シャロームを所有する

私は預言の賜物の回復を願っている。しかし私は預言の賜物を否定する方々を心から尊敬し感謝している。私が預言の賜物を熱心に求めて聖書に従うためなら…私は預言の賜物を否定する方々を不満に思い…全て感謝せよと語る聖書に逆らってよいだろうか?預言を認める牧師先生だけ尊敬し…預言の賜物を否定する牧師先生含む5役者や教団教派の方々を尊敬せず…互いに尊敬しなさいと語る聖書に逆らってよいだろうか?自分が建てたい御言葉を建て上げるために他の御言葉を壊してできた砂の上に自分が建てたい御言葉を建て上げ…家を建ててよいのだろうか?

2020-01-01から1年間の記事一覧

「霊の父は主おひとりだけ」

霊的なリーダーのことを霊の父、霊的な父と言っていることを耳にすることがある。しかし、「霊の父」ということばはヘブル人への手紙 12章 9〜10節にしか書いていない。そして、ヘブル人への手紙 12章 10節には、「霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自…

「律法的な思考の畑ではなくて、神の国に蒔いて収穫を得る」

日本は必ずリバイバルする。日本が必ずリバイバルする理由は?日本と世界中の教会が一生懸命に日本のリバイバルのために祈り続けているから?日本に流された大勢の殉教の血のゆえに?日本は小さな島国でありながら、世界で最も多くの殉教の血が流された国だ…

「『主の祈り』によってこの地上でシャロームに満たされながら生きる」

主の祈りにある「日ごとの糧」とは、日々の食事のことも含まれているが、日々の食事のことだけではない。また、日々のみことばの糧のことも含まれているが、日々の食事と日々のみことばの糧だけでもない。神の子とされた聖徒たち個人個人1人1人がいのちを…

「何故、隣人をさばいてはならないのか?『私は目が見える』と言ってはならないからだ」

主は何故、「隣人をさばいてはならない」と言われたのか?愛がないから?そうではない。神と隣人を愛しているからこそ、自分自身の目に神の御心からずれているように見える隣人を見ると、怒り、不満、悲しみ、教えたい思いが押さえきれないほど泉のように沸…

「求め続ける祈りは裏口、正面玄関口は祈って求めたものはすでに受けたと信じ感謝し賛美し続けること」

聖書には、「求めなさい。そうすれば与えられます。」と書いてある。そして、「この聖書箇所の求めなさいは、求め続けなさいという意味である」ということばを頻繁に耳にすることがある。聖書の注釈にも「求めなさい」あるいは「求め続けなさい」といったこ…

「賛美をただ歌うだけでなく賛美を賛美の門とならせて、賛美の門を開く時、天は開かれる」

祈りによって天を開くということばを耳にすることがあるが、祈りは天を開くものではなく、天に届くものだ。祈りは香のように立ち上り天に届き、天に貯えられ、満ちる。"私の祈りが、御前への香として、私が手を上げることが、夕べのささげ物として立ち上りま…

「1日が24時間で足りないなら、主との時間を過ごせば、1日が24時間よりはるかに多くなる」

時間が足りなくて、礼拝、祈り、賛美、主と過ごす時間がないと感じている人はいるだろうか?礼拝、祈り、賛美、主と過ごす時間は、あなたの時間を減らさない。礼拝、祈り、賛美、主と過ごす時間によってあなたの時間は増えるからだ。普通1日は24時間だが、…

「使徒的預言的な教会で歌われている賛美は預言的なだけで使徒的ではないのは何故なのか…」

使徒的預言的な教会を目指し、使徒的預言的な教会であると自負している教会がいくつか日本にある。見てみると、確かに主が使徒的預言的な教会として選び、油注いでおられる教会だと確認できるし、納得させられる。使徒的預言的な教会を自負している教会は、…

「③教会の中で師弟の関係性が強調されるあまり、神の家族が対等な家族ではなく組織になってしまっている③」

日本の教会はとてもよく訓練され、神にも人にも礼儀正しい。その所作は美しい。しかし、こんなにも整っていながら、圧倒的に、コンプレックスが深い。教会の中での人との関係でも、神様との関係でも、師弟関係が非常に強調されている。弟子はわざによって評…

「②教会の中で師弟の関係性が強調されるあまり、神の家族が対等な家族ではなく組織になってしまっている②」

日本の教会で弟子づくりが非常に強く強調され続けていたが、大宣教命令はみなをイエス様の弟子としなさいということであって、牧師の弟子とすることではない。牧師の弟子となるなら、弟子はその師にまさらないと聖書に書いてあるとおりになる。みなが互いに…

「①教会の中で師弟の関係性が強調されるあまり、神の家族が対等な家族ではなく組織になってしまっている①」

主が立てられた使徒、預言者、伝道者、牧師、教師、5役者の働きは確かにとても重要だ。しかし、もっと重要なことは、みなが対等な家族であるということ。"しかし、あなたがたは先生と呼ばれてはいけません。あなたがたの教師はただひとりしかなく、あなたが…

「③牧師先生に教会に主のために捧げた犠牲を主はいつまでもことごとくおぼえておられる③」

純粋で、非常に高価なナルド油の入った石膏のつぼを持って来て、そのつぼを割り、イエスの頭に注いだ時、イエス様の時、「神の時」をこの地上に来させた。イエス様が「わたしの時はまだ来ていません」と語られ、まだ来ていなかった「イエス様の時」を来させ…

「②牧師先生に教会に主のために捧げた犠牲を主はいつまでもことごとくおぼえておられる②」

神様はこの地上であなたが捧げた犠牲を受け入れ、おぼえてはおられるが、まだ神様の手の中には入っていない可能性もある。確かに神様は受け入れておられ、おぼえておられるけど、受け取ろうと手を広げて待っておられる状況かもしれない。まだ神様の手に渡さ…

「①牧師先生に教会に主のために捧げた犠牲を主はいつまでもことごとくおぼえておられる①」

多くを主のために教会に捧げたのに、牧師先生から正しく評価されていない、捧げた犠牲に見合うような対応をしてもらえていない、してもらえなかった過去があると感じている人は幸いです。それどころか、恩を仇で返されている、返されたことがあると感じてい…

「②全てのことについて主に感謝するために必要不可欠な柱となる御言葉は…『互いに人を自分よりすぐれた者と思いなさい』②」

主よ…私は大いに主に期待し、感謝と賛美を捧げます。今の既存の教会が 『敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派』を心に持ちながら主に捧げている感謝と賛美と礼拝ですらも、これほどまでに主に喜ばれていて、主の栄光をあらわし、主の祝福を川のよ…

「①全てのことについて主に感謝するために必要不可欠な柱となる御言葉は…『互いに人を自分よりすぐれた者と思いなさい』①」

いつでも全てのことについて主に感謝しながら毎日を過ごしたいと願うなら…自分自身がそのような家として築き上げられることを願うなら…そのために必要不可欠な柱となる御言葉がある。ピリピ人への手紙 2:3『…へりくだって、互いに人を自分よりすぐれた者と思…

「②このブログはさばくなと言いながらさばいている矛盾したブログだろうか?②“神の国で人を教えるみことばの剣を扱う者に課せられるルールは盾を棄てること''

私はこう思う。自分の語っていることばに間違いなどあろうはずがないとよほど強く思い込むことができているから、ことばで相手をさばくことができるのだろう。私はこのブログでさばくことはしていない。私がしていることは、さばくことではなく、多くのクリ…

「①このブログはさばくなと言いながらさばいている矛盾したブログだろうか?①“神の国で人を教えるみことばの剣を扱う者に課せられるルールは盾を棄てること''

このブログを見て、「さばくなとブログに書きながら、あなたもさばいているではないか」といった、ごく自然な感想、意見を持つ人がいることだろう。「さばく」とはどのようなことだろうか?確かに語っていることばの内容でさばきか、さばきでないかを分ける…

「③いつでもどこにいても信仰の手で主の臨在に触れて主の臨在に浸りシャロームを所有する③」

主の臨在に浸るために必要なことは…①主の臨在はどこにでもあると信じること。教会の礼拝の中の臨在は、空気が清んだ場所のように特に格別ではあるが、もし、主の臨在が教会の礼拝の中にしかないと信じているなら、信じている通りに教会でしか臨在に浸ること…