外套」と「ダビデの幕屋の回復」と「神のシャロームの回復」】

私は約20年以上前の2000年頃から「イザヤ書の賛美の外套」を求め続けている。……そして……私が「イザヤ書の賛美の外套」を約10年間求め続けた2009年から……私は「ダビデの幕屋の回復」を主に求め続けて歩き続けてきた。……そして……「ダビデの幕屋の回復」を約10年間求め続けた頃から……「互いに尊敬し合い、互いに教えられ合い、互いに感謝し合いなさい」と語っている聖書の御言葉を建て上げることを求め続ける願いと歩みがはじまり……やがて……2019年の1月から……この「シャロームを所有する」のブログを書き投稿するようになった……

私は「互いに尊敬し合い、互いに教えられ合い、互いに感謝し合いなさい」と語っている聖書の御言葉を建て上げることによって……「全てのことについて感謝しなさい」と語っている聖書の御言葉をキリストの体の中に『実現させて』……「キリストの体に神のシャロームを満たすこと」が非常に重要であることを知った感動に満たされるあまりに……いつの間にか……何年も求め続けていた「賛美の外套」と「ダビデの幕屋の回復」のことすらも忘れて……神のシャロームの回復を求め続け歩き続けながら……この「シャロームを所有する」のブログをいくつも書き投稿し続けていた……

……私は何年間も求め続けていた賛美の外套とダビデの幕屋を横に置いておくどころか……いつの間にか忘れてしまっていたのだが……私がいつの間にか忘れてしまっていた「賛美の外套」と「ダビデの幕屋の回復」を求め続けていた私の願いと祈りを主は忘れてはおられなかった……

私は2019年の1月から書き投稿しはじめた「シャロームを所有する」のブログを書いたり投稿することを続けているうちに……徐々に なんとなく物足りなくなってきて……書いて投稿する思いが徐々に薄れてきて……徐々に消えそうになってきていた。……ある時……主が……「私が賛美の外套とダビデの幕屋を求めて何年間も祈り歩き続けてきたこと」を再び思いおこさせてくださった……私は思った……「ああ……そうだった……私は何年間も賛美の外套とダビデの幕屋の回復を求め続けて祈り歩き続けていたのではなかったか……私がずっと求め続けてきた賛美の外套とダビデの幕屋の回復は……?」……私は「イザヤ書の賛美の外套」と……主の臨在を満たすために主が住まわれる新しい歌=テヒーラの預言の賛美に満ちた「ダビデの幕屋」を何年も求めて祈りと歩みをずっと続けていたのではなかったか……と私の思いの中で語った時……1つの御言葉が思い浮かんだ……「"  賛美は心の直ぐな人たちにふさわしい  "」……この御言葉によって……「私が2000年頃から『賛美の外套』を求め続け……その後……『ダビデの幕屋』を求め続けるようになった求めと祈りと歩み」と「神のシャロームの回復を願っている求めと祈りと歩み」が……1つに繋がっていることを私は徐々に理解することができるようになってきた。……そして……私がいつの間にか忘れていた「賛美の外套」と「ダビデの幕屋」を求め続けた求めと祈りと歩みを主は忘れておられなかったことを思いながら……「シャロームを所有する」のブログを書き投稿するようになってから……ますます主は私に……「神のシャロームの回復」は「賛美の外套」と「ダビデの幕屋」の「約束」がキリストの体の中に取り戻され回復するために非常に重要で必要不可欠な「鍵」であり「神のシャロームの回復」と「賛美の外套」と「ダビデの幕屋の回復」は1つ1つが1本の線で繋がった道であることを私にますます見せてくださった……

キリストの体の中に「神のシャロームの回復」を建て上げることが……「賛美の外套」と「ダビデの幕屋の回復」の「約束」をキリストの体の中に取り戻し回復し建て上げるために必要不可欠な「鍵」であることをまだ私自身がよく理解できていなかっただけでなく……何年間も賛美の外套とダビデの幕屋の回復を求め続けていた思いと願いが薄れてしまっていて……いつの間にか忘れてしまっていた私に……賛美の外套とダビデの幕屋の回復の道備えのために……このブログ「シャロームを所有する」を書き投稿することを2019年1月からすでに開始させてくださっていて、私にすでにいくつも投稿させてくださっていた神の恵みと不思議を見させていただいたことによって……私が2000年頃から「賛美の外套」を求め続けたこと……2009年から「ダビデの幕屋」を求め続けたこと……そして……2019年頃から「神のシャローム」を求め続けたことは……合流して1つの川となって流れはじめていた……

"賛美は心の直ぐな人たちにふさわしい。
立琴をもって主に感謝せよ。十弦の琴をもって、ほめ歌を歌え。
新しい歌(  ※テヒーラ  )を主に向かって歌え。"
詩篇 33篇 1〜3節

"あなたは聖であられ、イスラエルの賛美(  ※テヒーラ  )を住まいとしておられます。"
詩篇 22篇 3節

"ダビデと将軍たちは、アサフとヘマンとエドトンの子らを奉仕のために取り分け、【立琴と十弦の琴とシンバルをもって預言する者】とした。その奉仕に従って、仕事についた者の数は次のとおりである。
アサフの子では、ザクル、ヨセフ、ネタヌヤ、アサルエラ。これらはアサフの子で、王の指揮に従って、預言するアサフの指揮下にあった。
エドトンについて。エドトンの子は、ゲダルヤ、ツェリ、エシャヤ、シムイ、ハシャブヤ、マティテヤの六人。【立琴をもって主をほめたたえ、賛美しながら預言する】彼らの父エドトンの指揮下にあった。"
歴代誌第一 25章 1〜3節

"ラッパを吹き鳴らす者、歌うたいたちが、まるでひとりででもあるかのように一致して歌声を響かせ、主を賛美し、ほめたたえた。そして、ラッパとシンバルとさまざまの楽器をかなでて声をあげ、「主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで」と主に向かって賛美した。そのとき、その宮、すなわち主の宮は雲で満ちた。
祭司たちは、その雲にさえぎられ、そこに立って仕えることができなかった。主の栄光が神の宮に満ちたからである。"
歴代誌第二 5章 13〜14節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会