シャロームを所有する

私は預言の賜物の回復を願っている。しかし私は預言の賜物を否定する方々を心から尊敬し感謝している。私が預言の賜物を熱心に求めて聖書に従うためなら…私は預言の賜物を否定する方々を不満に思い…全て感謝せよと語る聖書に逆らってよいだろうか?預言を認める牧師先生だけ尊敬し…預言の賜物を否定する牧師先生含む5役者や教団教派の方々を尊敬せず…互いに尊敬しなさいと語る聖書に逆らってよいだろうか?自分が建てたい御言葉を建て上げるために他の御言葉を壊してできた砂の上に自分が建てたい御言葉を建て上げ…家を建ててよいのだろうか?

2ー②『ひとり子イエスキリストを愛しておられたので、ひとり子イエスキリストに十字架を背負わせた天の父なる神のひとり子イエスキリストにたいする父の愛』

【3つの契約を成立させるために支払われたイエスキリストの血】 イエスキリストは何故、十字架にかからなければならなかったのだろうか? 「私たちの罪のため」……「私たちを救うため」…… ……そのとおりだ。 ……しかし……イエスキリストが十字架にかからなけれ…

2ー①『聖徒が牧師に整えられる時代が満ちなければ、聖徒が5役者に整えられる時代は来ない』

使徒、預言者、伝道者、牧師、教師の5職の「整え」の中で……牧師の「整え」が最も重要だ。 ……だが牧師の「整え」だけしか受けていない聖徒たちは強くなることはできない。 ……しかし、もしも貴方が……使徒、預言者、伝道者、教師からの「整え」を受けて強くさ…

1ー⑪「イエスキリストのことばは、『律法に違反することを恐れさせるために律法の違反者に石が投げられていた時代』を過ぎ去らせただけでなく、『聖書の御言葉に違反する者に怒りや叱責という目に見えない石を投げることが聖書公認であるかのように信じられていて、聖書の御言葉に違反する者に怒りや叱責という目に見えない石を投げている時代』も過ぎ去らせる」

(前回のブログの内容) 『神の目』『神のルール』で見るなら……誰かに怒っていることは、誰かに目に見えない石を投げつけることであり……誰かに怒りを発することによって『目に見えない石』を投げつける者に、刈り取りとして与えられるものは『怒りの感情』とい…

1ー⑩「『神の目』『神のルール』で見るなら……誰かに怒っていることは……誰かに石を投げつけること、誰かに矢を射掛けること、誰かを剣で突き刺すことと同じようなことと判定される……"昔の人々に『殺すな。殺す者は裁判を受けねばならない』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。 しかし、わたしはあなたがたに言う。兄弟に対して怒る者は、だれでも裁判を受けねばならない"」

(前回のブログの内容) 新約聖書の時代に……イエスキリストが神の民に「"情欲をいだいて女を見る者"」は「心の中で姦淫を犯す者」であり……十戒の「"姦淫してはならない"」に違反していると告げただけでなく、「"兄弟に対して怒る者"」は 十戒の「"殺してはなら…

1ー⑨「イエスキリストは十戒の"殺してはならない"ということばを "兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません。"……と言いかえることによって、さらに詳しく深く深く掘り下げて解説し説明し解き明かしておられる」

前回の1ー⑧のブログで、旧約聖書のはじめから神は神の民たちに "殺してはならない"……と語っておられたことを、新約聖書の時代に、イエスキリストがことばと行いによって解き明かし啓示しておられることについて書かせていただいた。イエスキリストが「殺し…

1ー⑧「"殺してはならない"……と書いてある十戒のことばと、『剣をもとに納めなさい。剣を取る者はみな剣で滅びます』と言われたイエスキリストは1つであり矛盾した部分や一致しない点は存在しない」

旧約聖書の時代、神は、幼子のような神の民が「モーセ」や「エリヤ」や「その時代その時代に神から選ばれ油注がれた人」を神のように仰ぎ見るようにさせておられた。まだ幼子である神の民を「目に見えない神を恐れる神の民」として整えるためには、「その時…

1ー⑦「モーセの幕屋型のキリストの体から、ダビデの幕屋型のキリストの体へと移り変わる時代……イエスキリストが死なれたのは神の民エクレシアが永遠に生きるため。イエスキリストの体が裂かれたのは、キリストの体であるそれぞれの教団・教派・グループの隔ての壁が崩されて一致した1つのキリストの体となるため。十字架にかけられたイエスキリストが天の父に見捨てられ、聖霊が離れ去ったのは、エクレシアを神の住まいとならせ天の父御子御霊が永遠に共に住むため」

神は天からイエスキリストを送ることを計画した。……しかし、天から「イエスキリスト」を送る前に、天から「律法」を送り、神の民が天から送られた「律法」の下に置かれる「段階」が必要であったことについて聖書に以下のように書いてある。"律法とは何でしょ…

1ー⑥「互いに『間違っている』『御言葉からずれている』と互いを訴え合っている教団・教派・グループにおいて、どれか1つの教団・教派・グループの教えだけが正しくて、他の教団・教派・グループの教えは『間違っている』『御言葉からずれている』……のだろうか?」

(前回のブログの内容) 神がモーセに預けた十戒の石の板は神のことばであり、神がモーセに預けた十戒の石の板が「2枚」で裏表があり、「4つ」の面があるように、世界は裏表がある2つによって構成されている。世界は「東と西」「南と北」という裏表がある2…

1ー⑤「キリストの体であるそれぞれの教団・教派・グループが他の教団・教派・グループの内におられる主を仰ぎ見るようになる時、キリストの体であるそれぞれの教団・教派・グループは互いに祝福となる。……"あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される"」

仰ぎ見られるべきお方は主ただおひとりだけだ。仰ぎ見られるべきお方は主ただおひとりだけであることは神が『旧約聖書の時代のはじめから要求していた神のルール』だ。キリストの体である全ての神の民は主ただおひとりだけを仰ぎ見なければならない。人間は…

1ー④「父母から叱責されることを恐れる『恐れ』の命綱が子たちに必要だった時代。父母の過保護は幼子たちにとって守りの『命綱』『家』となり、父母の過保護は青年となった息子たち、娘たちにとって束縛の『鎖』『サイズが合わなくなったこども服』となる」

神は神の民に「愛」と「自由」と「平和」と「平安」を豊かに与えることを願ったが、まだ神の民が無知で無分別な幼子であった時代に「愛」と「自由」と「平和」と「平安」を与えると無知で無分別な幼子が放縦と不従順を自由に選び続けて死んでしまうので、神…

1ー③「幼子の味覚に苦い野菜(御言葉の教え)を食べることが必要であることをいくら説明しても理解できない無知で無分別で放縦で不従順な幼子(のようなエクレシアでありキリストの体である神の民たち)に野菜(御言葉の教え)を食べない自由を与えることは幼子に死ぬ自由を与える。野菜を食べようとしない幼子に『恐れ』を与えて強制的に野菜を食べさせることは幼子を死から守る。"主を恐れることは知識の初めである"」

キリストの体にはモーセの幕屋の時代と、ダビデの幕屋の時代がある。ダビデの幕屋の時代はモーセの幕屋の時代の後に来る。ダビデの幕屋の時代はキリストの体である父たち母たちだけでなく子たちも預言を歌う時代だ。ダビデの幕屋の時代には父たちと母たちと…

1ー②「旧約聖書の時代から、何世代もの父たち母たちだけが預言し続け教え続け、子たちはみな聞き従い続けることだけが要求され続けた時代に、築き上げられ積み重ね続けられた信仰と土台的基礎的な教えの土台は山が落ちてきても壊れない。山が落ちてきても壊れない安定した土台の上に、父たち母たちだけでなく子たちみなが神の王国の王であり祭司である油注ぎと預言とダビデの幕屋が建て直されて、地と地にある高い山々が揺り動かされる時代を人々は見る」

(前回のブログの内容) 「子たちみな」が父たち母たちと共に預言によって現代のキリストの体であり神の民であるエクレシアを成長させることができる時代を実現させるためには、何世代にも渡る道備えと段階が必要だった。その段階と道備えとは……「1人の父(ア…

1ー①「父たち母たち子たちみなが共に預言によって、神の民でありキリストの体であるエクレシアを成長させることができる時代を実現させるために、神が何世代にも渡って積み重ね続け築き上げ続けた土台と道備え」

モーセは言った……"主の民がみな、預言者となればよいのに。主が彼らの上にご自分の霊を与えられるとよいのに"……神はこのことばを実現させるために動き、働き続けておられる。少数の者たち、少数の霊的リーダーだけが預言するだけでなく、主の民みなが預言で…

「使徒、預言者、伝道者、牧師、教師である5役者の油注ぎと権威によって使徒たち、預言者たち、伝道者たち、牧師たち、教師たちと、信徒たちが5役者の油が注がれた1つの手となって、地と地に住む人々に触れる時、地と地に住む人々は新しくつくりかえられる」

海外の使徒、預言者、伝道者が使徒、預言者、伝道者の油注ぎと神の王国の偉大な栄光によって地と地に住む人々に触れて新しくつくりかえることができているのは、海外の使徒、預言者、伝道者は、海外の牧師、教師によって「使徒」「預言者」「伝道者」として…

「何故、他の国々のように日本はリバイバルしていないのだろうか……使徒、預言者、伝道者、牧師、教師が鍵であることを神が隠しておられるからだ。神が隠し続けておられる理由は……神が世界で最も美しい御霊の実を与えた日本のエクレシアの御霊の実をさらに磨き続けるためだ」

他の国々はリバイバルしているのに、何故、日本だけが、他の国々のようにリバイバルしていないのだろうか?日本の教会(エクレシア)のリーダーたちの目が開かれていないからか?……そうではない。神は神の計画と戦略と目的のために日本のエクレシア(教会)のリ…

「"これは、預言者ヨエルによって語られた事です"」

旧約聖書の時代は神に選ばれた少数の者たちにだけ神からの油注ぎが与えられていた。神は語り、聖書は語っている。『神から油注がれた者の油注がれたことばに聴き従え』油注がれた者のすべてのことばに従えと聖書は言っていない。油注がれた者に従えとも聖書…

「霊的な親である牧師先生と子である信徒との間に対等な関係を回復させることをせつに求めうえ渇いている者にとっての落とし穴となることは、霊的な親である使徒、預言者、伝道者、牧師、教師、霊的リーダーたちを尊敬することをやめてしまうことだ。霊的な親である使徒、預言者、伝道者、牧師、教師、霊的リーダーたちを尊敬することをやめてはならない。霊的な親を子が尊敬することを継続しながら、霊的な親も子を尊敬するようになるという相互関係を築き上げることによって、神の御国のシャロームはキリストの体において回復し建て上げられる」

無知な幼子に自由を与えることは無知な幼子にとって非常に危険なことであるため、無知な幼子に自由を与えることは無知な幼子にとって益とはならない…………神の御国であるキリストの体においても、神の民である子たちがまだ無知な幼子である期間においては、霊…

「無知な幼い子が『霊的な親と子が対等ではなくて霊的な親に支配され服従させられるプロテストの時代』の中で御言葉に従い、神に従う神の民として整えられ準備されるまで、平和の時代の扉を開く『霊的な親と子が対等であるという神の御国の啓示』は無知な幼い子の目からも、霊的な親の目からも奥義として隠されていなければならなかった」

平和の約束を成就させ、平和を完成させるためにこの地上に来てくださったイエスキリストが「わたしは、平和をもたらすために来たのではなく、剣をもたらすために来たのです。」……と言われ…………さらに、「あなたがたは、地に平和を与えるためにわたしが来たと…

「人間の身長が伸びる時期には成長痛があり、人間の体の中にある細胞が細胞分裂しなければ人間の体は成長することができないように、キリストの体も、成長し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためには、キリストの体である各教団教派グループが分裂し、キリストの体である各教団教派グループが一致することができない荒野を歩く時期を通らなければならない」

カトリックはカトリックとプロテスタントに分裂し、プロテスタントのルーテル派はルーテル派とバプテスト派に分裂し、バプテスト派はバプテスト派とホーリネス派に分裂し、ホーリネス派はホーリネス派と聖霊派に分裂した。もしも、カトリックがカトリックと…

「キリストの体にとって必要不可欠な器官であるカトリックも、ルーテル派も、バプテスト派も、ホーリネス派も、聖霊派も、「イエスキリストは主である」と告白している全ての教団教派グループも『主がお入り用なのです』」

カトリックの後にルーテル派、ルーテル派の後にバプテスト派、バプテスト派の後にホーリネス派、ホーリネス派の後に聖霊派が建て上げられた順番、順序には意味があり、この順序をどれか1つでも変えてしまうと成り立たないことについて前回のブログで書かせ…

「神が、まず最初にルーテル派を100年かけてしっかりと建て上げ、次にバプテスト派を100年かけてしっかりと建て上げ、次にホーリネス派を100年かけてしっかりと建て上げ、次に聖霊派を100年かけてしっかりと建て上げておられる理由。この順序でなければならなかった理由。この順番で1つ1つ順序正しく建て上げる必要があった理由。愛と知恵に満ちた全知全能の完全な主権者である神は常に最善をなされるので、無意味なこと、神を愛する神の民にとって無益なことなんて過去にも現在にも未来にも1つもない」

古い皮袋は新しいぶどう酒を受け入れることができないが、古い皮袋が新しい皮袋の土台であり、古い皮袋の中にこそ、深く熟成したぶどう酒があり、古い皮袋の中でぶどう酒は深く深く熟成し続けることについて前回のブログで書かせていただいた。新しい皮袋だ…

「古い皮袋がなければ、新しいぶどう酒である新しいレストレーションの時は来ない。新しい次のレストレーションを拒絶してしまうようになるほどに、前のレストレーションの良さに深く酔い、前のレストレーションに人生を捧げ没頭し続けた功労者たちにしか到達できない深さまで深く掘り下げられ続けたことによって堅固に築き上げられたレストレーションが次の新しいレストレーションが来るために必要不可欠な土台であるからだ」

初代教会に最初からあった「信仰義認」「水のバプテスマ」「聖い行い」「異言をはじめとする9つの御霊の賜物」は長い歴史の中でいつの間にか失われてしまっていたが、失われていた「信仰義認」、「水のバプテスマ」、「聖い行い」、「異言をはじめとする9…

「何故、レストレーションを1つずつ…しかも1つ1つに100年もの時間をかけて回復させ、建て上げる必要があるのだろうか……初代教会に最初からあった1つ1つは長い歴史の中でいつの間にか失われてしまっていた。だから、再び回復されたレストレーションの1つ1つが、2度と失われることがないようにするためには、1つ1つのレストレーションを十分に行き渡らせ、染み込ませ深く掘り下げて、1つ1つのレストレーションをしっかりと建て上げるために……100年の熟成期間を必要としている」

賢い建築家よりもはるかに賢い全知全能の主権者である神は……新しくスタートさせた1つの ※レストレーション ( ※ 聖書に書かれているのにそれまで失われていた真理を再び回復させる働き ) が約100年かけて十分に行き渡り、深く染み込み、十分に建て上げられ、…

「ルーテルは1500年代にスタートした。バプテストは1600年代に スタートした。メソジストは1700年代にスタートした。ホーリネスは1800年代にスタートした。聖霊派は1900年代にスタートした。賢い建築家よりもはるかに賢い全知全能の主権者であられる神は、1つの新しいレストレーションを新しいぶどう酒のように流れさせて、その新しい1つのレストレーションが約100年の期間で十分に建て上げられて十分に熟成した古いぶどう酒になった頃に、次の新しいレストレーションを新しいぶどう酒のように流れさせておられる」

キリスト教の教団教派グループの歴史は、「前の教団教派グループがタブーとしていたことを、次の教団教派グループが破ること」がくりかえされている歴史であったことについて前回のブログで書かせていただいた。バプテスト派が回復した「水のバプテスマ」も…

「キリスト教の教団教派グループは……カトリック→ルーテル派→バプテスト派→ホーリネス派→聖霊派…といった順序で、それぞれの教団教派グループに枝分かれしていった歴史を持っている。それは前の教団教派グループのタブーを次の新しい教団教派グループが破るということがくりかえされる歴史であったと言えるだろう。聖書がタブーとしていないもの、神がタブーとしていないものを人間が『人間の教え』によってタブーとして封じ続けることはできない」

キリスト教の教団教派グループは……カトリック→ルーテル(福音派)→バプテスト(福音派)→ホーリネス(福音派)→ペンテコステ(聖霊派)…といった順序で、それぞれの教団教派グループに枝分かれしていった。キリスト教がローマの国教となっていたカトリックの時代に、…

「預言の賜物に強い関心があるのであれば『主が言われる…今の仕事をやめなさい…といった預言を語る者は偽預言者である』……といったような学びや説明を聴いたことがあることだろう。これは主から来ていない間違った預言から守られるために必要なことで大いに有益な知恵ではあるが、『聖書が語っている偽預言者の定義』ではない。聖書が語っている偽預言者の定義は……『イエスが主であることを告白しない者』……これが聖書が語っている偽預言者の定義だ」

キリストの体の各器官である各教団教派、各グループ、個人個人は互いが互いに「自分の顔を覆い隠すへりくだり」=「花嫁の顔を覆い隠すベール」がないために…………互いが互いに自分たちの聖書解釈と教え=自分たちの顔だけを高く上げ、キリストの体の「頭」「…

「キリストの体が『花嫁の顔を覆い隠すベール』=へりくだりの油注ぎと啓示に触れられる時、キリストの体の各器官である各教団教派、各グループ、個人個人は互いに相手を「大人である自分が教えるべき幼子」とは見なさなくなり、『幼子である自分を教えてくれる大人』であることを互いに認め合い、互いに尊敬し合い、互いに教えられ合い、互いに教え合い、1つのキリストの体となり、キリストのために整えられた花嫁となる」

前回のブログの投稿で、キリストの体がキリストのために整えられた花嫁となるためには、「花嫁の顔を覆い隠すベールを着ける」ことが必要であることについて書かせていただいた。"イサクは夕暮れ近く、野に散歩に出かけた。彼がふと目を上げ、見ると、らくだ…

「キリストの花嫁であるキリストの体には『花嫁のベール』がまだない。キリストの体である各教団教派、個人個人が『互いに自分を最も幼い子どものように低くして互いにへりくだること』が完全になって、1つの体となる時=『キリストの花嫁の顔が花嫁のベールで全て覆い隠される』時、キリストの体は婚姻の用意が完成したキリストの花嫁となる」

今の時代のエクレシア=キリストの花嫁であるキリストの体の全身は、聖く光輝く純白のウェディングドレスに包まれていて、きらびやかな栄光の装飾品で飾られていて、キリストの花嫁として完全に整っているかのように見える。しかし、まだ、キリストの花嫁で…

短めのメッセージ「今の地が過ぎ去った時、復活した私たちが、新しい天と新しい地で互いに交わす最初のことばは何であろうか……『おはよう』だ。何故なら、復活したイエスキリストが復活した人として人に向かって最初に語られたことばが『おはよう』であるからだ。その日、私たち兄弟姉妹は今の地上の仮庵を脱ぎ去って『おはよう』と互いに言い交わす」

復活した私たちが、新しい天と新しい地で互いに交わす最初のことばは何であろうか?「ハレルヤ」だろうか?新しい天と新しい地で「アブラハムやイサクやダビデ…いのちの書だけでなく、聖書にもその名が書き記されている神の民たち」や「この地上にうまれ、こ…

1️⃣~3️⃣/3️⃣「①これまでに書いたブログの総括①キリストの体がまだ相続できていない7つの祝福がある未相続の約束の地=シャロームは≪全てのことについて神に感謝すること≫と、≪全ての人を尊敬すること≫の両方のみことばを実行できる成熟に、キリストの体が到達した時に相続することができる①」

1️⃣(キリストの体の中で失われたままになっている≪銀貨≫=未相続のまま残されている約束の地=シャローム )"ところが、相続人というものは、全財産の持ち主なのに、子どものうちは、奴隷と少しも違わず、 父の定めた日までは、後見人や管理者の下にあります…